幽谷が新しい依頼を任されたのは、それから二日経ってのことだった。

 諸葛亮と共に、夜国の南に隣接する蛇国(だこく)へ向かう。
 依頼の内容は、蛇国のとある村で、人語を解する複数の妖が、夜な夜な不穏な言葉を吐きながら村を徘徊するその原因を突き止め退治して欲しいとのことだった。依頼主は、夜国に住む件の村の住人と近しい男である。蛇国に嫁いだ友人夫婦の手紙から彼らに危険を感じ、ギルドに依頼を出したのだ。

 本来は封統や周泰が適任だったが、生憎と封統は単身他国のギルドへ使いに出ている。周泰も先日の依頼から戻ってきていない。いや、それ以前に国に到着しているかも分からない。
 なので、そう言ったことには人より敏感な幽谷に話が回ってきたのであった。

 蛇国を訪れるのは、双方初めてではない。隣国故に、頻繁に依頼を受けるのだ。

 蛇国名産の、蛇の鱗のような模様が特徴の『蛇這わせ』という林檎が広く栽培される地域を南に縦断した先の山の麓に、その村はある。
 毎夜妖が徘徊しては不穏な言葉を吐いていくという怪奇の所為か、村には生気が無い。暗く澱んでいるのは、妖の残り香が要因と言う訳ではないだろう。


「これはまた……更に妖を引き寄せそうな陰気だな」


 村に入るなり、諸葛亮は叡智(えいち)を湛えた目を細めた。
 幽谷は彼の隣で村を見渡し、無表情に歩き出す。


「村長のお屋敷は、村の奥でしょうか」

「西の方に見違えて大きい家屋があるだろう。あそこだ」

「……あれ、ですか?」


 幽谷は足を止めた。
 諸葛亮の示した家屋は確かに他の民家の二倍の広さを持つであろう。加えて二階建てで、横には同じ程の大きさの蔵がある。
 一見、あれが村長の屋敷であるように見えるが……。

 あそこだけ……妖の残り香が濃いような気がする。
 妖の残り香とは言えど、嗅覚で認識している訳ではない。幽谷や封統の感覚で感じ取った気配が、臭いのように感じられるから残り香だとしているだけだ。

 まるで、つい最近まで妖があの屋敷の中にいたかのように、一際濃かった。
 村長の屋敷を見据えたまま沈黙する彼女に、諸葛亮は冷静な表情で声をかけた。


「早速、何か感じ取ったか」

「……村長のお屋敷が、一際妖の気配が濃く感じられます。気を付けた方がよろしいかもしれません」

「そうか。分かった」


 諸葛亮は頷き、幽谷の前を歩く。
 それに続き、幽谷は外套の下で匕首を握った。妖はいないとは思うが、念の為だ。何か遭ってからでは遅い。

 村長の屋敷の戸口を前に、諸葛亮は「誰かいるか」と声を張り上げた。

 ややあって、引き戸が何度かつかえながら開いた。開けたのは四十代と思しき女だ。げっそりと窶(やつ)れて濃い影が落ちた目が、ぎょろりと幽谷達を睨んだ。本人にそのつもりはないのだろうが、卑屈な形相に睨めつけられ幽谷は一瞬怯んでしまった。

 しかし、諸葛亮は動じた様子も無く、


「夜国のギルド、狐狸の者だ。この村に起こる怪異の解決を任された。村長に詳しい話を聞きたいのだが、ご在宅か」


 女は胡乱げに諸葛亮と幽谷を見た。


「父は――――いえ、村長屏尚(へいしょう)は今、心労で臥(ふ)せております。話を出来る状態ではありませぬ故、私で良ければ話しますが」


 丁寧な言葉遣いではあるが、口調は突っ慳貪だ。全く信用されていないのが端々から伝わってくる。
 諸葛亮は頭を下げ、頷いた。

 女に招かれて屋敷に上がり込むと、幽谷は唐突に眩暈に襲われた。よろめいたのを諸葛亮に抱き留められ、顔を覗き込まれた。


「妖の気に当てられたのか」

「……恐らくは」


 屋敷に入って、ぐんと濃くなった。
 そして、己の認識が間違っていたことを悟る。
 これは残り香ではない。屋敷に発生源がいて、屋敷から漏れ出たそれが村に充満しているのだ。村人達の陰気も相俟(あいま)って、村全体を不気味に暗くさせている。


