関羽
関羽の双子の妹は、態度がはっきりと分かれている。好きな相手には愛想を振りまくが、それ以外にはぞんざい――――否、冷たいものである。
「お、ねーちゃん、っと!」
「きゃあっ!」
後ろから飛びつけば、最愛の姉は甲高い悲鳴を上げる。肩に顎を乗せてにししと笑う○○の額を軽く握った拳でとんと叩いた。
関羽は「もう……」と拗ねたように唇を尖らせて○○の両腕を剥がし両手を腰に当てて○○を睨んだ。叱りつけるように名を呼ぶ。
へらへらと笑う○○に反省の色は全く無い。むしろ、姉に構ってもらえて嬉しそうだ。
関羽もすぐに毒気を抜かれて怒り顔を苦笑へと変えた。すとんと両腕が落ちる。
「本当にもう……○○ったら」
「へへへ。……あ、お姉ちゃん。これから何かする? 暇だから手伝うけど」
いや手伝いたいです是非とも。
心の中で付け加え、○○は首を傾けて返答を待った。
関羽は首を左右に振った。
「いいえ。丁度鍛錬場に行こうとしていたところだから大丈夫」
「じゃあ――――」
「姉貴ー、オレと鍛れ」
「ふんっ!!」
「うぐぅっ!」
まさに一瞬のことであった。
関羽の後方からこちらに歩み寄ってくる張飛に○○が神速を以て肉迫、その水月に貫手(ぬきて)を見舞った。加減など一切無く、的確な一打だ。
一瞬の間に撃沈する張飛に更に踵落としで駄目押し。
「ちょ、張飛……」
「死ね色ボケ野郎」
俯せに沈んだ張飛の後頭部を足でぐりぐりと踏み締め、○○は鼻で一笑に付す。先程までの姿は何処へやら、完全に何処ぞの賊の顔である。
いつものこととは言え、さすがに張飛が可哀相だ。
関羽は苦笑をひきつらせながら○○を呼んだ。
すると途端に身を翻して可愛らしく明るい笑顔を見せる。……張飛の頭を踏んだまま。
「……ええと……と、取り敢えず張飛から足を退かしてあげて。お願いだから」
「えー」
○○は不満も露わに抗議の声を上げた。頬を膨らませるが、関羽が名を呼べばぷひゅっと息を抜く。
「……まあ、お姉ちゃんが言うなら」
渋々と、ゆっくり足を離す。
ややあって張飛は微動し、雄叫びを上げながら身を起こしたのを――――。
「ああごめん足滑った」
――――また踏みつけられた。
「馬鹿じゃないの君。張飛如きがお姉ちゃんと並べると思うなよあたしを倒せるくらい強くなって出直してこいクソ野郎今度は爪伸ばして貫手食らわしてやんよ」
「○○……」
わたしよりも強いくせにそんなことを……。
いや、強いと言うには少々語弊がある。
武術での腕だけなら双方拮抗(きっこう)していた。
では何故、関羽すらも○○に勝てないのか。
それは○○の性格の悪さに起因する。
彼女は相手の弱点をすぐに見つけ、陰湿に、しつこく狙うのだ。しかも決まった得物を持たず、剣を持っているかと思えば、上に放り投げた隙に懐に入り猫騙し――――だったらまだましな方だ――――などで怯ませて容赦なく、完膚無きまで《虐め》抜く。先だっての博望坡の戦いにて夏侯惇と一騎打ちした時だって、目潰しと称して砂や虫の死骸を顔にかけ怯んだ隙に――――ああ、思い出すだけで夏侯惇に申し訳ない。そして恐ろしい。
関羽に対してもその戦い方は変わらない。いや、自分と並ぶ関羽だからこそ、手を抜かず全力で手合わせをするのだ。こと鍛錬に関して、○○は一切の遠慮も私情も挟まなかった。
勝つ為に手段なんぞ選んでられるか、そう公言して憚らない影で彼女なりの強さを実直に磨く、○○はそんな娘だった。
そのどちらも人一倍猫族を守りたいと思っているからで――――綺麗事や恥じらいを排除することで彼女の中の迷いや恐れを軽くしようとしているのだ。
関羽の妹らしいその一面は、誰もが分かっていることだった。……ただ、その女であることも捨てつつあるやり方に引かれてはいるが。
優秀の隠れ里から引きずり出されてより一皮――――否、何枚も向けた○○は心根こそ関羽に似ているものの、本当に色んな意味で敵に回したくない娘に成長していた。
