夏侯淵
※注意
腕が痛い。
肘から下の感触が無い。
暗い暗い闇の中、身動ぎし、そこを触って確認する。
――――ああ、そっか。
そうだった。すっかり忘れてた。
私、腕斬り落とされていたんだったわ。
‡‡‡
昔から、私は男運が無かった。
近寄ってくる男と言えば何処か狂気を宿した人間ばかり。私の何に惹かれるというのか、私に言い寄る男は皆、私を辱め、或いは私を苦しめることに気持ち悪い程も歓喜を覚えた。
男運が悪すぎる私を、友人は全員憐れんだ。どうしてそういう男ばっかり寄ってくるの? ――――なんて、私が一番知りたいところだ。母も父も普通の人間だ。ただ、兌州じゃそれなりに有名な飯店を営んでいるだけの。
私の周りの異性は大体そういう奴ばかりだったから、私自身誰かを好きになったことは一度も無かった。むしろ恋愛に関して嫌悪を抱くようにもなった。
言い寄ってきたのをフった男に手痛く処女を奪われたことが一番の原因かもしれないけれど、それ以前から私は恋愛を酷く疎ましく感じていた。
一生恋愛なんてしたくない。
男なんて、気持ち悪い。死んでしまえば良い。
さすがにだからといって同性愛に目覚めることは無かったけれど、私は二十歳を超えた頃にはもう男そのものを毛嫌いして、見るのも嫌になっていた。だから、自然と家に閉じ籠もるようになった。両親も友人も強姦の傷が癒えていないのだと勘違いしてくれたのは幸いだ。誰も私にしつこく構おうとしない。私を腫れ物のように扱い、そっとしてくれる。
このまま男とも会わずに無機質に暮らしていたかった。
外は地獄。一生、出たくなんかない。
――――だからあれは、愚かな一瞬の気の迷いだったんだ。
そしてその気の迷いが、私にまた狂気を寄らせてしまった。
後悔してもしきれない。元の生活は戻ってこない。
私は、本当に男運が無い自分を呪いたい。
「……うぁ……っ」
目覚めて早々に、股からだらりと流れ落ちるモノにぞわりと鳥肌が立った。嗚呼、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。何度も感じている感触にこの嫌悪感は増していくばかりだ。吐き気がする。
服はちゃんと着せていくくせに、処理はしていかないのが物凄くムカつく。
私は、歯軋りして片腕で上体を起こした。
私には右腕が無い。何ヶ月も前に斬り落とされたのだ。
片腕だけで身体を支えながら身を起こすというのは、なかなかに重労働だった。場所が悪ければ石があったりして、最悪それが皮膚を突き破る。
でも、起き上がったとしても私の視界は何も捉えなかった。光の無い空間は真っ暗で、目を開く意味も無い。冷たい石の感触を身体で感じるだけだ。多分、何処かの牢屋なんじゃないだろうか。
出ようと思えば出られる。外に出る為の二つ扉はいつも開けっ放しだから。
けれど出れば見つかった時点で残った左腕も斬り落とされてしまう。右腕を斬り落とされた時の痛みはまだ脳裏にこびり付いたように覚えていて、事あるごとに思い出してしまうから、どんなにこの状況が嫌でも見つかった時のことが怖くて動けないのだった。
ここにいれば、痛くて苦しいことはまず回避出来る。ただ強姦された時みたいに気持ち悪いモノを身に受け入れるだけだ。それすら耐えれば、多忙な彼はあまりここには来ないから、ほんの少しは気が楽だ。
私はだらだらと流れてくる体液に鳥肌を立たせたままえずく。
男なんて気持ち悪い。
何で私あの時窓を開けちゃったのよ。
あそこで窓を開けて外を見なければ、こんなことにはならなかったのに。
