壱号





『――――と、言う訳で。壱号と弐号、参号は澪と漣の捜索を頼むね』


 にこやかに、和泉は言った。

 澪の捜索。その簡単な言葉だけで難易度がひしひしと身を縛る程に伝わってくる。
 あの獣の少女を、漣の助けも無しに捜すなどと――――広大な草原の中に放たれた鼬(いたち)を捕まえるようなものだ。この三人で上手くこなせる筈がない。
 助け船を出すように源信が助言をくれなければ、きっと全力で拒否していたと思う。ちなみに源信は指名で依頼が来ている為に同行は出来なかった。

 彼曰く、澪は昨夜糺の森に出かけたきり戻らないのだそうだ。そのまま森に入り浸っている可能性がある。今回は珍しくそれが長引いているのかもしれないとのことだった。

 とはいえ、それでも捜すことは非常に難しい。
 壱号は澪と漣の故郷は、正しくは現の糺の森ではないと晴明から教えられていた。
 糺の森に折り重なるようにして存在する、不可侵の聖なる異空間。そこが彼女らが育った故郷。
 そこは完全に未知の領域だ。入れば最悪迷い、自分達が出られなくなってしまうかもしれない。それは非常に面倒である。

 加えて――――あそこは《あれ》の縄張りだ。壱号と弐号が簡単に出入り出来るような場所ではない。結局は参号のみが入ることになる。
 晴明もそれが分かっているだろうに、どうして自分達を寄越したのか……否、糺の森にいないことを考慮してのことだったのか。


「後輩、お前はこっち、ボク達はあっちを捜す」

「うん。分かった。じゃあお願い!」

「気を付けるんやで、参号」


 手分けして捜すと思ったのだろう、参号は別段異論を唱えることはせず素直に石段を登っていった。
 壱号は首筋を撫で、弐号に目配せする。頷くのを見てから、ほぼ同時に、違う方向へ歩き出した。

 来る際に通った茂みに分け入り、彼女の姿を捜す。森の中に、彼女の赤い着物はよく見える筈だ。


――――だが。
 一刻程捜しても件(くだん)の二匹は見つからない。


「何処に行ったんだ、あいつ……」


 一旦鳥居の方へ戻ってみたが、弐号も参号もいない。まだ見つかっていないのだ。
 これで糺の森におらず、しれっと仕事寮に戻っていたら一発拳骨を落とさなければ気が済まない。
 壱号は再び茂みの中へ入った。

 さっきよりも参道から離れて捜そう。そう思って足早に奥へ進んでいくと、ふと聞き慣れた不吉な鳴き声が三度間隔を置いて耳を掠めた。
 誰だ、なんて考えずとも分かる。毎日のように聞いている特徴的な声だ。

 壱号は声を張り上げた。


「漣、いるのか!?」


 応えるように、今度ははっきりと声が聞こえた。
 今度は何処か緊迫した声音に壱号は眉間に皺を寄せた。漣がこんな鳴き声をするのは、澪が危険な状態にあるからだ。
 壱号は声の方向をしっかと見定め地を蹴った。漣のもとへと急行する。

 そして――――小川の畔(ほとり)でもがく大きな獣を見つけた。その下の砂利を赤く染め上げているのは、血だ。


「漣!!」


 駆け寄って漣を見下ろした壱号は、ぎょっと目を剥いた。

 澪も側に座り込んでいる。

 漣の太い左足と、澪の右足。
 それぞれに、深々と獣用の罠が食い込んでいたのだ。漣は暴れているが故の傷だろうが、澪は漣程酷くはない。漣が大人しくするように言っていたのだろう。肉に食い込んではいるものの、辛うじて皮膚は破けてはいなかった。

 これでは帰ろうにも帰れない筈だ。
 壱号は漣の側に座り込み、罠を調べる。そっと足を気遣い両手で刃を持ってぐっと力を込めて開いてやった。
 途端、漣は俊敏に立ち上がり、左足を庇いながら壱号に近寄ってすり寄った。
 それを撫で、壱号は同様に罠を外してやる。

