伯母達の霊が去った後、筍は、気絶するように眠った。
 涙に濡れた顔を拭ってやり、己の膝を枕に寝かせやると、諸葛亮が徐(おもむろ)に彼女の手を握った。
 彼は何も言わなかった。ただじっと筍の苦しげな寝顔を見下ろし、沈痛な面持ちで手を強めに握る。

 幽谷は諸葛亮に声をかけることはしなかった。意識無き筍の手が、そっと握り返す様を無表情に見つめる。

 屋敷の外から、伯母達の怨嗟の声が聞こえる。耳を塞ぎたくなる程に苦おしく、切ない。
 醜女(しこめ)だからと殺された哀れな娘達の復讐を、本当に止められないのだろうか。
 筍に傾倒しているからだろう。筍だけでなく彼女らも救えたら────そう思わずにはいられない。

 諸葛亮も常に冷徹に物事を見つめるが、この時ばかりは、同情乃至(ないし)はそれに似た感情が僅かながらある筈だ。
 諸葛亮は明日────否、日付が変わった今日、二人の遺体を見つけ出すと言った。

 幽谷も、筍は勿論、伯母達を少しでも救えるというのなら、諸葛亮の指示を忠実に果たす。諸葛亮が頭を働かせるなら、自分は優れた身体能力を行使して諸葛亮を補助する。危険なことも厭(いと)わない。

 諸葛亮は、夜明けと同時に部屋を出た。
 一刻程経って戻り早口に幽谷に指示を出した。

 村長や筍の母親から、彼女達を殺した時のことを聞き出したのだろう。素直に話したとは思えないが、諸葛亮ならば、病人を痛めつける方法は取らずに話術で以(もっ)て口を割らせるだろうと分かっているから何も言わなかった。
 筍を諸葛亮に託し、屋敷を出た。
 朝日を受けて活動を始めた村人達が、幽谷を怯えた眼差しで見てくる。

 容姿に怖じているのではない。
 見て見ぬ振りをしたその罪が、怖いのだ。
 彼らはその罪によって自分達もあの娘達の復讐の対象になったのだと分かっているのだ。あんなにも怯えている。
 幽谷達に縋る思いを向けているのだろうけれど、幽谷は彼らよりも筍やあの二人を助けてやりたかった。

 ただ醜いから、それが殺す理由になるのか。
 人は、そんな下らない理由で己と同じ生き物を、尊い命を切り捨てるのか。

 ぞわりとしたのは、自身もまた切り捨てられる側にもなり得る存在であるからだ。

 狐狸一族は、神聖なる種族である。
 けれども、幽谷や周泰、封統のように色違いの瞳を持つ者は、一部の国々では凶兆と言い伝えられ厳しく排他される。

 『四凶』と。

 その身に浮かび上がった痣が嘗(かつ)て大陸を揺るがした四凶それぞれに酷似し、人の身には無い奇怪な力を秘め振るうことから、四凶の転生、或いはそれに通ずる人の形を得た化け物と断じられた。
 幽谷は、狐狸一族として生まれたから良かった。けれども周泰は人間、封統は猫族と人間の混血だ。

 猫族も、四凶と同規模の大妖の子孫だとて大陸全土で虐げられた。狐狸宿が彼らの最後の拠り所だった。
 諸葛亮はそんな猫族の長に従って猫族を支え守ってきた奇異なる人間だ。だからだろうか。幽谷達を見ても四凶と蔑まなかったし、それどころか幽谷達に────特に封統に対してとても友好的だった。

 猫族も、狐狸一族も……四凶も。
 容姿や能力こそ遙かな差があるけれど、人間や動物のように心がある。
 他人を気遣うことも出来るし、共に遊んで楽しむことだって出来るし、他人の痛みを思いやることも出来る。
 一喜一憂出来るのだ。

 だのに、人間はよしや同じ種族であっても優劣にこだわり、異同に怯え、自己満足に過ぎぬ枠組みを作り出す。

 そうして周泰や筍を退けるのだ。

 村の怪異がそういった所業が招いたことだと分かって、彼らは今どんな気持ちでいるのだろう。
 ただただ恐れているだけなのだろうか。
 そこに、僅かばかりでも懺悔の気持ちはあるのだろうか────。


