諸葛亮


※注意


 貪欲に生を求めた。
 木の根も、動物の死体すらもむさぼり食った。
 生きる為なら何だって出来た。

 人間としての矜持なんて、両親の死体と共に打ち捨てていた。

 ただただ生きながらえるその本能的欲求を満たす為に、餓えた獣と化した私は、醜く死に抗い続けた。
 未来のことなんて考えなかった。

 当然のことだ。
 獣に、それ程のことを考える知能は備わっていないのだから。



‡‡‡




『――――それ以上食べては駄目だ。病気になる』



 ……。


「だあぁぁ!! 待て蘇双ー!!」

「張飛朝っぱらから五月蠅い」

「誰の所為だ誰のーっ!!」


「……」


 嗚呼、朝っぱらから外が五月蠅い。
 余韻の微睡みに浸っていた○○は寝具をはね退け外に飛び出した。不測の事態に備えて武装したままであるから、特に問題は無かった。

 すぐ近くに張飛の後ろ姿を認め、彼女は力強く地を蹴る。


「ちょぉぉひぃぃいいいっ!!」

「へ? ――――ぉうわあぁぁぁっ!?」


 振り返った瞬間に彼の顔面に彼女の靴底がめり込む。
 そのまま倒れ、○○は張飛に馬乗りになった。顔を押さえて転がろうとする張飛の頭を鷲掴みにし、にぃっと口角をつり上げる。


「人の目覚めを邪魔するたぁ、良ーい度胸してんじゃねえか青二才が、ぁあ?」

「○○。口調が戻ってるよ。騒いだのはごめん」

「おっと失礼。蘇双は良いよ。そこまで五月蠅くなかったし」


 仕置きに張飛の鼻毛を一気に数本抜いてやり、○○は腰を上げた。ひらひらと振って鼻毛を落とす。蘇双からすっと手拭いが差し出されたので、有り難くそれで拭いた。鼻毛を抜かれた張飛は今度こそ悶絶して転がっている。


「○○。今日は遅いね。いつもはボク達より早いのに」

「今日はね。ちょっと夢を見てそれで少し起きるのが遅かったんだと思うわ」


 起き抜けでぼさぼさの髪を手で梳きながら、○○は肩をすくめる。短く切り揃えた髪と、すらりと肉の少ない細い長身の為、一見すると痩せ形の男性にも思える。辛うじて、胸の防具の留め具が花の形をしていることなどの細微な部分から察せられる程だ。
 面立ちも血の繋がりこそ無いものの蘇双と少し似ており、それも手伝って性別を茶々される者としてとても仲が良かった。