腕組みして傲然と張飛を見下す○○。こんな風だが、張飛のことは気に入っている方だ。○○の中では、これはまだ《じゃれ合い》の部類。これが大嫌いな人物だったらば……前述した、夏侯惇との一騎打ちのような……、否、もっと酷いかもしれない。前に劉備に暴言を吐いたことに憤慨し夏侯淵の私室に毒蛇を何匹も、毎日のように潜り込ませたこともある。おまけにその時血文字で扉に物騒な呪いの言葉も残していたそうで。
公孫越の時だってそうだ。猫族総出で○○を止めたのは今でもはっきりと覚えている。
嫌いな人間は徹底的に潰しにかかる。そうでなくても気に入った者は《ちょっとキツい》じゃれ合いをする。好き嫌いでこんなにもはっきりと態度が分かれてしまうこの性格は一体、誰に似たのやら……。
関羽は嘆息し、しかし笑みを浮かべて片割れの後ろ姿を見つめた。
と、その時である。
「――――○○」
涼やかな声が、水を差す。
関羽が、げ、と漏らしてしまったのは反射だった。
しかし○○はぎょっとして張飛から離れ、ぴんと背筋を伸ばす。頬が赤らんでいるのが、関羽にとってはとても面白くなかった。
むっと睨む関羽を一瞥し、涼やかな声の主、諸葛亮は○○に歩み寄った、張飛に気付いて微かに吐息を漏らす。
○○は打って変わってしおらしい。気まずそうに視線を逸らしては諸葛亮の様子をちらちらと窺う。
……分かりやすい。
分かりやすすぎて、物凄く面白くない。
○○の前に立って関羽は諸葛亮に対峙した。
「どうかしたの? 諸葛亮」
「○○に少し用があってな。今、構わないか」
「あ、ああ、う――――」
○○は顔を真っ赤にする。どもって返事が出来ないでいるのは嬉しくて嬉しくてたまらないからだ。昔から、彼女は心から嬉しい出来事に直面すると上手くものが言えなくなってしまう。
「ごめんなさい、諸葛亮。○○はこれからわたしと鍛錬するの。あとでで良い?」
「うえ? あれ? いや、そっか、そうだった……すみません、諸葛亮さん」
「いや、構わない。また夜に訪ねる」
……絶対に○○の側に居座ってやる。
心の中で諸葛亮へ舌を突き出した関羽は、○○の腕を掴んで鍛錬場へと駆け出した。
○○は諸葛亮へ噛みながらも謝り、片手を振った。
○○が諸葛亮を好きになったのは、ひょんなこからとだった。
張飛といつも通りじゃれ合って転んだところを偶然通りかかった諸葛亮が抱き留め、軽く説教をした。それの何処かで、彼に惚れてしまったらしかった。
どうしてよりにもよって相手が諸葛亮なのよ。
……いや、他の男でもちょっとだけ嫌だけれど、諸葛亮よりはずっとまし。
関羽は諸葛亮が苦手だ。彼とは考え方が合わない。だから大事な妹を取られたくないし、○○も彼ばかり見て双子の姉から自立して欲しくなかった。今はまだもう少し一緒に笑って過ごして、お互いの辛いことや苦しいことを緩和したい。
不満の滲み出た顔をしながら、関羽は足を早めた。
諸葛亮とくっつかないように絶対に邪魔してやると、妹を盗られそうになった姉はそう決意する。
図らずも、張飛をいじり倒す妹とほぼ同じ心境であるとも知らずに。
‡‡‡
○○はにやけそうになる顔を止められなかった。
だってお姉ちゃんが、お姉ちゃんが諸葛亮さんに嫉妬してる!
分かりやすすぎて可愛い。お姉ちゃんが可愛すぎて辛い。心臓爆発し――――いや駄目だそれ死んじゃうあたし死にたくないお姉ちゃん愛でたい。
そりゃあ、諸葛亮さんは異性として好きだけど……お姉ちゃんはあたしの一部みたいなものだし、やっぱ一番お姉ちゃんが大好きなんだよなあ……。
関羽は自分の半身だ。今までそんな認識で一緒にいたのだ。互いが離れるなんて想像したことは無かった。
一番落ち着くのは関羽の側。また逆も然(しか)り。
やっぱ……もうちょっとこの関係が良いかな。
肩を怒らせて歩く関羽の背中を見つめながら、○○はふにゃりと気の抜けた笑みを浮かべた。
……でもね、お姉ちゃん。
もうちょっと、速度と握力弛めてくれないかな。
いや可愛いけど。可愛いんだけど歩きにくいし手が骨折しちゃいそうなんだよね!
みしり、と音がしたのに○○はたまらず待ったをかける。
⇒後書き+レス
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