「行けるか?」

「大丈夫です」


 間近で頷いてみせると諸葛亮は一瞬だけ心配そうに眦を下げ、幽谷を放した。隣を歩けと指示し、怪訝そうな女に謝罪する。

 女に案内された客間には、一人の少女が席(むしろ)に座って人形遊びに興じていた。無邪気に可愛らしい声が、鈴の音のように空気を震わせた。
 愛らしいこと――――幽谷がその小さな後ろ姿に表情をほんの少しだけ弛ませた直後、女が突如として奇声を上げた。


「筍(しゅん)!! あんたどうしてここにいるんだい!?」


 三つ編みにして背中に垂らした髪を掴んで引っ張り無理矢理立たせた。豹変して半狂乱の女は痛がる少女に黙れと怒鳴りつけ右に左に三つ編みを引っ張る。終いには少女を力一杯蹴りつけた。
 幽谷がたまらず女の手を掴んで強引剥がして少女を抱き締めた。女から離すと、少女は大音声を上げて泣き出した。

 宥めようと屈んで顔を覗き込み――――息を呑む。


「これは……」


 諸葛亮も後ろで言葉を詰まらせる気配。

 幽谷は頭を撫でながら女を見上げた。

 目を剥き、一層酷い形相になっている女は、恐れ戦いた風情で少女を睨めつけている。幽谷が少女を放したその瞬間にでも殺してしまいそうだ。
 幽谷は少女を抱き上げた。女の側にこの少女を置いていてはいけない。そんな気がした。


「諸葛亮殿」

「ああ。話は私が。お前は外に待機していろ」


 諸葛亮に会釈し、幽谷は少女の手を引いた。


「外で、私と遊びましょう」


 単調な声音で言うと、少女はぎょっと幽谷を見上げ、ぐにゃりと顔を歪めた。
 喜んでいるのだ。本人は笑っているつもりなのだ。身にまとう気配で、何とは無しに察せられた。


「お姉ちゃん、遊んでくれるの?」

「私でよろしければ」

「……ありがとう」


 なんて、哀れな子。
 喜んでも喜んでいる風には見えない。どんな表情をしていても、恐ろしく歪んでいるだけだ。


 少女のかんばせは、人のものとは思えぬ程に、形容しがたく醜かった。



‡‡‡




「私ね、お母さんにもお父さんにもお祖父ちゃんにも嫌われてるの」


 こんな顔だから。
 少女は屋敷の裏手を流れる川辺を歩きながら、幽谷に語った。

 少女のこの異常に醜い顔は生まれつきのものだった。
 こんな顔だから友達もいないの。誰も近付いてこないの。皆みんな私を見ると石を投げてくるの。村がこうなったのは私の所為だって皆言うの。私……好きでこんな風に生まれた訳じゃないのに。私は悪くないのに。
 貯め込んだ感情を静かに吐露(とろ)して、少女は足を止めた。幽谷に抱きつき、啜り泣き始める。

 泣き出した少女に困惑した幽谷はどうするか考え、背中を撫でてそのまま落ち着くまで待った。

 少女にとっては、幽谷が初めての遊び相手であり、怖がらない初めての人間であった。
 確かに、徒人(ただびと)からすれ少女の形相は非常に恐ろしい。けれども幽谷は、それ程恐ろしいとは思えなかった。

 落ち着いた少女は、にっこりと顔を歪めて幽谷の手を握った。


「あのね、この川の先に綺麗な泉があるの! あのお兄さんのお話が終わるまで、そこに行っても良い?」

「分かりました」

「ありがと、お姉ちゃん!!」


 少女は、顔に似つかわしくない愛くるしい声を張り上げた。
 子供らしく無邪気で純粋な少女なのに、一体どうしてこんな風に生まれてしまったのか。こんな醜い顔でなければ、誰からも愛されたかもしれないのに。
 本当に、哀れな子。

 幽谷は彼女の頭を撫で、色違いの目を細めた。



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