呂布


※注意
※猫族と会う前に呂布に捕まっていたら(はらさが番外編呂布ifのだいぶ後の話です)。



 消えていく。

 私が消えていく。

 ……いや、元々それが正しかったのだろう。
 私は元々在るべき存在ではなかった。

 これは、一種の自浄作用なのかもしれない。

 消えていくことこそが正しい。
 このまま消えて、


 本来この器を使うべき存在に渡すのだ。




‡‡‡




 どしゃっと倒れた幽谷は全身を焼くような苦痛に身悶えた。大きく口を開けて何かを吐き出そうとひきつった声を漏らす。しかし、己の手で咽を絞めていては出るものも出まい。

 灼熱の苦しみに苦悶するその様を、彼女は大層楽しんだ。
 吐血すればその赤黒さに恍惚の吐息をこぼし、悦楽にとろけるような極上の笑みを浮かべる。一見それは恋に溺れる妖艶な女だが、幽谷は彼女がそんな可愛らしい存在ではないと身を以(もっ)て知っていた。

 凶将、呂布。
 妖艶なる狂女だ。
 そんな彼女に捕らえられて久しい幽谷は、手放してしまいそうになる意識を必死に繋ぎ止め鼻息荒く憎らしげに豪奢な椅子に腰掛け艶めかしい白い足を組んだ呂布を睨め上げた。

 だが、呂布はその姿にすら興奮する。喜ばせるだけだ。


「本当に美しいこと……今まで出会ってきた女の子の中でも最上――――いいえ、彼女達よりも極上ですわ。饕餮(とうてつ)ちゃん」


 薬に溺れてくれていたら、最高でしたのに。
 組んだ足を解き、彼女は立ち上がる。かつかつと足音を響かせて苦しみ続ける幽谷に歩み寄る。
 そして――――仰向けになった瞬間心臓の中央を思い切り踏みつけた。

 幽谷は目を剥き獣のような悲鳴を上げた。

 呂布は歓喜の甲高い笑声を上げた。両手で紅潮した頬を挟み、愉悦に身体を震わせる。


「ああ……ああ……っ! やっぱり饕餮ちゃんは苦しんでいる姿が一番ですわねぇ。今の饕餮ちゃんの顔、わたくし、思い出すだけで興奮して夜も眠れないくらいに大好きですのよ」

「あ゛……ぐ、うぅ……っ」


 嗚呼、憎い。
 毎日のように続くこの凶行。
 地獄の責め苦を全て生きているうちに受けているような苦しい日々。
 死ぬことが出来ないのは、水に漬ければすぐに癒えてしまうこの体質の所為だ。

 死ねば、楽になる。
 このような屈辱を受けずに済む。

 けれど、己の身体からも死ぬことを許されていなかった。

 心臓を剛力で圧迫され、ぼきぼきと肋骨が折れていった。この感覚も、何度目だろうか。
 途方も無い苦痛に、しかし幽谷は己の意識を手放そうとはしなかった。手放せば何をされるか分からない。一度絶入(ぜつじゅ)して目覚めた時などには呂布の寝台で身体を好き勝手に弄ばれていた。あれ以上の屈辱は無い。

 殺してしまいたい。

 殺してしまいたい。

 殺してしまいたい。

 死にたい。

 圧迫感が消えると、呂布は幽谷の身体に馬乗りになり、身体をいやらしく撫でてくる。


「ねえ、饕餮ちゃん。今宵、わたくしと一緒に眠りませんこと? 貂蝉ちゃんがいなくなって、夜が寂しくて寂しくてたまりませんの。饕餮ちゃんだって、寒い牢獄よりも暖かい場所で、気持ち良いことをしたいでしょう?」

「……っ、こ、とわる……」


 二度と、身体を好きにさせるものか。
 頑なに凶将を拒絶する。

 呂布は残念そうに唇を尖らせ、ふと幽谷の首筋を見下ろして「あら」と。
 白くしなやかな手が撫でた首筋には、うっすらと歯形が残っていた。
 これは、呂布が付けたものだ。この部分だけは、歯形が消えぬよう、水に漬けられることは無い。

 呂布は唇を舐めて湿らせ、そこにかぶりついた。


「……っあ゛ぁぁアッああぁあ゛アアァァあッ」


 肉を持って行かれてしまう!
 ぎちぎちと悲鳴を上げる己の身体に幽谷は苦痛も相俟(あいま)って絶叫した。

 伸ばした手は誰へ向けたのか。
 自分でも分からなかった。
 解放されて床に倒れた幽谷は呻き力無く身を捩る。

 呂布はと言えば、至極愉しげだ。口周りに付着した血を舌で舐め取り、うっとりと味わう。

 嗚呼……っ、苦しい!
 憎い。
 憎い、憎い。
 憎い、憎い、憎い。
 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!

