4 グラウンドからは笛の音と女生徒達の声が聞こえてくる。 そのグラウンドを駆け回る彼女らを、三階の教室から双眼鏡で眺めている者が一人いた。 「やっぱり良いわねぇ」 「何が」 「幽谷様の生足」 「ぶっ!!」 「汚ぁっ!!」 唐突な友人の科白に夏侯淵は口にしていたお茶を吹き出した。 それがスカートにかかってしまったらしく彼女は仰け反って夏侯淵を責め立ててきた。 「ちょっ! 夏侯淵何すんの!? 私を茶の色に染め上げたいの!? 私が大好きなのは分かるけど!」 「そんな訳があるか!! というか、毎回思うが何で華扇(かせん)はいつも双眼鏡を持っているんだ!」 「標準装備よ! これがあればどんなに離れたところにいても幽谷様と関羽ちゃんをロックオン!! ちなみに関羽ちゃんは汗ばんだうなじが最高! 今がまさにその状態!」 「馬鹿か!!」 「お前よか成績は良いわい!」 華扇と呼ばれた女生徒と夏侯淵は、中学時代からの友人である。恋愛関係に発展することはなく、緩い友情が今に至るまで続いている。友人の中で一番一緒にいる人物かもしれない。 そんな華扇は一昨年から幽谷と関羽にゾッコンだ。彼女曰く、入学式に二人が談笑しているところを見てハートを矛で突き刺されたんだそうだ。それぞれのファンクラブの作ったのも彼女であり、正直、彼女の勢いの凄まじさには引いている。 幽谷とは従兄弟を通じての一応の知り合いでもあると知った時、彼女には本気で殺されかけた。 「ああああ……良いなあ夏侯淵は。夏侯惇先輩が幽谷様と同じ道場に通っていたからその筋で仲良くなれるんだもん。何のコネクションも無い私なんか、私なんか――――思う通りに動いてくれない夏侯淵を利用しするしか無いじゃない!!」 「するな!」 ……こんなやりとりも、クラスメートにとっては日常茶飯事だ。二人の言い合いを皆呆れた風情で眺めている。 今更ではあるが、今夏侯淵達も当然授業中である。ただ、三年生になると受験勉強の為の時間が取られ、実質自習となるのだ。 成績優秀の彼女は余裕ぶって、幽谷、関羽両ファンクラブ会長としての義務などと称して体育の授業中の幽谷や関羽を眺めているのだった。体育の授業では、クラスの違う二人も一緒になる。ファンクラブにとっては絶好の機会なのだそうだ。彼女らは何の為に学校に来ているのだろうか。 「って、あぁあ!!」 「な、何だよ」 華扇がグラウンドを見下ろして、突如として大音声を上げる。 たまらず耳を塞いで何事かと彼女を怪訝に見ると、その顔が見る見る内に青ざめていく。双眼鏡を覗き、口角をひきつらせた。今度は何だ。 「な、な、な、な……!」 「どうかしたのか?」 「幽谷様があああぁぁぁぁ!!」 華扇はこの世の終わりのような顔をした。幽谷如きでよくもまあそんな百面相が出来るものである。幽谷のファンクラブの人間は、皆こんなものなのだろうか。 夏侯淵は呆れていたが、その後に続いた華扇の言葉に固まった。 「幽谷様が怪我したっ!!」 夏侯淵はがたんと椅子を倒して立ち上がり、華扇を押し退けて窓から身を乗り出した。華扇が驚いて仰け反る。 グラウンドの中心には人だかりが出来ていた。その真ん中に幽谷がいるのだろうが、姿を見ること叶わない。 幽谷が怪我をするなんて珍しい。 関羽以上に運動神経の良い彼女は帰宅部だが、ままに運動部から練習試合の助っ人を頼まれることがあった。夏侯淵の従兄弟である夏侯惇も彼女の運動神経には一目置いている。だからこそ、関羽と共にこの高校に入学するからとあっさりと道場を辞めてしまったことに憤っていた。 そんな彼女が、たかだか体育の授業で怪我をするなんて思えない。 「さっき関羽ちゃんが躓(つまず)いたのを助けて転んじゃったみたい。