広大なる世界、ハペサルーシャ。
 五つの大陸から成り、それぞれ異なる文化、言語を持って独自に繁栄を極めた。

 大陸の中で最も広大な覇終(はしゅう)は、東北の海に鎮座し、約十七の国、約四十の民族を抱え、肥沃な大地に豊富な資源を持つ。
 嘗(かつ)て覇終を統一した夜国(やこく)は、覇終帝の宰相を王として大陸の約三分の一を占める。
 各国の自治を認めつつ、三年に一度、王を集め会議を開き近況を把握し夜国の王が帝の名の下に統括する。が、指示は漠然が主流。細かい判断は各国の要人に委ねられた。

 商業や宗教の自由を許したこの大陸には、他大陸の文化も混ざり、様々な人種も集まった。

 ハペサルーシャ一の繁栄を見せる覇終。

 しかし、その覇終にも貧富の差は当然存在する。
 為政者の手の届かぬ領域は、各地に点在するギルドに全て委託された。
 ギルドは他大陸の文化を取り入れ各地で発足した組合である。国に与(くみ)せず、ギルド同士で繋がりを持ち、依頼をこなすギルドメンバーを所属ギルド関係無くサポートし合う。
 意に沿わぬ国の命令には決して従わないが、覇終全国に認められた民間専門の万屋(よろずや)のようなものだ。

 これは、その無数に存在するギルドの中で、最も名の売れた、しかし小さな規模を維持する特殊な傭兵ギルドの物語である。



‡‡‡




 じゃらりと、革袋の中で硬貨がぶつかり合って耳障りな音を立てる。
 こめかみから狐のような獣の耳の生えた幽谷はそれを確認し、目の前の建物を見上げた。

 目の覚めるような赤い瓦が目立つ、この街では最も大きな四階建ての旅籠(はたご)だ。戸口の横には湾曲した分厚い木板に《狐狸宿》と焼き印が入れられた物が吊り下げられている。その下で揺れる真っ赤な風鈴は営業中の証だ。

 幽谷はそれを確認し、戸に手をかけた。がらりと開けて敷居を跨げば、「いらっしゃい」と優しい声が迎えた。


「ただ今戻りました」

「……おや、幽谷」


 正面の受付に端座して書を読んでいた細目の青年が、柔和な笑顔で会釈した。

 幽谷は拱手して受付の前に立つ。


「お帰りなさい。訊くまでも無いとは思いますが、今回の依頼はどうでしたか」

「無事遂行致しました。依頼人に負傷はありません」


 青年は分かりきったことかと、しかし安堵した風情で頷いた。


「お疲れ様でした。では、報酬はこちらで。後程あなたの分を渡しますので、今日はゆっくり休んでおきなさい。関羽さんに頼んでお風呂を沸かしていただきますから」

「失礼致します、恒浪牙殿」


 幽谷は深々と一礼し、受付の台に革袋の載せて右手の壁に取り付けられた扉に手をかけた。

 ここは旅籠を兼ねた傭兵ギルドだ。
 覇終でもなかなかに名が売れており、民間だけでなく弱小ギルドから協力の依頼も多く寄せられる。
 ギルドリーダーは先程の旅籠の経営者恒浪牙。覇終の辺境に住む閉鎖的な種族にも太いパイプを持つ、愛妻家の食えない男だ。

 幽谷は彼の妻の伯母の薦めで、メンバーとして所属し様々な依頼をこなしている。

 受付横の扉の向こうには、幽谷を含むギルドメンバーが居住する部屋がずらりと並ぶ。
 中に入れば、狭い通路が左に延びる。右手の突き当たりには有名な偉人が書いたと言う非常に高価な掛け軸――――という話だが、幽谷にはただ蚯蚓(みみず)か蛇がうねっているようにしか見えない――――が掛かっている。

 人一人が通れるくらいの通路を歩けば、右の壁に一定の感覚で引き戸が並んでいた。
 幽谷はその五番目の引き戸の前で足を止め、入室した。

 二段になった寝台と、必要最低限の調度品のみを置いた質素な部屋には、明るい赤髪の先客がいる。
 木造の、椅子に腰掛け武器の手入れをしていた彼は、ちらりと幽谷を一瞥し、ただ一言「戻ったか」と。


「はい。ただ今戻りました、兄さん」


 兄――――周泰。
 共にこのギルドに加入し、血の繋がらぬも幽谷の面倒を見てくれる彼は、とても無口だ。
 だが、その無表情の下では妹の帰還を喜んでくれていることを知っているから、素っ気ない態度でも幽谷は嬉しかった。

 幽谷はほうと吐息を漏らし、寝台に腰掛けた。

 その時に気付いたが、周泰の足下には小さな革の鞄がある。
 このギルドでは、メンバーは依頼をこなす際には己の荷物は最小限に留めておくから、恐らくは周泰も依頼を受けたのだろう。

 幽谷の推測を察したか、周泰は短く、


「張飛と共に、産国(さんこく)へな」


 産国は西に三国を挟んだ先にある、覇終一巨大な湖、翁湖(おうこ)を中央に持つ国だ。この夜国からは遠い。


「そこまで遠出となりますと……商人や貴族の護衛ですか」

「人捜しだ。多少、時間がかかるだろう」

「そうですか。お気を付けて」


 周泰は得物の手入れをしながら頷いた。

 と、引き戸が開かれ、闊達(かったつ)そうな少年が飛び込んでくる。その頭には、髪と同じ茶色をした本物の猫の耳が生えている。
 周泰が共に依頼を受けたという、猫族の少年張飛である。

 彼は幽谷に気付くと、おっと目を瞠り、すぐに笑った。


「よお、幽谷。戻ったんだな。お疲れ」

「ありがとうございます、張飛殿。兄と共に産国へ行かれるのだとか」

「おう。人捜しにな」

「お気を付け下さいませ」

「分かってるって。周泰、そろそろ出発しようぜ」


 張飛が声をかければ、周泰は頷き立ち上がる。得物を片手に荷物を持って歩き出した。幽谷の脇を通り過ぎ様、


「なるべく早くに戻る」


 そう、ぼそりと呟いた。

 瞬間幽谷の左右に生える獣の耳がぴくりと震え、僅かに上を向いた。
 それは目に見える程の変化だったようで、張飛が笑って幽谷の耳を見ていた。

 咄嗟に耳を押さえるが、今更やってももう意味の無いことである。


「じゃあな、幽谷。またすぐに依頼を受けることになるだろうし、今のうちゆっくり休めよ」

「……はい」



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