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この依頼を受けるに当たって一番に張り切ったのは、頼子である。
うきうきとして様々な色の袿(うちき)を彩雪と昼寝する澪に合わせては襲(かさね)を組み合わせていく。彩雪と澪では雰囲気に違いがあるので、とても楽しいと語っていた。
ただ、澪の場合はその目力が邪魔をする。彼女に似合う襲を組み合わせようとも、結局は目に惹き寄せられてしまうから意味が無いのだ。
それは彩雪も残念に思う。澪は目力以外には特に何の特徴も無い平凡な顔つきだ。だからこそ化粧によってどんな風にも変われるだろうし、化粧を施す側も考えるのが楽しい。
だが、どんなに工夫を凝らしても、やはり目力に負けて際立たない。厄介な目だった。
あれこれ試行錯誤を繰り返しても満足の行く仕上がりにならない澪に、頼子は次第に熱を上げた。見かねた彩雪も加わってしまう。
源信と弐号が様子を確かめに来るまで、二人は時間を忘れて思案を巡らせた。
その為、依頼人の邸(やしき)への到着は予定を大幅に遅れた。焦りの滲んだ依頼人に謝罪した和泉に、頼子も彩雪も方を縮めて恐縮しっ放しだった。澪はライコウの背中で爆睡中だったけれども。
邸に着いてすぐに頼子の用意した小袿姿となり、二人揃って指定された母屋に入った。東西に並べた三つの几帳に指定された通りの順に隠れて件の人物二人が来るのを待つ。弐号が報せに来るまで、対の屋の中は灯台でぼんやりと照らされていた。
今回の依頼は、密仕ではなく常仕の扱いである。
優柔不断な父親が、二人の男性のどちらに娘をやるか決めかねてのものである。
片や容姿端麗に加え父親も公卿の内の参議と、申し分ない家柄であるが、どうにも女の扱いが悪いと言う。
片や容姿もまあまあ家柄もほぼ同等で歌の才能もからきし。しかしながら堅実で実直な好人物であり姫君とは幼なじみだと言う。
姫の為にどちらが良いのか決めかねて、今回の依頼を仕事寮に持ってきたのだった。
娘の為を思ってのことだけれど……これは正直どうかと思う。
彩雪は隣の帳に隠れ少しばかり不安そうな姫を見やり、吐息をこぼした。
几帳に隠れる寸前、彼女はとある人物の名前を呼んだ。それは呼び捨てで、どうも幼名らしかった。
それから察するに、姫の心は決まっている。父親が悩む必要も無いことだ。
されどやはり、参議の息子の妻の座が惜しいのだろう。それを考えると、姫が少し哀れに思える。
ぐす、と姫が鼻を啜る。泣いているのだと、すぐに分かった。
慰めようと口を開くが、彩雪よりも早く澪が姫の側に寄った。後ろには漣が。勿論見えているのは澪と彩雪だけだ。
澪は姫を見上げ、緩く瞬きを繰り返した。
「泣く、辛い?」
手を伸ばして、艶やかな髪を撫でる。源信の真似をしているのだろうが、少しだけ拙(つたな)かった。
姫はまた鼻を啜り、「慰めてくれるの?」と弱々しく笑った。
「ありがとう。……ごめんなさいね。お二人を父の我が儘に付き合わせてしまって。父は、あなた方を利用する為に招いただけなの。あなた達は安全だから、どうか安心して下さい」
彩雪は怪訝に眉を顰めた。四つん這いになって姫に歩み寄り、どういうことか質(ただ)した。
姫は申し訳なさそうに目を伏せ、口を開く。
「父はもうすでに、私がどの几帳に隠れているか報せています。ですからこのような配置にさせたのですし、入れ替わってもすぐに女房が彼に報せてしまうでしょう。私にあの方を諦めさせる為に、あなた方を証人として側に置きあの方よりも早く私に引き合わせるつもりなのです」
迷っているなどとは真っ赤な嘘。父にとっては参議の息子一択だった。
か細い声でもう一度謝罪する姫は切なげで、彩雪は胸が締め付けられる思いだった。
