アルフレート





 帰りに立ち寄った市場に珍しい物が売ってあった。
 カトライアの店棚に陳列されたのは、恐らくは二年振りではないだろうか。
 《あれ》を作ればティアナもロッテも喜ぶ。ケーキやクッキーと違って油を使わないから太らないし。

 そんな気まぐれを起こし、有間はその日の売り上げで必要な分を買い揃えて帰宅した。丁度明日は休みだ。ロッテのパン屋に届ける余裕もある。


「ただいまー」

「お帰りなさい、アリマ」


 リビングから現れたティアナは、有間の腕に抱えられた紙袋にきょとんと首を傾けた。が、有間が「こなしと、きんとん」と言えば途端に表情を輝かせる。両手を合わせてはしゃぎだした。


「材料があったのっ?」

「うん。今回は結構多めに仕入れたみたいでね。食用色素も種類が豊富になっていたからね。前よりは多く作れるんじゃない?」


 ティアナに荷物を手渡し、台所へと向かう。市場に寄った所為で遅くなってしまったので、マティアス達は先に飯を食べてしまったらしかった。
 リビングで優雅にくつろぐライオンを蹴りたくなりつつ、空腹を優先させて扉を開けた。

 ダイニングテーブルに置かれた有間の分の食事は、冷めてしまっている。湯気が立っていなかった。温め直すかと問われたが、面倒なのと空腹に耐えられないのとで断った。

 ティアナは有間が食事を始めたのを視認し、受け取った材料をしまう。


「じゃあ、有間。このまま保管しておくわね」

「うん」

「大変なら私も手伝うけど……」

「ああ、良いよ。手汚れるし。それよりも朝のうち小豆を全部使って餡(あん)を作るから、ロッテのパン屋に持ってっといて。久し振りに餡パン作れるでしょ。和菓子も出来上がり次第持ってってもらうよ。朝早く起きてもらうことにあるけど」


 ティアナは少しだけ残念そうに頷いた。一緒に作りたいのだろうけれど、教えながらというのは非常に面倒臭いので我慢してもらう。


「そのくらいなら大丈夫よ。もし何か手伝うことがあるなら遠慮しないでね」

「じゃあ、明日は夕方までマティアス達が台所に入らないようにしといて。あいつら動物だから」

「分かった。伝えておくね」


 今から楽しみなのだろう。ティアナは上機嫌で向かいに座った。ヒノモトの花だけでなくこちらの花も作れるか、そんなことばかりを嬉々として訊ねてくる。
 初めて作ってやった時もこんなだったなあ。
 当時のことを思い出しながら、苦笑混じりにティアナの話に付き合った。



‡‡‡




 有間の言う《こなし》・《きんとん》は、和菓子の一種である。

 こなしはまず主原料の白餡を蒸し、水分を抜いた物に薄力粉を混ぜて蒸し上げる。それをまとめて、シロップを加えながら固さを調整し揉みこなす。最後に色素などをつけ、餡などを包み様々な成形すれば完成である。

 きんとんは、蒸した山芋を裏漉(うらご)しして砂糖と炊いた物、白餡を寒天で固めた物、白餡を求肥(ぎゅうひ もち米の粉を水で練って湯がき、火の上で砂糖を加えて練った物)で繋いだ物などを着色し、裏漉しによってそぼろ状にする。そして餡などの芯に植え付けるようにまぶして仕上げる。

 どちらも季節を多彩に表現し、美的感覚、味覚で堪能するヒノモトの伝統的な菓子である。

 それを有間が本の知識だけで作ったのは三年前のこと。ティアナがロッテと珍しく喧嘩して家の空気が悪くなったのに、有間がこれを作って二人に与えて仲直りを促したのだった。その時は簡単な花をあしらった雑な出来映えな上味もいまいちだったけれど、二人は珍しいヒノモトの菓子というだけあって大層喜んだ。

 それからは市場に材料が出ればその度に作ってやったものだが、すぐに取引上の問題によってたった一年間、数回だけになってしまった。
 最後に作った物は、それなりにましな形を作れたのだけれど、今はそれ以上の物を作れるかどうか――――。


「――――と、こんなもんか」


 失敗しても良いように材料は多めに購入していたが、それも杞憂だったようだ。
 味もまあまあ、成形もそれなりには出来た。本から得た知識だけで作ったのだから、無論本職の人間には遠く及ばないが、一般人のレベルとしては普通の出来だと思う。

