諸葛亮


※多重人格主です(前半注意)



 諸葛亮は部屋を一望し嘆息した。

 部屋の中は凄惨だった。
 血飛沫が弧を描き壁を、調度品を汚している。その血痕の下には古びて変色した同様のそれがあった。過去にも似たようなことが何度もあった証左だ。

 壁に寄りかかり、膝を抱えて座る少女にゆっくりと近付いた。彼女の足下に転がる無惨な大型の獣の遺骸に、濃厚な血臭に諸葛亮は眩暈を覚えた。


「……またか」


 吐息混じりの独白に、少女の身体がぴくりと震える。全てに怯えるように、膝に顔を埋めている彼女は頑なに顔を上げなかった。
 そんな彼女の脇に座り込み、諸葛亮は小さな痙攣を繰り返す身体をそうっと抱き寄せた。力無く倒れ込んだ華奢なそれを腕で優しく包み込めば、痙攣は次第に収まり諸葛亮の背中に怖ず怖ずと手を回す。きゅ、と縋るように衣を軽く摘んだ。

 ややあって、震えた声を絞り出す。ごめんなさいと謝罪を繰り返した。


「ああ。お前じゃないのは分かっている」

「違う……あの子は、私だもの……私が、やったの……私が、私が、わた、」

「落ち着け。分かっている。だがお前がやったのではなく、《彼女》がやったんだ。そのくらいの判別くらい自分でも付けるだろう」


 諭すように言い聞かせ、背中を撫でてやる。

 少女は身体から力を抜き諸葛亮にすり寄った。嗚咽が漏れ出し、また身体が震え出す。

 諸葛亮は、彼女が大音声で泣き出してからも、ずっと背中を撫で続けた。


「大丈夫だ。○○……大丈夫だ」


 少女――――○○は何度も頷いた。


 彼女は、諸葛亮の幼なじみであり――――多重人格者である。


 彼女が牡丹と名付けたもう一人の人格は名の通り牡丹を好んだ。そして、趣味とは裏腹に非常に残虐な性格だった。ひとたび出れば何かを殺さずにはいられない。殺すことに快楽と、己の存在意義を見出す哀れな人格である。

 幼少期にはいなかった筈の彼女がどうして○○の中に生まれたのか。
 それは、諸葛亮も知らぬ思春期にある。

 諸葛亮が○○と再会したのは半年前のこと。彼女は幼少の頃に父親の都合で諸葛亮とは別れている。

 あれから十数年も経ったと言うのに、彼女は諸葛亮の噂を聞きつけ、藁にも縋る思いで訪れた。何度も迷ったのだろう、当時の彼女は全身傷だらけだった。
 諸葛亮と会うなり○○は泣きじゃくった。今まで耐えていたことが溢れ出たように、ずっと泣き続けた。

 落ち着いた後で聞いた話では、彼女は父の両親がいる村に移住した直後に、賊に襲われ母と共に命辛々逃げ出したという。○○達の為に囮になってくれた父親と、途中ではぐれてしまった祖父母の行方は未だ知れない。恐らくは、賊に殺されたのだろう。

 それからは母と何度も無法者に襲われ殺されかけながらも何とか生きてきた。
 そんな生活の中で、○○は段々と自分の無力さが嫌になる。母は生き抜く為に、そしてたった一人の娘を育てる為に、身体を売るなどして必死に金を稼いだという。酷い仕打ちに遭わされても、娘の前でだけは常に明るい母親でいようとする姿が痛ましく、○○をより追い詰めた。

 自分がもっと強ければ――――何にも負けない人間だったなら。
 そう願うようになり、いつしか自分に望むのではなく、そんなもう一人の自分がいれば良いと切望するようになった。
 その果てが、牡丹だ。
 牡丹は○○の悔恨、そして村を襲った賊や母を苦しめる男達への濃厚な憎悪を受け、残虐な性格となってしまったのだった。

 ○○自身、今となっては唯一の家族である牡丹のことは好いている。牡丹も、存在意義は《○○を守る為に殺すこと》であるから、何よりも○○を大事にする。快楽の得るのは、恐らく生き物を殺す際頭の中で無意識に○○の憎い相手を想像するからこそなのだろう。

