張蘇双





「張飛。お袋が呼んでる」


 鍛錬場にふらりと現れた彼女は片割れに面倒そうに告げ、すぐに風のようにふらりと立ち去った。


「おう。ありがとな、○○ー」

「おー」


 張飛の礼に振り返らぬままぞんざいに片手を振る彼女は、○○。張飛の双子の妹である。妹であれど、その性格から実際は張飛の姉のような存在だった。
 張飛とは違って落ち着き飄々とした○○は幼い頃から張飛と同じ環境で育ったとは到底思えない、八面六臂(はちめんろっぴ)の才人であった。その才を以て兄を支えては、愛でるようにからかっていた。

 気まぐれな彼女は張飛と顔が似た為に男寄りの顔をしている。更に自ら邪魔だと晒しを巻いた胸や、男物の服を洒落た風に着重ねた姿を好むとくれば、もはや完全に男だ。関定にも張飛以上の色男と茶化される程、彼女は異性よりも同性を惹き付ける風貌をしていた。
 勿論、母や関羽以上に家事をこなすという女性らしい一面もある。が、それでも張飛と違って同性からも人気の高い○○は、猫族の中では少年らの中で最も男らしいと認識されていた。

 張飛はそのことを別段気にした風も無い。○○の苦手なことも心得ているし、感情の変化にも敏感に反応出来る彼だからこそ、彼女の完璧さも鼻につかないのだった。


「……ああ、関羽。一番上の赤い花ついた奴、毒草」


 すれ違い様、関羽にそう注意する。
 関羽はえっとなって足を止め、○○に言われた山菜を取り上げ振り返る。


「これ毒草なのっ?」

「よく食べる奴と似てるけど花弁の形違うだろ。ああ、あとお前んちの裏手に生えてる楸(きささげ)の完熟していない果実は今の内に採取して切り刻んだ後日干しにしとけ。腎炎・むくみ・利尿に効果ある薬になるから」

「え? あ――――えぇっ、あれ薬になる木だったの!?」

「いい加減気付けー」


 張飛にしたようにぞんざいに片手を振り、○○は村を歩く。ゆったりとした服の左右に取り付けた隠しに両手を突っ込み、すれ違う仲間に声をかけながら適当に角を曲がり――――ふと足を止める。


「○○」

「蘇双か。これはまた奇遇だな」


 くっと口角をつり上げながら、揶揄するように。
 実際は、○○が蘇双の待ち伏せに乗ってやっただけの話だ。

 それが分かっているから、井戸に腰掛けた蘇双も嫌そうに顔をしかめていた。



‡‡‡




「……ああ、もうじき通り雨が来るだろうな」

「よく分かるね」

「まあ、な」


 雲の様子と臭いの状態を記憶と照らし合わせれば造作も無いことさ。
 肩をすくめて言う○○は蘇双に背を向けて歩き出す。

 それに、蘇双も従った。


「○○」

「……」

「○○」

「……」

「○○ってば!」

「何だ、蘇双」


 肩越しにも振り返らずに彼女は応えを返す。


「ああ、言っておくが『好きだ』の類はもう聞き飽きた。もうそろそろ別の話題を出してくれないか」

「……そんな毎回言っている訳じゃないだろ」

「そうだったか?」

「……、……多分」


 自信は無い。
 蘇双は振り返られた訳でもないのに気まずそうに顔を背けた。


「お前も諦めが悪い。一目惚れが……まあ個人差によるが、至極厄介であろうことは理解してるけどな」

「諦める訳がないだろ。嫌いと言われた訳でもない、拒絶されている訳でもない。ただボクの言葉を無視するだけ。そんなあやふやな距離じゃあ、むしろ躍起になる」


 そこでようやく○○は振り返る。けれどすぐに天を仰いだ。手を伸ばし、灰色の雲を指差す。


「時に蘇双。雲は五行学説で語られる五行の内どれの象徴だと思う?」

「は? ……そんなの知っているのは○○や老人達くらいじゃない?」

「答えは金(ごん)だ。金は金属がの鋭く透明感のある硬質な性質を象徴するが、それとは別に人の手によって形を変える性質も象徴する。雲もまた然(しか)り。人の手にはよらないが、自在に形が変わっていく。ほら、毎日見上げても同じ形のものは一つも無いだろう。また一刻、目を離してしまった雲を探しても、恐らく同じ形は見つかるまい」


