昼休みになると、廊下も教室も俄(にわか)に騒がしくなる。
 男子生徒は友人と駆け回ってじゃれ合い、女子生徒は弁当を食べながら恋の話に花を咲かせる。

 そんな中、幽谷は関羽と共に中庭のベンチに座って弁当を広げていた。


「ああ……テストに集中出来なかった」

「私は元よりしていなかったけれど」


 共に午前中に数学を済ませている。
 幽谷は落ち込む関羽に苦笑を浮かべながら、箸を動かした。


「幽谷は本当、平均しか取ろうとしないわよね。本気を出せば上位に行くんでしょう? 世平おじさんが言っていたわ」

「でも二度目の高校生活でまで本気で勉強をしようなどとは思わないわ」


 購買で買った牛乳を飲み、手を合わせる。
 関羽は幽谷の弁当が空だということに驚いた。


「も、もう食べたのっ?」

「ええ、あなたが落ち込んでいる間に」

「は、早……」

「言っておくけれど、あなたが落ち込んでいた時間は十五分と二十九秒よ」

「そ、そこまで言わなくて良いから!」


 慌てて箸を動かす関羽に、幽谷は「咽に詰まってしまうわ」と咎める。
 昼休みの時間はまだ残っている。ゆっくり食べても十分間に合う。

 幽谷は弁当箱を片付け、彼女の食事が終わるのを待った。


「――――ごちそうさま!」

「はい」


 手を合わせ、弁当を片付け始めた関羽は、途中で何かを思い出したようだ。


「……あ、わたし、先生に呼ばれてるんだった! 幽谷、悪いんだけど、先に戻っていてもらえない?」

「ええ。分かったわ」


 弁当を片付け終わると、彼女は大急ぎで校舎へ駆け込んでいった。急ぐ気持ちは分かるが、その内教師に注意されるだろう。一応、廊下は走ってはいけないと言われている。勿論大多数の生徒が守っていないが。

 彼女の姿が見えなくなるのを待って、幽谷は後ろを振り返った。


「何かご用でしょうか、曹操先生」


 そこには一人の聡明な男性が立っている。彼は口角をつり上げて歩み寄ってきた。


「やはり気付いていたか」

「気付く気付かぬ以前に、気配を隠しもしていないではありませんか」

「だが、関羽は気付いていなかったようだが?」


 それは、落ち込んでいた上、慌てていただけだ。
 嘆息混じりにそう言って、幽谷は前に向き直った。

 曹操は鼻で笑うと、彼女の隣に腰掛けた。

 途端、幽谷は片目を眇める。


「何ですか、先生」

「……これだ」


 眼前に来るように、差し出された一枚のA5サイズの紙。今日の数学の小テストだ。しかも、幽谷の解答用紙。


「何だ、このふざけた点数は」


 ああ、説教か。
 名前の欄の横には赤い数字が二桁。五十九点という、微妙な点数である。
 毎度毎度、彼はテストの度幽谷の点数の何が不満なのか、叱りにやってくる。テストの時はこれよりも高い点数を取っているのだが、それでも不満があるらしい。

 今日もそれなのだろう。
 幽谷は牛乳を飲み、横目に曹操を見やった。


「ふざけてはいませんが」

「お前は、本来ここまでの人間ではないだろう」

「いいえ、そこまでの人間です」


 この会話も、何度目だ。
 いい加減辟易してくる。


「お前の、前の高校での成績表も手に入っている」

「そこまで行くとストーカーレベルですね。人の過去の成績にまで触れるなんて、余程暇なのでしょう。他にやるべきことがあるでしょうに」

「教師として、己の全力を尽くさぬ生徒を見逃す訳にはいかぬのでな」


 幽谷ははっと鼻で笑う。テスト用紙を払いのけ、牛乳を再び飲む。


「関羽の為だけにまた高校に入学したそうだが、関羽に遠慮しているのか?」

「さあ、どうでしょうね。と言うか、さっさと職員室に戻っては如何です? これ以上あなたと話していると虫酸が走るのですが」

「そう言ってくれるな。お前にも関羽にも、私は期待しているのだ」


 眉根をぐっと寄せた。
 期待? 期待とは何の?
 この曹操という教師、何かと得体が知れない。警察にも、闇の部分にも顔が広すぎるのだ。本当にただの教師なのか、怪しいところである。

 怪訝に睨みつけ、幽谷は立ち上がる。


「次のテストでは、本気を出せ」

「ですから、私はその時の実力を出しているつもりです」


 けんもほろろに言葉を返し、歩き出す。

 直後である。


「待て」


 肩を掴まれ、強引に引き寄せられた。
 抵抗しようと牛乳を持った手を上げると、その手を掴まれて後ろに持って行かれる。

 何をするつもりなのかと思えば――――。


「なっ!」


 牛乳を飲んだのである。
 幽谷は驚いて固まった。

 周囲が俄に騒がしくなる。

 曹操は嚥下するとにやりと笑って幽谷から離れた。


「……お前は、いつもそればかりだな」


 それは甘すぎるんじゃないのか。
 幽谷はさっと青ざめ、こめかみをひきつらせた。


「っ、曹操……!」


 拳を握って、キツく睨みつける。
 しかし曹操は面白がるように幽谷の様子を眺め、颯爽と歩き去っていく。

 虚仮(こけ)にされた……!
 幽谷は一人、言いようの無い怒りに拳を震わせた。

 彼女は気付いていなかった。
 この一連の出来事に、周囲が酷く騒いでいることに――――。



 彼女は気付かぬまま、曹操に口を付けられた牛乳を、近くのゴミ箱に乱暴に捨てた。



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