毎日毎日、どうにもならないと分かっているのにこの事態を引き起こした私の気まぐれを後悔する。時が戻れば良いのにって、そんなふざけたことを本気で願ったりもした。無駄だと分かっているからすぐに空しくなる。
帰れるものなら帰りたい。
でも、あいつは、とても厄介なんだ。
「――――ああ、何だ。起きてたのか」
鉄格子の向こう――――外へと続く鍵の壊れた扉が開かれ、ようやっと暗闇に光が射し込む。
私は光に目を刺されて瞼を閉じて顔を伏せた。するとすぐに扉は閉まり、松明の光と共に足音が近付いてくる。
牢屋の鉄格子の扉をくぐり私の前に膝を付いて盆を置くのは私よりは少し年下の青年だ。鋭い目を持つ彼は仕立ての良い服を着崩し、少々だらけた印象がある。
彼は夏侯淵という、曹操軍でもそれなりの武将だった。よく友人達との話にも出ていたから、名前と見た目くらいは記憶してる。
そんな私とは一生接点の無い筈だった彼は、私があの日気まぐれに窓を開けたその目の前にいた。
偶然が重なりすぎていたんだ。
夏侯淵は私を見た瞬間、間抜けな顔をした。それからすぐに閉めようとした手を握って強引にこじ開けて名前を訊ねてきたのだ。
気圧されて、小さく○○、と名乗ってしまった私は、次の瞬間には部屋から引きずり出されて気絶させられてしまった。そして気付いたらこの部屋だ。
その日は、彼に手酷く抱かれた。
彼はよく分からない話を私にした。
その話の要点を拾って私なりに解釈するに、私は彼の初恋の人に名前も姿もそっくりなんだそうだ。こんな狂気紛いのことをしでかすくらいだから、きっとさぞ異常な初恋だったんだろう。
病気で死んだらしいが、私は言わずもがなそんな高貴な身分だろう女性とは全くの無関係である。生まれ変わりでもない。彼女が生きている時に私も生まれてるんだもの。
たまたまだ、たまたま。
偶然が重なりすぎて、私はこんな状況に陥ってしまったのだ。
嗚呼、何でこんなに男運が悪いんだ、私は。
「ほら、朝飯。○○、これ好きだったろ?」
「……真逆なんですけど」
私は、豆苗(とうみょう)は死ぬ程嫌いだ。
好きだったろ、なんて、私はあんたの初恋の人じゃないんだってば。その証拠に、彼女の好きな物はほとんど私の嫌いな物じゃないか。
どうして、そんなことも分からないのよこの馬鹿は!
嫌がれば彼は無理矢理に食事を口に押し込んでくる。それを咳き込んで吐き出した。けれどその強引な手は止まらない。
「……止めてってば!!」
耐えかねて怒鳴れば、ようやっと止まる。松明によって照らされた顔を見上げ、私は舌を打った。
泣きそうな顔をしている。途方に暮れた子供のような情けない顔をしている。
けれど、泣きたいのは私の方だ。
初恋の人に似てるからって理由でこんなところに閉じ込められて、孕まされそうなくらいに強姦されて、腕も斬り落とされて――――純粋ぶってんじゃないわよ。
「私は、あなたの言う○○じゃないわ。いい加減気付きなさいよ、この誘拐犯!」
怒りに任せて罵倒する。これも、毎度のことだ。
そして――――ふらりと立ち上がった彼がふらつきながら牢屋を出て行くのも同じ。
また夜に私を犯しに来るのも、毎日のことだ。
嗚呼、いつまで続くんだろう。こんな狂った生活。
いつになったら、私が彼女とは全くの別人だって気付いてくれるのだろう。
嗚呼、鬱になりそうだ。
どうして私、こんなに運が悪く生まれてしまったのよ。
皮膚に覆われ丸くなった腕の切断面を撫で、私は低く唸るような声を漏らした。
それから数ヶ月後。
暗い牢屋の中に、○○の姿は無かった。
⇒後書き+レス
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