 悶える張飛を眺めつつ、今日の天候についてなど他愛無い話をしていると、


「お頭ー! 起きたんなら天幕片付けちまいますよー」

「おー。頼むー」


 屈強な身体の男達の声がかかる。
 それに笑顔で返し、○○は周囲を見渡した。……ああ、もう天幕を片付けている。これは朝餉を貰う暇は無いな。


「もう出発するのか。早いわね」

「まあ、追ってるのが曹操だからね。諸葛亮としてはのんびりしたくないんだと思うよ」


 蘇双の口から出た人名に、○○は渋面を作った。
 それに気付き、蘇双は細く吐息を漏らす。


「……まだ、仲悪いんだ」

「まあ、な」


 仲が悪い……問いって良いのだろうか。
 心の中で自問しつつ、目を伏せる。
 別に、諸葛亮を嫌っているつもりはない。むしろ――――。


「○○」


 その声がした途端、○○は目を開け眉間に皺を寄せた。反射的なものだった。
 肩越しに振り返ると、そこには先程出たばかりの諸葛亮。


「……何か用かよ」


 自然と口調が変わるのに、心の中でしまったと呟く。けれど、出た言葉は戻らない。


「今日から、お前達を隊列の後ろに配置する。お前は私達との連絡役だ。後方に何か異変を察知した時には速やかに知らせろ」

「はあ? あたしらは上から命令されんの、嫌いだって言った筈だろ? 特にお前みたいな頭だけの人間に、あれこれ指図されるのは一番いけ好かない」

「そうか。だが、これは劉備様や関羽にも同意を貰って決めたことだ。拒絶は出来まい」

「……」


 関羽。
 その名前を出されると逆らえないと彼は分かっている。

 ○○にとって、自分よりも年下の彼女は一生かけても返しきれない大恩を受けた相手だった。

 ○○は元々黄巾賊としてあの男達を従えて乱を起こしていた女だ。
 武門の名家ながら没落し、長い放浪の後、叩き込まれた武を以てとある山の山賊を従わせた彼女が黄巾賊に入ったのは、重税に喘ぐ民草を間近に目にしたが故のこと。
 だが、黄巾賊は張角が討たれたことにより離散。○○もまた、残党として道行く裕福な人間を襲っては金品を巻き上げる生活に戻っていた。黄巾賊のことがあっても何ら変わらない世に空虚を感じながら、せめてたまたま新たな根城にした幽州の山の麓にあった村だけでもと強奪に専念していた。

 そんな中、幽州の軍に襲撃を受けた○○達は抗戦するも数に負け散り散りに。○○も深い傷を負って敗走した。

 ろくに手当もせずに傷が元で熱を出し、山の中で倒れた○○を救ったのが猫族の関羽だったのだ。
 たまたま水を汲みに山に入っていた彼女は人間である○○を一族のもとに連れ帰り、甲斐甲斐しく看病してくれた。
 元々猫族に対して偏見も何も――――というより全く興味を持っていなかった○○ではあるが、義を重んじる性格の為に関羽の無条件の仁恵に痛く感じ入り、即座に彼女らに尽くすことを決めた。受けたものは何であろうと必ず返す、そう力強く告げて。
 それから再会した○○の部下も、○○が関羽に大恩を受けたと知るや自分達も恩義を返さんと進んで猫族の助けとなろうとした。官渡での劉備の暴走を見てもなお、だ。

 そんな経緯があって、関羽のことになると○○は弱くなるのだった。

 弱みを突かれて○○は憎らしげに諸葛亮を睨めつける。

 諸葛亮はそれを意に介した様子も無く、「頼んだぞ」と拒絶を許さずに歩き去っていった。

 ○○は舌を打った。


「あの野郎……腹立つ」

「けどさ、○○達に後方を任せるは良い案だと思うぜ」

「てめぇはまだ撃沈してろ」

「うぎゃああぁぁ!!」

「……○○」


 復活した張飛の股間を蹴り上げ、○○は大股に歩き出した。勿論諸葛亮とは別の方向である。
 蘇双達からも見えない場所に至り足を止める。額を押さえて大仰に嘆息した。

 ……嗚呼、どうにも上手く出来ないものだ。
 どうと押し寄せる後悔と罪悪感に○○はまた舌を打つ。
 上手くいかない。
 どうしても、頭としての矜持が誰かに追従するのを堅く拒んでしまう。


「恩人であることに変わりは無いのに……なーんで噛みついちゃうのかしら、私」


 独白しても、答えは出る筈もなく。
 ○○は額を撫でていた手を見下ろした。否、正しくは手首、か。

 そこに残る確かな感触は、○○の中では最も鮮明な記憶かもしれない。

 辛い放浪の中この手首を握ったのは、あの諸葛亮だ。

 今朝見た夢が、脳裏に再び蘇る。
 家が没落した後、両親と共に逃げるように放浪の旅に出た○○は、すぐに独りになった。旅に慣れずに病に倒れた母の死の直後に父も命を絶った。幼い娘を置いて、死んだ。
 それからは地獄だ。
 どうやって生きていたか明確に記憶してはいないが、人にあるまじき物を食べていたのは覚えている。多分、腐敗しきった動物の死体も食べた。生きる為だけに、獣のように貪欲だった。

 その曖昧な記憶の中で際立って鮮明なのは、死んだばかりの人間の肉を食べようとした時のことだ。○○を止め、人間であることを忘れた○○にまた人間らしさを取り戻させたのは、ぼろぼろの服を着て疲れ切った顔をした諸葛亮だった。