「────あっ」


 思案に耽(ふけ)っていた幽谷は、前方に見つけた物に意識を引き戻され掠れた声を漏らした。
 いつの間にか自身は深い森の中にいた。

 諸葛亮の指示で筍と遊んだ泉の周辺を探して回っているべきだったのが、思考に没入してしまった。

 そのお陰であれを見つけたのだけれども、よくよく見れば見つけたかった物ではない。
 幽谷は速度を落とし、見つけたそれの前に立った。


 白骨だ。


 雑草に埋もれたそれは、子供の大きさではない。
 成人女性の物だ。それも、随分と古い。
 正確な経過年数は分からない。けれども幽谷の印象では、百年以上の代物ではなさそうだ。それだけの年数があれば、動物に荒らされ散乱、破損している筈。

 この白骨は、まだ綺麗に残っている方だった。

 幽谷は白骨に向けて短い黙祷を捧げ、周囲を見渡した。
 ここは、何処だろうか。
 泉の近くであれば良いのだが……見渡す限り緑か茶色、点々と黄色や赤、紫が少々。

 諸葛亮殿に怒られてしまうかもしれない。
 いや、それよりも筍だけでも早く救ってあげなければならないのに────。


 その時だ。


『……て』

「!」


 耳元で、誰かが囁いたのだ。
 風にうなじを撫でられ、幽谷は身を翻す。

 はっと息を呑む。

 そこには、女が立っていた。
 僅か一寸先。少しでも身動ぎすれば当たってしまうのではないかと思う至近距離に、女が立っている。

 女の顔は、醜い。酷い爛れが顔から首元まで広がり、目も口も満足に開け切らぬようである。

 彼女が生者でないことは、一目で分かった。
 筍や筍の伯母達を目にしているから、その顔に恐怖も嫌悪も浮かばない。
 驚きもすぐに収まり、平静を取り戻して女に誰何(すいか)出来た。


「あなたはどなたです」

『……て……助けて……』


 ほろり、と女の頬を水が伝う。
 両手で幽谷の肩を掴もうと両手を伸ばすが、実体が無い為に触れること能(あた)わずすり抜けてしまう。
 幽谷は触れぬその手に己のそれを重ね、もう一度問いを重ねた。


「あなたの名前は、何と仰るのですか」

『わ、たし……し、は……』

「助ける前に、あなたを教えて下さいまし」

『わたし……わた……らな、い』

「……」

『知ら……い……分からな……』


 女は首を左右に振る。頭を抱え、呻き出す。
 この醜女、見た目故か村の異変に無関係とは思えなかった。幽谷自身の勘に近い。

 幽谷は優しく女を宥めた。


「分かりました。では、あなたは何を助けて欲しいと私に願っておられるのです。私は、誰を助けて差し上げればよろしいのでしょう」

『……あ、ああ……わたし……けて……助けて……』

「あなたを助ければよろしいのですか」


 女は首を左右に振って否定する。
 記憶が曖昧になっているらしい。誰かを助けて欲しいという思いだけが鮮明に残っているのだ。

 この女性は、もしや白骨の……。


「ゆっくりで構いません。ですから、落ち着いて下さい。私は、待ちますから」

『……助けて……た……けて……』

「はい」

『たす、け……む、す……むすめ、娘た、ち……を……』

「娘……あなたには娘がいらっしゃるのですね」

『わたし、が……わたしが悪いの……み、な……わ、たし……わたし……が、あ、ああアぁあぁぁぁぁああああ゛あぁぁ!!』


 突如奇声を上げた女は身体を折り曲げその場に崩れた。

 咄嗟に支えようと両手を伸ばすも両腕はすり抜けてしまう。
 されど────。


『お前のような醜女、端から要らぬわ』

『お前の持つ金山が手に入れば最早お前に用は無い』

『心配するなよ。お前の娘も、じきに追いつくさ』

『精々、来世の顔を夢見て巡ると良いさ』


 女のものではない声が、頭の中に流れ込んでくる。



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