これも仕方がないことだとは思うけれど……でも。
「あの、お父さんに嫌だって言わなかったんですか?」
「言っても無駄ですから。あの方はとても優しいけれど、良い夫だとは呼べない方ですもの。歌をくれても、お母様達が下手だからと捨ててしまう。私の方から、密やかに送るばかりでした」
真面目で、素朴な方なのだと語る彼女は愛おしげだ。
嗚呼、何としても彼女を幼なじみと連れ添わせてあげたい。彩雪は強く思う。
と――――不意に後方の妻戸が開いた。
ぎょっとして振り返ればそれは和泉で、彩雪を短く手招きした。何か企んでいる風にも見えるのは、気の所為だろうか。
「和泉?」
「念の為に、ライコウと壱号を待機させようと思って。それと、ちょっとした悪戯をね」
「……悪戯?」
「晴明も乗ってくれたから、大丈夫」
全然大丈夫じゃない気がするんだけど。
後ろに控えるライコウの苦々しい顔を見れば、それが良いことでないことは一目瞭然だ。
片目を瞑ってみせる和泉に、彩雪は肩を落として苦笑した。
「……それで、何をするつもりなの」
「それはね……」
「宮、本当にやるつもりなんですか?」
「うん。面白くなるよ、きっと」
ライコウさん、物凄く嫌そうだけど。
壱号だって面倒臭そうにしている。
心の中で二人を労い、彩雪は和泉の語る悪戯の内容に耳を傾けた。
‡‡‡
灯台を持った女房に導かれて訪れた対の屋。
身分は自分よりも低いけれど、この邸の姫君の容姿は周囲からはまさに傾国の美と謳われている。身内の贔屓目もあるだろうが、非常に頭が良く芸術、歌にとても秀でている。誰にも劣らぬ才色兼備の姫君ならば、身分を問わず己にも箔(はく)が付こう。この姫の父親は、とても運が良い。
男は期待を胸に、女房と別れ妻戸をくぐった。
灯台一本に照らされた母屋の中はしんと静まり返っている。
几帳から影が漏れ微動していた。嗚呼、私の姫君(はく)がそこにいるのだ。
「もし、あなたがこのお邸の姫君でございますか?」
「……そのお声、もしや参議の……」
可愛らしい声だ。少し意外だったが、これはこれで良い。
几帳を引き倒して姫の姿を露わとする。どうせこの対の屋の周囲には誰もいないのだ。ちょっとの粗相は悟られまい。
男は口角をつり上げて俯いて扇で顔を隠す姫の肩に触れた。
腕を掴んで扇を下ろさせ顔を上げさせる。
その目に、息を呑んだ。
とろんとし、潤んで涙を目の端に湛えた姫の双眸は、不可思議な力を備えていた。見えない手で魂を掴まれたかのような感覚に襲われ、男は全身が震えた。
なんという、目をしているのだ。
やはりこの姫は素晴らしい。自分に相応しい姫君なのだ。
嗚呼、なんと美しい目を――――。
――――ぐるるるる……。
悦に入りかけた男に、後ろで不穏が唸りを上げる。
どきり、心臓が跳ね上がった。
ぎこちなく振り返れば、そこには獣。
男の見たことの無い、猿の顔をした獅子の如き恐ろしい獣が、間近に――――。
悲鳴が上がった。
‡‡‡
漣に仰天した男は昏倒し絶入した。
彩雪は御帳台からから飛び出し澪へ駆け寄る。目を擦って何度目かの欠伸をする彼女を抱き寄せて男の様子を窺った。まさか、漣を見ただけで気絶してしまうなんて思わなかった。これは、和泉の予定と少し違う。
塗籠(ぬりごめ)から現れたライコウと壱号も、呆れ返った様子でこちらに歩み寄ってくる。
「情けない……ただ鵺一匹見ただけで」
「塗籠に隠れている意味はあったのですか、宮」
「無かったねえ」
妻戸を開けて中に入ってきた和泉は苦笑混じりに男の側にしゃがみ込む。その後ろには晴明達もいた。
「けど、お灸を据えるっていう目的は果たせたかな。ライコウ。この人を外に。適当にほっぽっておいて」
「……良いのか? そんなぞんざいな扱いをして。こいつ、参議の息子なんだろ?」