足が赤かった」 「大丈夫かなあ」と心から呟く華扇が脇からまたグラウンドを覗き込む。 と、人だかりが急に裂けた。そこを歩いて抜ける者が一人。 幽谷だ。小さくて見えないが、足を引きずって関羽に肩を借りている。太腿から脹ら脛にかけて外側が赤くなっていた。 彼女には趙雲も付き添っているが、幽谷が何かを言うと立ち止まってしまった。 「……あいつ!」 校舎に入っていくのを認めると、夏侯淵は身を翻して教室を飛び出してしまった。 「……夏侯淵怖い者知らずー」 隣では曹操先生が授業してるのに。 そう呟く華扇に、その場にいる誰しもが「お前が言うか」とツッコんだ。 ‡‡‡ 保健室に夏侯淵が飛び込んできたのには驚いた。 彼は関羽に手当を受ける幽谷を見つけるなり不機嫌そうな顔を更にしかめて大股に近付いた。 「幽谷」 「……受験生ですよね、あなた」 呆れたような幽谷に、夏侯淵は舌打ちした。 「気の抜いているからそんな怪我をするんだ」 彼女の左足の外側は酷く広範囲に渡る擦り傷が広がっている。すでに水で洗ってあるのだろう、肌に残った水と滲んだ血が混じってつと流れ落ちる。気付いた関羽にすぐにタオルで拭われた。 それを冷たく指摘すると、幽谷は辟易したように嘆息した。 「……そんなことを言いに来たのですか。それは私自身自覚しています」 「ふん、どうだか」 夏侯淵は鼻を鳴らす。 そんな彼の態度に関羽は苦笑を浮かべた。 「夏侯淵……心配ならそう言えば良いじゃない」 「はっ?」 「授業を放り出すくらい幽谷が心配だったんでしょう?」 夏侯淵は一旦停止した。 オレが、幽谷を心配? 心配して――――違う! 夏侯淵の頬に朱が走った。唾を飛さん勢いで怒鳴った。 「そっ、そんな訳があるか! どうしてオレが幽谷の心配なんか―――」 「だったら、何故ここにいる?」 不意に、静かで低い声。 夏侯淵はえっとなって振り返り、さっと青ざめた。 関羽と幽谷も扉の方を見て声を漏らす。 「そ、曹操先生……!」 「夏侯淵。散々私の授業を妨害したばかりか、己は正当な理由も無く保健室とは、良いご身分だな」 曹操の笑みが、恐ろしい。 夏侯淵の背中を冷たいモノが伝い落ちた。しまった、そう言えば隣のクラスは彼の授業だったのを忘れていた。 冷や汗を流しながら、夏侯淵は曹操に必死の体(てい)で平謝りする。 しかし、こめかみに血管が浮き上がる曹操はにべもなく言い放つのだ。 「このことは、夏侯惇に相談をしよう」 「なっ! そ、それだけは!」 「されたくないなら教室に戻れ、自習をしろ」 「はい!!」 夏侯淵は一目散に保健室を飛び出した。 それを見送って、幽谷は不思議そうに首を傾け、関羽は苦笑を浮かべるのである。 曹操は嘆息した。 「まったく……。幽谷、怪我の具合はどうだ」 昼休みの件をまだ根に持っているらしい幽谷は、曹操に話しかけられた瞬間眉間に皺を寄せる。けども、質問には答えた。 「大した怪我ではないので。ですが、何故それを?」 「隣のクラスで騒ぎ立てていた女生徒がいたのでな」 「……はあ」 三年に、そのような知り合いはいただろうか。 そう考えてふと、もしかしてと思い出す。 いつも授業中双眼鏡で体育の授業を見つめている女生徒だろうか。彼女なら幽谷が怪我をしたことにすぐに気付いただろうが……何故体育の授業を眺めているのかは不明だ。 しかし、関羽は心当たりがあるようで、納得したように苦々しく笑っていた。 「関羽様」 「まあ、害は無い人だと思うから、気にしなくて良いと思うわ」 曖昧に濁す彼女に、再び首を傾けた。 ○●○ 学パロ限定のオリキャラ華扇は華雄の姪です。夢主達に過剰な愛情を注ぐ以外は、細かい設定は今のところありません。 . |