 脈絡も無い話だ。この話だけでは彼女が何を言いたいのか、察することは難しい。
 顔を歪める蘇双を一瞥し、されど構わずに○○は言葉を続けた。


「火克金。火は金を溶かして抑圧する。雲もそう。冷えて可視化したのだから熱を加えると消失してしまう。蘇双、君のその感情は、人は燃え盛る炎のようだと例える。誰かを深く愛することで喜ぶと考えれば、五志の中で火に属するのだろう」


 となれば、私達はとかく相性が悪い。
 両手を広げて彼女はそう断じる。やけに演技がかった堅苦しい口調と大袈裟な身振りだが、これもわざとだろう。
 わざと――――《あの時》のことを蘇双に思い出させようとしているのだ。

 嗚呼、小賢しい。
 ここで○○の言わんとしていることが分かってしまう自分も、彼女程ではないが小賢しくて嫌になる。


「故に、だ。私がお前の言葉を受け入れることは今後とも無いのだよ、張蘇双」


 両手を広げたまま身体ごと蘇双に振り返る。


「理解出来たか?」

「○○の言いたいことはね。思い出したくはなかったけれど」


 憎らしげに言えば、○○は満足そうに――――しかしほんの少しだけ残念そうに笑った。

 ○○には、張飛とは違う致命的な欠点があった。
 生まれつき、肺を患っているのだ。
 自分で作った漢方で症状を落ち着かせているが、年を追うごとにその機能は低下しているという。


 東洋医学に於いての五行学説。
 その中では、肺は金なのだった。


 わざとそんな言い回しをすることで、蘇双に一番伝えたいことは相性ではない。むしろこの冗長な話の内容にはさほどの意味も込めていないだろう。わざとそんな首を傾げたくなるような無茶苦茶な屁理屈を交えた話で蘇双を試す辺り、性格が悪い。


 彼女が本当に伝えたいのは、己の命の短さただ一つだけ。


 東洋医学に関して簡単な説明をしていた時、肺の話になって彼女は語った。このまま急速に、自分の寿命は縮まっていくだろうと。
 それを鮮明に覚えていたからこそ、蘇双も○○の言葉の裏に気付くことが出来たのだ。

 猫族の村で厖大(ぼうだい)な医学知識を持つ者は○○だけ。後は老人などの知恵のみ。

 人の世に出れば、彼女以上の知恵を持つ名医を捜して治すことも出来る。外では沢山の医学書が出回り、医者も多い。何処かに差別しない医者もいるかもしれない。
 けれども、猫族の隠れ里を離れるつもりは――――否、離れる勇気を持つ者は誰一人としていない。
 ○○は誰にも、張飛にすら絶対に言わなかった。張飛の場合言えば必ず探してこようとする筈だから、むしろ話してはならなかった。
 ○○が人の世に出れば治ると言ったのは、外に行く勇気が無いと分かりきった蘇双にだけだ。


「理解したなら話は早い。そういうことだ」

「……」

「おっと、お前が村を出ようとするなよ。私の所為で外で死なれちゃ寝覚めが悪いからな」


 ○○は蘇双の肩を叩き、側を通過する。
 ややあって、ごほごほと咳き込む音が聞こえた。肩越しに振り返れば歩きながら胸と口を押さえ、背を丸くしている。

 暫くすれば落ち着き、ひらりと片手をぞんざいに振る。

 蘇双は顔を歪めた。
 人の世に出れば、恐らくは治る――――でも、その保証は無い。○○がそう予想するだけで、確たる証拠は何一つとして無いのだ。
 それでも、彼は出来るだけ○○の傍にいたいと願う。