和泉は肩をすくめ、ライコウを見やった。
視線を受けたライコウは、はあと嘆息し、
「実は、その参議からも依頼が来ていてな。息子を成敗して欲しいと」
「……なるほど」
「すぐに妻に飽きて、そのまま通わずに別の女に乗り換えてはまた乗り換え……手を出された姫は数知れず。成人してから仕事も不真面目でずーっとそればっかりだから、父親の方も業を煮やしてね。ここでキツ〜い目に遭わせて、父親からの脅しが書かれた文を添えた上で外に適当に放置しておいてくれってさ」
彩雪は言葉を失った。
そんな酷い男の妻にされようとしてた彼女が本当に可哀相。
知らず、澪を抱き締める手に力を込める。
ライコウが男を抱え上げるのを見、壱号は澪を覗き込んだ。溜息。
「澪の奴、寝てる」
「え? あ……ほんとだ」
道理で、大人しいと思った。
見下ろした澪は、目を伏せ、すやすやと眠り込んでいる。
ライコウが苦笑した。
「この邸に来る前からずっと夢現の状態だったからな。限界が来たのだろう」
こうして見ると、お姫様だ。あの目力の邪魔は入らない。頼子と一所懸命に選んだ着物が、澪に合っているとちゃんと分かる。
「式神ちゃん、今日はここに泊まりなよ。源信に残っておいてもらうからさ。依頼人には俺の方から言っておくよ」
「え……良いの? 頼子ちゃんは?」
「彼女は俺達で送るから大丈夫。澪はもう起きないだろうから、ね?」
「う、うん。ありがとう」
「……んにゅ、」
澪がふと身動ぎする。えっとなった彩雪の腰に腕を巻き付けた。甘えるようにすり寄ってくる。……寝ぼけているらしい。
和泉はくすくすと笑って澪の頭を撫でた。
「じゃあ源信、後は頼むよ」
源信は頷き、深々と頭を下げた。
「ええ。分かりました。お疲れ様でした、皆様」
「何ならワイも残ろうか?」
「弐号君がいなかったらお邸のこと誰もしないから駄目。あと、多分澪にかじられちゃうと思う」
「……そら、堪忍して欲しいわ」
かくんと羽を落とす弐号の数珠を壱号が持って引き上げる。苦しげに抗議する相方をぶらんぶらんと揺らしながら一足先に外へ出た。それに、ライコウが続いた。
晴明も、もう用は無いと颯爽と彩雪達の横を通過する。
その際彩雪を見下ろし、
「馬子にも衣装だな」
「んなっ」
からかうような嘲笑を残して母屋を出た。
「ちょっ、今の酷くないですか!?」
「まあまあ、参号さん。あまり騒ぐと澪が起きてしまいますよ」
窘められ、うっと言葉を詰まらせる。
「……すいません」
「いいえ。ですが、とてもお似合いですよ、お二人共」
「うん。澪に至っては普通の女の子に見えるしね。式神ちゃんの可愛い姿も見れたし、なかなか楽しめたよ」
多分今頃、姫君も喜んでると思うよ。
片目を瞑って言う和泉に彩雪はほっと胸を撫で下ろす。
この騒動のさなかに、女房になりすました頼子が姫君の幼なじみの男を案内した。上手く行ったのだと分かって、心から良かったと思う。
依頼人の、姫君の父親は当然憤慨するだろうが、そこは参議の方から話を通しておいてくれるそうだ。無理を言ったのだから、それくらいはさせて欲しいとのことだった。
良かった……本当に。
思わず笑うと、同じく喜んだ風情の漣が側に座る。伏せをして、蛇の尾を振った。
「じゃあね、式神ちゃん、また明日」
「あ、うん。また明日!」
抱きついたまま離れない澪を抱き締め、彩雪は去りゆく和泉の背に向けて声を張り上げた。
「では、参号さん。澪はわたくしが」
「あ、はい。っと……」
澪の力は存外強かった。
ようやっと剥がして源信に任せた彩雪は、もう一度漣と顔を見合わせて、お姫様があんな人の奥さんにならなくて良かったね、と嬉しそうに笑った。
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