 ティアナに頼んで買ってもらった紙製の箱に和菓子を詰め、彼女を呼ぶ。
 完成を待ち望んでいたティアナはすぐに部屋に飛び込んできた。


「出来たのっ?」

「一般人レベルで極普通のもんだけどね。ほれ、これロッテん家の分」

「ええ! あ、まだ食べないでね!」

「へいへい」


 ひらりと片手を振って、壊れてしまわないように部屋を飛び出すティアナを送る。

 それからややあって、少しだけ開いたままになった扉からエリクが顔を出した。


「アリマ、ヒノモトのお菓子作ってたの?」

「ん? まあね」


 ぴんと耳を立てるエリクは物欲しそうに有間を見上げてくる。

 有間は苦笑した。予想していたけれど、どうしたものか。テーブルを振り返って失敗作を手に取った。懐紙に包み、エリクに手渡す。


「失敗作だから持って行って良いよ。ただし、咽に詰まらせないようにと、味に文句を言わないように」

「うん! 分かった、ありがとーっ!」


 エリクは丁寧にお辞儀をして、大事そうに菓子を抱える。そして、ぱたぱたと尻を揺らしながら走っていった。
 失敗作で喜ぶか、エリク。いや、不味いのではないけれども。
 くあ、と興味の無いマティアスが欠伸したのを目の端に認め、有間は扉を閉めようとした。

 が、


「アリマ、すまないが咽が渇いたのだが、入っても良いか?」

「ん?」


 狼のアルフレートが寄ってきた。
 ……まあ、完成品に布を被せておけば良いか。
 アルフレートを招き入れ、水に濡らして固く絞った布巾を和菓子に被せる。
 その間に和菓子を見たのか、アルフレートはテーブルに近寄って感嘆の声を漏らした。


「凄いな。……確か、こなし、と、きんとんと言ったか?」


 有間は瞠目した。


「知ってるんだ」

「以前、一度だけ目にしたことがある。観賞用とばかり思っていたが……食べれるんだな」

「ティアナが戻ってきたら食べる? ほぼ砂糖だから甘ったるいけど」


 アルフレートは首を左右に振った。


「いや、遠慮しておこう。ティアナに怒られそうだからな。だが、もう一度見たい」

「あー……ま、良いか。その代わりあまり身体を動かさないようにね」

「ああ」


 一旦は被せた布を取り去って、椅子を引いてやる。飛び乗ったのを視認して有間は水をスープ皿に入れて前に出してやった。


「ほら、水」

「すまない」


 中身は人だのに、難儀なことだ。
 狼よろしく――――実際狼の姿なのだけれど――――水を飲むアルフレートを眺め、有間は向かいに座って自分で入れた煎茶を飲む。


「大変だねえ、あんたらも」


 動物の身体ってのも勝手が悪いだろ。
 そう言うと、彼は感慨深げに首肯した。


「そうだな。一刻も早く元の身体に戻りたい。満足に鍛錬も出来ないのは、困る」

「……その狼の身体でしようとするのはどうかと思うよ」


 見てるこちらは違和感が半端ない。
 心底から本音を漏らすアルフレートに苦笑し、有間はお茶を啜る。

 アルフレートは顔を上げて再び和菓子を見渡す。


「ヒノモトではこうした和菓子で季節を表すそうだな」

「ん? うん。本職の人はこんな子供の工作ってもんじゃない。葛や飴細工も使ってこのテーブル大の皿にテーマに沿った盛りつけするなんて途方もないことをする人もいるし。まあ、うちは気まぐれで作ってる程度だし、芸術的センスが欲しいならヒノモトへどうぞ」

「いや、こちらの方が親しみがあって良い。武一辺倒のオレには芸術はよく分からない。だから、こういう飾り気の無い作品の方が好ましいし、微笑ましく思えるんだ」


 有間は緩く瞬きした。すっと目を細める。
 この言葉、ティアナ達も言っていたなあ。
 完成された芸術作品よりも、こういう素朴な手作り感が表に出た物の方が温かみがあって好きなのだそうだ。


「アリマ、気に障ったか?」

「いや、ティアナやロッテも似たようなこと言ってたから懐かしかっただけ。取り敢えずありがとう」


 苦笑したまま、またお茶を啜る。
 それから暫くは、専ら有間の作った和菓子の形についてだった。
 ヒノモトの花だの、カトライアの花だのと一つ一つ訊ねてくるのも昔のティアナやロッテにそっくりだ。

 懐旧の念に笑みをこぼしながら、有間はその時のようにアルフレートの問いに答えていった。

 それは、ティアナが戻るまで続いた。

 急いで戻った彼女が、先に話を聞いたアルフレートにずるいと唇を尖らせるのは、言わずもがなである。



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