関羽と幽谷が学校に来る頃には、大勢の生徒が校門で教師と挨拶を交わしていた。
 今日は、長い髪を後頭部で束ね、すっきりとした面立ちが爽やかな印象を与える男――――新任の趙雲が教頭と共に立っていた。


「お早う。関羽、幽谷」

「あ、お早う。趙雲! ……先生!」


 咄嗟にいつもの呼び方をしてしまった関羽は、後から慌ててつけ加えた。

 それに、幽谷も趙雲も苦笑する。
 趙雲とは、数年程前から付き合いがあった。なので、互いに呼び捨てで呼び合っているのだが、学校ではあくまで教師と生徒として接することにしている。

 ちなみに幽谷は、この男が苦手であるので、関羽とは違い、大袈裟な程に距離を取っていた。


「幽谷、お早う」

「…………お早うございます、趙雲先生」


 あからさまな態度で話しかけるなと抗議するが、趙雲には通用しない。

 爽やかな笑顔を浮かべて、幽谷に人懐こく話しかける。――――その度に、幽谷の周りに空気が重く変わっていくのにも全く気付かずに。


「幽谷! は、早く教室に行きましょう!」

「……ええ」


 関羽が趙雲に頭を下げて歩き出すのに従って、幽谷も歩き出す。

 彼女が趙雲に対して素っ気ない態度を取ることは、もはや周知の事実であった。
 教頭も、通りかかる同級の生徒も、苦笑混じりに眺めている。

 更に、二人の関係を別の方に考える一部の生徒は、また違った表情を浮かべていた。



‡‡‡




 幽谷は教室に着くなり、重々しい溜息をついた。

 関羽は苦笑を浮かべる。


「幽谷ったら……そんなに趙雲を嫌わなくても良いじゃない」

「……嫌ってなんかないわ。むしろこれは憎悪に近いかも」


 不意に、後ろが騒ぐ。
 何事かと思えば、五人程の女生徒――――そのうち二人は一年の色したネクタイをしている――――がこちらに熱い視線を送っている。

 首を傾げると、彼女らはまた騒いだ。

 それに、関羽が苦笑混じりに幽谷の肩を叩く。


「気にしないで。それよりも、早く教室に行かないと、ホームルームが始まるわ」

「え、ええ……分かったわ。けれど、本当に気にしなくて良いのかしら……」

「良いの!」


 彼女らが考えていることを教えたら、きっと幽谷は趙雲を殴りに行く。ここでは教師と生徒の間柄なのだから、それだけは回避しておかなければならなかった。
 彼女の背中をぐいぐいと押して促すと、幽谷は怪訝に顔を歪めながらも渋々と従った。

 幽谷が教室から出て行けば、やや興奮した女生徒達は更に黄色い声を上げるのである。

 その様を見て、関羽は苦笑を浮かべた。

 これで幽谷と趙雲が少しでも仲良くなったら……沸くんだろうなあ。
 それもそれで見てみたい気がするが、その時幽谷の行動を考えれば、背筋がぞっと凍る。

 なるべく、あの子たちのことは幽谷の耳に入れないようにしないといけないかしら。
 幽谷を好いていてくれているのは大変嬉しいが、ちょっとズレすぎている。
 関羽にもそう言った《ファン》がいることに気付きもしないで、そんなことを思った。



‡‡‡




「あ、あの!」


 教室に入る手前、幽谷は一人の女生徒に呼び止められた。
 足を止めて振り返ると、顔を赤らめて少しばかり挙動不審になっているその女生徒は、幽谷に手紙を押しつけるように渡して、一目散に駆け出してしまった。

 幽谷は呼び止めたが、彼女は止まることも無く、生徒とぶつかりそうになりながらもあっという間に見えなくなってしまった。


「……何だったのかしら、今の……」


 手紙を見下ろせば、桃色にハートマークの踊る可愛らしい物だ。
 首を傾げて封を開けると、同じような便箋に丸い文字が並んでいる。
 それにさっと目を通した彼女は、一瞬固まり、困ったように眦を下げた。


「……どうしましょう」

「何がだ?」

「!!」


 ぎょっと振り返れば、そこには不思議そうな趙雲が、出席簿を持って幽谷の後ろに立っていた。……反射で殴りかけたのだが、堪えなくても良かった気がする。

 手紙を隠そうとすると、趙雲はさっと手紙を奪い取って目を通した。奪い返そうとしても上手く避けられてしまう。


「人の手紙を勝手に……!」

「……女生徒からのラブレター、か」


 一瞬、彼の顔が暗くなった気がしたが、そんなことはどうでも良い。
 幽谷は奪い取ると封筒に便箋を戻して鞄に入れた。


「噂には聞いていたが……幽谷は同性からもモテるんだな」

「生徒間でかわされる手紙を勝手に読まれるのは止めていただきたいのですが、趙雲先生」

「……ああ、すまない。確かに今のは公私混同だったな。今度から気を付けよう」


 頭を撫でられそうになり、幽谷はさっと避けた。

 趙雲は苦笑する。


「……そろそろ、予鈴が鳴る。ホームルームが始まるぞ」

「関羽様と似たようなことを仰らないで下さい。虫酸が走ります」


 幽谷は頭を下げて、彼から逃げるように教室に入った。

 その後ろ姿を見つめながら、趙雲はほうと吐息を漏らす。


「男だけじゃないとは……困ったな」


 何処か寂しそうな彼の呟きは、朝の喧噪に掻き消された。



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