 皆の前では気丈に、病のことを悟られぬように振る舞う彼女を支えてやりたいと思う。

 けども、現状では何も出来やしない。自分には医学の知識は無い。仮に学んだとて○○以上に修得出来るかも分からない。
 ……いや、何より自分には外には行く勇気は無い。
 ああ、なんともどかしい。

 蘇双は舌打ちして、足下にあった小石を蹴り上げた。無力だと自ら自棄になっているようで、虚しいだけだった。



‡‡‡




 夜。
 気まぐれに張飛と村を散策していた○○は、ふと夜空を見上げた。星を見、目を細める。


「どうした、○○」

「星が動いた。……ま、どうということも無いだろ」


 目を伏せ、ふっと笑う。
 星から何を読んだのか、張飛には知る由(よし)も無い。端から、自分は知る必要が無いと割り切ってもいる。○○はそうやって、影で猫族を支えるのがとても上手い。知識が豊富すぎる所為か、自分の双子の妹だと到底思えないこともあるが、それでも誰よりも頼もしい存在だった。

 完璧過ぎる風を装うそんな彼女だからこそ、張飛も心配をする。


「なあ、○○」

「ん?」

「オマエさ……蘇双のこと好きなんだろ? 子供ん頃はこっそり一目惚れしたーって教えてくれたのに、何で付き合わねえんだよ。蘇双もオマエのこと好きなら良いじゃん」


 理由は勿論分かっている。けれども敢えて、そう問いかけた。少しは、身体のことに前向きになっていると思いたかったから。

 ○○は張飛を見やり、緩く瞬きした。
 されどふと苦笑し、


「星に逆らいたいんだ」

「星?」

「ああ。私はいつもいつも星を読んだ。その通りに日常が動くと、本当につまらない。まるで星に私達の毎日を決められて、碁石か何かの如(ごと)動かされているようじゃないか。私はずっとそれが気に食わん」


 張飛の生き方は張飛が決める。
 私の生き方も私が決める。
 だからこそ、私は星に逆らいたいんだ。
 張飛はぐにゃりと顔を歪めた。


「じゃあ、読まなきゃ良いじゃん」


 そう言えば○○は笑った。


「そりゃそうだ。私も、そう思う。けどどうしてか、夜になると星が見たくなる。そしてまた辟易する。――――まだ、私に未練が残っているということなのだろうな」


 最後の科白が何を指しているのか、張飛は双子だからか何とはなしに分かった。


「……当たり前だろ。オレにまで未練が無かったら泣くからな」

「いや、関羽と幸せになってくれたら未練は無くなるんじゃないか?」

「そういうこと言うなよ」

「すまんすまん」


 ○○は目元を和ませた。けれども、金の瞳に湛えたものは深い悲しみで。
 片割れの心中を察し、張飛は彼女の頭を撫でた。


「大丈夫だって。オマエは絶対に治る。そんで、蘇双と身固めてオレも姉貴とくっついて、円満だろ?」

「来世の話をしているのか」

「違ぇよ!! それはあれか? オレは姉貴とくっつくの無理だって言ってんのか!?」

「それを人は自意識過剰と呼ぶんだぞ、張飛。妹は兄の幸せを心から願っているものさ、ははは」


 おどけたように肩をすくめる○○に、張飛は真顔になった。


「オレも同じなんだぜ」


 低い声で告げる。
 ○○はふっと微笑み、目を伏せた。

 その頭をまた撫でれば小さく呟いた。


「ありがとう、兄さん」







































 この数日後。
 幽州の隠れ里には大勢の武装した人間の姿があった。



.

39/68
prev top next
template by crocus