 諸葛亮は○○を森の中へ連れて行き、どの木の実を食べると良いか、どのキノコに毒があるかを教えた。彼も急ぐ旅であったようで、一日一緒にいただけですぐに分かれてしまったけれど、その時得た知識は今でも○○の中に残っている。
 大切な、大切な記憶だった。

 関羽と同様彼は○○の恩人だ。それに、異性として惹かれているという自覚もある。
 けれども未だ素直に感謝も言えていないのは、偏(ひとえ)に頭としての矜持が反発しているからなのだった。

 我ながら、情け無い話である。


「一体幾つだっつーんだよ、あたしは……ああ、と」


 また昔の口調になってた。
 後頭部を掻き、○○は唇をへの時に曲げた。

 ともすれば、口調が戻ってしまうのも、早いとこ直さないとなあ……。



‡‡‡




 ……、一つ、言わせてもらいたい。


 関 定 黙 れ。


 ○○は夕餉を食べながら、口角をひきつらせていた。


「またまた、諸葛亮の顔ならモテるだろー」

「……下らん」


 何であの二人の側で飯食ってんだよあたしは。もうちょい考えて場所選べよあたし。
 少し前の自分を恨み、○○は黙って食事を進めた。

 猫族は一日の行軍を終え、川の畔で野営することとした。
 やはりさほど進んではいないようだが、未だ曹操軍は見えない。されども予断を許さぬ状況であることは確かだ。
 そんな中、関定は少しでも皆の空気を新しくしようとしたのだろう。突然諸葛亮に絡んで恋愛をネタに話を始めた。諸葛亮もうざったそうだ。

 が、周囲は興味津々の様子。これは、諸葛亮は逃げられまい。


「諸葛亮、好きな人とかいない訳?」

「……」

「え、無言? マジで? いんのっ? 山暮らしだったのに?」

「山暮らしは関係ない」


 じとり、諸葛亮は関定を睨めつける。

 関定はそれを拗ねたとでも取ったのか。明るい声で謝罪し、話を続けた。


「で、誰よそれ。オレ達の知ってる奴」

「……」

「無言は肯定……と。関羽……じゃねえよな。お前と親しい奴って言ったら――――」


 関定は周囲を見渡し、彼が白状するのを待つように時折視線を向ける。

 暫く口を閉じていた彼も関定の視線がうざったくなったようで、億劫そうに吐息を漏らして口を開いた。


「幼少の砌(みぎり)に死んだばかりの人間の肉を食おうとしていた奴だ」

「ぶっふぉお!!」

「うお!? 誰だ今の!?」

「ちょ、○○汚い!」


 咀嚼していた物を噴き出し○○は激しく咳き込んだ。
 咽元を叩き、「いきなり人間の肉を食うとか物騒な言葉が聞こえたから驚いて……」と誤魔化すように言うと、蘇双が側で呆れたように吐息を漏らした。


「元山賊の武将が何言ってんだか」

「肉食ってた時に言われたら誰でも驚くでしょ!?」


 いや、本当は違うけど。
 呼吸を整え、○○は諸葛亮の様子を窺い――――顔をひきつらせた。


 彼は○○を見て、意地悪げに口角をつり上げている。


 ……。
 間違い無い。

 あいつ――――。



 あたしのこと覚えてやがる!!



「ご、ごめん蘇双。私ちょっと席外すわ」

「川に吐くのだけは止めてよね」

「誰が吐くか!」


 蘇双の頭に手刀を落とし、○○はその場から逃げ出した。



 諸葛亮に図(はか)られたこととも知らずに――――。



‡‡‡




「劉備様。明日からのことで少し思案したきことがございます故、これにて席を外します」


 自身の食事を済ませた諸葛亮は、涼しい顔で劉備に拱手する。

 対して劉備は苦笑いだ。○○の歩き去った方を見やり、小声で諸葛亮を呼ぶ。


「あまり、苛めないようにね」

「……さて、何の話だか」


 嘯(うそぶ)くも、彼は良い笑顔をしていた。
 それを見たのは劉備だけである。乾いた笑声が出てしまったのは、仕方がない。



⇒後書き+レス

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