 好きであるが故、○○は自分の負の感情を牡丹に押しつけ残虐にしてしまったこと、現実逃避の為に生み出してしまったことを悔いている。牡丹を姉妹のように大切に思うからこそ、自分の所為で殺すこと以外に存在意義を見つけられない彼女を案じていたのだった。

 ○○と、牡丹と。
 二人を眺めていて、どんな家族よりも強く固い絆があると分かる。……自分とは、大違いだ。

 出来るならば私の所為で歪めてしまった牡丹を普通の女の子にしたい。
 それが○○の願いだった。

 それが非常に難しいことだと分かっているから、諸葛亮も長期を覚悟し己の家に○○を住まわせることにした。

 が……こう何度も血で家の中を汚されては困る。もう片付けも億劫だ。
 それでも○○の相談を放棄しないのは、幼なじみだから――――否、それ以上の理由の所為だろう。


「……まったく」


 欲求不満。禁断症状。
 ○○の為に協力的な彼女も、これには非常に苦しめられている。
 完全に無意識に生き物を殺しては、眠るように○○に交替し、結果先程の通りだ。

 泣き疲れて眠り込んだ○○を抱き締めたまま、諸葛亮は物憂げに吐息を漏らした。
 涙で肌に張り付いた髪を指で退け、頬を撫でる。その手付きは優しい。

 諸葛亮は目を細め、○○の身体を抱き上げた。



‡‡‡




「あ、あの……」

「どうした」


 ○○の作った朝餉を食していると、彼女が気まずそうに俯き加減に視線をさまよわせながら切り出した。
 昨日のことを謝罪しようとしているとは、毎度のことだから心得ている。だが敢えて彼女が言うまで急かそうとはしなかった。


「あの……ごめんなさい。また、」

「別に構わない。端から、害も無く解決出来るとは思っていない。それに牡丹も協力しているが故の結果があれなんだ、そこまで気に病む必要は無い。むしろ、こういう時にこそお前が牡丹を支えてやるべきだろう」

「……はい」


 これも、毎回かける言葉だ。
 しゅんとうなだれて頷く○○を一瞥し、諸葛亮は箸を進めた。

 しかし。
 このまま牡丹の苦痛が悪化すれば、行動も悪くなっていくかもしれない。最悪人間にも魔手が延びぬとも限らない。
 長い目で見てやりたいが、この点に関しては何か策を講じるべきだろう。彼女の精神負担を考えても、監禁などはしたくはないが、もし諸葛亮の目を盗んで人間を殺しに行こうとでもすればそれも考えておかなくてはなるまい。

 茶を啜り思案していると、○○が諸葛亮を呼んだ。


「何だ」

「もしかして……今日の朝餉、美味しくなかった? いつもとは違う味付けにしてみたから……」


 不安そうに諸葛亮の顔色を窺ってくる○○に、諸葛亮は淡泊に「いや」とかぶりを振り否とする。


「いつも通りだ。……不味くはない」

「……そっか。良かった」


 遠回しな答えに、しかし○○はふにゃりと笑う。嬉しそうに、頬をほんのりと赤らめた。
 彼女の笑みを見た諸葛亮は表面こそ無表情のまま、心中の奥底でほっとした。

 彼女は、純粋なままだ。
 全ての負を牡丹に押しつけたからその純粋が保たれている。
 牡丹もそれを受け入れ、○○の為に存在しようとする。
 二人で一つ。そんな意識が、彼女らの中にあった。