 壱号でも容易く取れるのだから、澪に外させれば良かっただろうに……。
 そう思いつつ漣を見やると、漣は肩を落として、分かりやすいくらいに安堵していた。
 どうやら罠にはまっている間に何かあったらしい。

 座り込んできょとん見上げてくる澪を呼び、壱号は背を向ける。


「帰るぞ。源信達が心配してる。……って、漣お前、歩けるのか?」


 肯定するように、漣は鳴いて足を庇いながら参道の方へ歩き出す。
 それを見つめ、壱号はまた肩越しに振り返った。
 澪の左足にくっきりと残った痣が目に留まる。

 長い時間強い力で圧迫されていたなら、痣が出来て当然か。
 これで歩かせると――――源信達が五月蠅そうである。
 獣同然なのだからこれくらいどうってことないだろうが、仕方がない。
 これは過保護な奴らが五月蠅いからなのだと、そう《言い訳》をして壱号は吐息をこぼした。澪の前まで退がり、身を屈める。


「いちごー、おはよう」

「……もう昼だけどな。取り敢えず帰るぞ」


 仕事寮の人間に背負われたことは沢山ある。体格の問題で専ら源信かライコウだったのだけれど、壱号だって澪くらいの身体を背負えるくらいの膂力(りょりょく)はあった。
 背負われると分かった澪は神妙に壱号の背中にのし掛かり、首に腕を巻き付けた。その時左足を庇っていたのは、感触で分かった。庇う程度には、痛かったのだ。

 足を抱えて声も無くすんなりと立ち上がる。
 先を歩く漣に無理をするなと声をかけて、参道へと戻った。



‡‡‡




「大変だったんだね、漣」


 弐号を通訳に、源信から手当てを受けた漣から事の次第を聞いた和泉は、苦笑混じりに澪の世話役の彼を労(ねぎら)った。

 あらましはこうだ。
 糺の森で一夜を明かし源信のもとへ帰ろうとした今朝方、澪が熊を見つけてじゃれ合っていたところ、漣もそれに強制参加させられた。
 漣は人間が仕掛けた罠があるからと気を付けていたのだけれど、それでも澪が自由に遊びすぎ、罠に引っかかってしまう。
 臆病な熊は驚いて逃げ、漣はそれにぶつかってよろめいて罠にかかってしまった、と。

 更に澪が漣を助けようと罠を掴んでそのまま下に引き抜こうとした。彼の怪我は、澪がやらかしたものだったのだ。
 だから彼は澪に何もさせていなかったのだった。

 とどのつまり、漣はどうやら厄日だったらしい。


「……晴明に祓ってもらったら?」

「逆に祓われるだろう。――――おい、こっちに来るな」


 晴明に突っ慳貪に拒絶され、漣はしゅんとその場に伏せる。それを慰めるように、参号が頭を撫でてやった。


「でも良かったね。大事にならなくて。澪と漣の怪我も、思ってたより酷くなかったみたいだし」

「ええ。ご苦労様でした、漣。後で美味しいお菓子を買ってあげましょう」


 ふるり。蛇が揺れた。少しは喜んでいるようだ。

 ところで、漣を痛めつけた本人はと言えば、だ。


「……」


 壱号は半眼に据わらせた目を下へと向ける。
 己の真っ赤な衣に包まれた膝には、黒い頭と黄色い球体が載っている。弐号を銜えたまま眠る澪である。
 彼女は仕事寮に着いた途端、壱号の膝を枕に睡眠を取り始めたのだ。悪気は全く無かったとは言え、自分が漣を痛めつけておいて……本当に、呆れ返る。


「今日は密仕は無いし、澪が起きるまでゆっくり過ごそうか」

「……では、わたくしはお茶を」

「わたしも手伝います」

「ああ、壱号はそのままで」

「……」


 苦々しく顔を歪めると、和泉も源信も、そしてあろうことかライコウも、微笑ましそうに笑う。

 壱号は三人をきっと睨めつけてた。不本意な状況なのだと剣呑な視線で訴える。
 けれどもそれは伝わらない。いや、伝わっているのだろうが、照れ隠しだと判断されている。

 それもその筈だ。
 その手だけは、優しく澪の頭を撫でているのだから。



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