 このままで良いのか。
 このまま呂布の好きなようにさせて良いのか。



――――いいや、駄目だ。
 斯様(かよう)な屈辱、まこと許し難し。
 この××××が呂布風情に好きにされたままでいられようか。

 嗚呼、忌々しいことよ。



「ふふ……」


 呂布が唇を這わせ、舌を口内に捻じ込んでくる。
 それに全身を粟立たせながら、苦痛にもがいた。


 もがいて、

 もがいて、

 もがいて――――……。



 彼女は《消えた》。



‡‡‡




「――――あら、饕餮ちゃん?」


 口付けの半ば、全身から力が抜けた幽谷に、呂布は不思議そうに首を傾け身を離した。

 気を失っている。ああ、もう限界だったのか。
 目を伏せ眠っているように気絶している四霊の娘を、呂布は嬉しそうに唇を歪めた。

 けれども背後に気配を感じ、ゆっくりと振り返った。
 その姿を認め、目を細めた。


「あなた……泉沈」

「やあ、呂布。久し振りだね」


 にっこりと微笑む中性的な漆黒の聖人。
 泉沈は呂布に歩み寄って幽谷を見下ろし痛ましげに顔を歪めた。そして、憐れむように呂布に微笑む。

 馬鹿にされたように感じられて、呂布は不機嫌そうに眦をつり上げた。


「どうして《あちら》の可愛らしい姿ではないのかしら」

「すまないね。今回は君に警告をしに来たんだ。……けれど、どうやら遅かったみたいだね」


 泉沈は大股に一歩、二歩と二人から距離を取った。


「呂布。君は妙幻を一度は倒したことがあると思っているようだね」

「ええ。あの黒髪の四霊、遠い昔のことでしたから、それくらいしか覚えていませんけれど。とても呆気なく殺せたのではなかったかしら」

「そうそう。あれなのだけど、実は妙幻ではなかったんだ」


 呂布は胡乱げに泉沈を見上げた。立ち上がって幽谷から離れる。泉沈に向き直った。


「どういうことですの? あれは間違い無く応龍であった筈。記憶が曖昧でも、それくらいは忘れていませんわ」

「……それがね、彼女は面倒だからってその辺の蛟(みずち)に自分の力を与えて四霊の器に入れてしまったんだ。昔君が倒したあの四霊は、その蛟だよ。そして……本物の妙幻は今、四霊として人の世にいる」


 君に警告してあげようと思ったのは、君の為という訳ではないんだ。
 泉沈は苦笑を滲ませ、すうっと消えるように姿を消した。

 呂布は呼び止めようとして、背後で突如膨れ上がった力に動きを止めた。ぶわり。全身の毛穴が開くような感覚に身体が震えた。

 この力――――覚えがある。
 けれどあの時はこんなにも厖大(ぼうだい)ではなかった。
 もっともっと弱々しい、呂布でも呆気無く負かせる程の矮小な――――。


「嗚呼……まこと忌まわしいことよ」


 地を這うような、女の憤懣(ふんまん)の籠もった声。
 漏れた悲鳴は、声にはならなかった。
 振り返れない。

 振り返ればすぐに殺される。壊されてしまう。

 けれど振り返らずとも自分はめたくたに破壊されるだろう。
 《彼女》の、気分によって。

 ごくり。
 息を呑む。ややあってきゅるりと小さな音が咽で鳴った。
 ゆっくりと、首を巡らせた。

 見たくない。

 見たくない。

 見たくない。

 見たくない。



 見 た。



「失せろ」


 短い言葉と共に、青と赤の双眸が妖しく鋭利に煌めいた。



――――暗転。



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