 諸葛亮もまた、二人を一つにすることで《人間らしく》なると、認めていた。

 それ故に――――。



‡‡‡




 満月の夜。
 この日は、不思議と牡丹も殺意が湧かないらしい。

 けれども夜も更けた頃に家を出ていった○○を不審に思い、諸葛亮も外に出た。

 すると、彼女は畑脇の岩に腰掛けて満月を見上げているではないか。
 諸葛亮は静かに歩み寄った。


「……牡丹。月を嫌うお前が珍しいな」


 牡丹はゆっくりと振り返る。○○と違って、普段一切の感情を表に出さない。そうすることで、○○との差別化を図っているのだ。

 けどもそれは彼女らに理解の無い人間に対しての気遣いであり、諸葛亮には不要だ。すぐに皮肉げな笑みを浮かべた。弱々しいのは、日々の禁断症状が堪えているからだ。


「今日は安全日よ。心配しなくたってあたしは殺しゃしないわ」

「知っている」


 隣に立つと、牡丹は立ち上がって諸葛亮から距離を取った。


「ねえ、訊きたいことがあるの。何でも知っているあなたに」

「……過大評価だな。常々思うが、お前達は私を神か何かだと妄想していないか?」

「少なくとも○○はそう思っているわ。まあ、贔屓目だけど」


 背中を向けたまま彼女は肩をすくめる。
 幼なじみのまったき信頼をこそばゆく感じつつ、諸葛亮は促した。


「それで、訊きたいこととは?」

「あたしの普通の姿とは何か」


 くるりと、踊るように身体を反転させる。後ろ手に手を組んで首を傾ける。妖艶に唇を上げる彼女は、小柄な上に童顔で一見少女にしか見えない○○の外見年齢を本来のそれへと引き上げる。○○は○○で魅力はあるが、牡丹にも牡丹らしい魅力がある。ただ人格が違うだけで、まったく、奇異なことだ。

 牡丹の問いに答えず、諸葛亮は目を細めて暫し沈黙した。
 それ程までに精神的に辛かったのだろう。彼女にしてみれば自分を生み出した○○から、役目を全て取り上げられ、知りもしない《普通》になろうと一方的に言われたのだ。それでも○○を大切に思っているから従っている。親友の為に、異国の言語を指導者も無く学ぼうとしているようなものだった。
 頑張った方だが、もう限界なのかもしれない。


「そんなこと、私が知る訳がないだろう。大体お前達の過去を思えば○○の純粋さも普通とは呼べまい」

「普通よ。○○は普通の恋する女。違う?」


 諸葛亮は溜息をついた。


「それならお前も同じではないのか」

「……そうね」


 牡丹は艶やかに、苦笑する。


「そもそもお前達に普通は存在しない。私は、牡丹を普通にする気は端から無いぞ」

「じゃあ、あたしを消す?」

「生憎と、その選択肢はとうに捨てた」

「何故?」

「お前が二人で一人だからだ」


 ○○と牡丹で、一人の人間。異常な女。
 諸葛亮はそう認識していた。

 認識した上で、彼は。


「あなたも十分異常だわ」


 ぽつり。彼女は呟く。困ったような笑みは、最近になって諸葛亮に見せるようになった表情だ。


「お前達に比べれば普通だ」


 そう淡泊に返せば、牡丹は少しだけ俯く。

 諸葛亮は静かに歩み寄り、その双肩を撫でて抱き寄せた。抵抗は無い。肩口に顔を埋め、牡丹は声を絞り出した。


「……あなたは……あたしを切り捨てないのね。あなただけは、○○もあたしも愛してくれるのね」

「そうしたのはお前達だろうが。……やり方を変えよう。遠回りして気長にお前の存在意義を変えていけば良い。……料理を作る気になるくらいにまで、意識が変化しているようだしな」

「……知ってたのね」

「味付けはいつもと変わらなかった。それであの言い回しでは、悟ってくれと言っているようなものだ。加えて、○○の表情くらい容易く読める」


 牡丹の中で変化は確かに起きている。○○も、それは諸葛亮以上に分かっているだろう。
 どのように変えるのかは決まっている。ただ、その課程が難しいだけ。
 だが時間をかければ必ずや果たせよう。それだけの知嚢(ちのう)は持っているとの自負がある。

 大丈夫だ、と囁けば牡丹は小さく頷いた。
 一度だけぴくりと震わせて顔を上げた彼女に、諸葛亮は微笑んで見せた。


「お前にも、今度は協力してもらうぞ。○○」

「――――ありがとう」


 ○○は涙ぐみ、震える声でそう囁いた。
 指で彼女の目元を拭うが、止め処なく涙は溢れて流れ落ちる。これではきりがない。
 諸葛亮は苦笑し、○○の頭を胸に押しつけた。

 す、と背中に彼女の細い手が回る。


「大好き。私も、牡丹も、あなたのこと」

「言われずとも知っている」



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