曹操





 ○○は淡泊だ。
 だから、己のことにも非常に疎い。
 大怪我をしてもさして慌てずに『あ、怪我』とのんびりと流してしまう。十三支であることを夏侯惇達に詰(なじ)られても『へー』やら『ふーん』やら、気の無い相槌を返し、更には何日前にも聞いた言葉だと指摘もする。

 何事にも動じない――――と言うよりは何事にも無関心な彼女に、誰もが調子を乱された。

 抱いても処女を奪っても、彼女は何の反応をしなかった。平然と痛かったなどと言って衣服をまとい、のんびりと部屋を出ていく。
 彼女に感情は無い。流されるままに生きていく。

 そんな混血の娘を、曹操はたまらなく欲した。
 彼女の双子の姉妹、関羽も混血だ。当然彼女も傍に、とも考えた。が、それでは駄目なのだ。関羽では傍にいても何も感じない。
 傍にいて良いのは○○だけ――――強く、強く想って、願って止まない。

 しかし、雲の如き彼女は、捕まえたと思っても曹操の手から簡単にすり抜けていく。嘲笑するでもなく、挑発するでもなく、ふわり、ふわり、と風に従って曹操の周りを漂うだけ。

 同族ですら手を焼き嫌悪する程の捕らえ所の無い無機質な娘。
 曹操自身、どうしてここまで惹かれているのか分からなかった。関羽に興味が湧かないと分かった時点でもう混血という点だけでは無いというのは明らかだ。
 私は、○○自身に惹かれている。
 何が自分を惹きつけるのか分からないのに、欲しくて欲しくてたまらない。

 ○○を抱いている時、最初は至福だった。拒絶されない、怖がらない、それは曹操を受け入れた証だと思った。
 だが、次第にそうではないと気付く。
 ○○は己の身にも無関心。ただただ風に流されるままに曹操に抱かれただけで、感じていた訳でもなく、曹操を受け入れた訳でもなかった。
 自分だけが熱を入れあげていただけ。その事実は、曹操の胸に穴を穿(うが)った。

 閉じ込めても、恐らくは無駄だろう。○○は雲。閉じ込めてもきっといつかすり抜けていってしまうだろう。

 その時が、酷く恐ろしい。



‡‡‡




 ○○は一人屋敷の中を散策していた。
 今日は雨だ。外は歩けない。
 後ろ手に手を組んで亀のようにおっとりと歩く。
 特にやることを与えられないので、毎日寝たり散策したりして過ごすしか無かった。

 部屋にいれば劉備や関羽が押し掛けてくるし……まったく、やり辛いもんだ。

 猫族に戻る気はさらさら無かった。張飛に泣いて謝られたけれどそれは関羽に嫌われたくないだけで、○○に対する謝意は全く無かった。
 まだ戻って欲しくはないのだと分かったから、そのことを指摘して嘘はいけないと言っておいた。その時関羽もいたが、泣きそうな顔をした彼女が○○の立ち去った後に張飛に何をしたのか知るところではない。ただ、翌日張飛が○○を泣きながら追いかけ回して来たのは五月蠅かった。夏侯惇や夏侯淵へと誘導して衝突させて事無きを得た。

 あれ以来、○○のもとに猫族は現れない。
 諦めたのかと思うと、何処か胸がほっとする。

 ……どうしてか、ここに来てから感情というものがささやかながらに生まれるようになった。
 張飛達が、少しだけ鬱陶しく思えてきた。どうしてか、自分を忌み嫌う猫族を見ると、敵意とでも言えるような刺々しい感情が胸を刺激する。勿論、関羽に関しては何も思わない。以前のままだ。
 この自分の身に起こる変化には、疎い○○でも分かった。

 困惑は無い。ただ、面倒臭かった。
 今まで無関心で淡泊な自分が感情を手に入れて、その制御が出来ないのは目に見えている。
 面倒なことが増えるだけで、あまり歓迎出来ない変化だ。

 厄介なことになったなあ……何でだろ。
 欠伸して足を止めて外を見る。
 土砂降りで遠くの景色まで見通せなかった。

 数日はこのままだろうね。
 感慨も無く呟いた。

 その時である。


「○○」


 背後から、もう忘れかけた声がした。
 ゆっくりと振り返れば、そこには……そうだ、張世平。関羽と羅音の育て親をした男……だっただろうか?
 この雨の中屋敷へ歩いてきたのか、ずぶ濡れだ。
 会釈をすると、世平は苦しげに顔を歪めた。


「前よりもずっと、他人行儀になったな」

「……はあ。そうでしたっけ」


 世平は目を伏せ、短く首肯する。


「お前からしてみれば、俺にはもう育て親の資格も無いんだろう」

「はあ」


 あ、やっぱり育て親だったのか。よく覚えたな、自分。
 ぼんやりと世平の様子を見つめる○○に、世平は深々と頭を下げた。


「すまなかった」

「はあ」

「頼む。猫族のもとに戻ってくれないか」


 ○○はこてんと首を傾けた。緩く瞬きし、


「世平《さん》、嘘をついたら駄目ですよ」


――――刃を突きつける。


「張飛もだったけど、世平さんもそんなこと思ってないですよ。自分に嘘をついたらいけないって、誰かが言ってたような……あれ、気の所為かな」


 曖昧な記憶に後頭部を掻く。
 まあ良いかと淡々と切り捨て、○○は背を向ける。


「皆私がいない方が良いって言ってたし、これで解決してるじゃないですか」


 それの何処が駄目だというのか。
 心底分からないと、きょとんとした顔で見据えてくる○○に世平は鼻白んだ。

 ○○は一言も発しなくなった彼から視線を逸らし、また散策に戻る。


 世平は、その場に立ち尽くしたままだった。



‡‡‡




 曹操に抱かれた時、○○は自分の身体が性行為に向いていない身体であると自覚した。
 どうも自分は不感症らしい。快感も無いし、あまり濡れもしない。
 関羽は違うだろうけれど、もしかしたら生殖機能もまともではないのかもしれない。

 関羽ばかりが恵まれ、○○は何もかもが欠如する。
 双子でありながら、この違いだ。
 今ではどうでも良いことだけれど、少しだけ気になることがある。


「曹操ー……っと、いない」


 私室には誰もいなかった。
 軍議かなと思いつつ、寝台に横になって目を伏せる。いないなら寝てまとう。あれだ、果報は寝て待て――――あれ、だいぶ違うか。

 暇だと両手を投げ出し睡魔を待つ。が、散策する前にも一睡した為か睡魔は○○を拒絶しているようだ。ずっと待っても一向に眠気はやってこない。
 さてどうしたものかと目を開ける。

 と、時を同じくして扉が開かれた。


「……○○?」


 怪訝そうな声はこの部屋の主のものだ。
 片手を挙げて○○は上体を起こした。


「暇だから来たよ」

「……」


 曹操は呆れた風情で溜息をついた。木簡を机に置いて○○に歩み寄る。肩を掴んで押し倒した。

 頬を撫でて○○の額に口付ける曹操を、○○はじっと見上げる。
 やっぱり、目が変なんだよなぁ。
 最初の目はもっとぎらついていたのに、今では弱っている。○○を抱いた日の翌朝からだ。

 うーん……何かやったっけ、私。
 しかし、思い当たる節は無い。
 何とはなしに曹操の頬を撫でてやれば彼は目を伏せる。かと思えば首筋に噛みついた。痛い。


「痛いんだけど」

「……そうか」


 今度は噛んだ場所を舐め上げる。
 性的な行為のつもりなんだろうけれど、不感症だから感じない。

 されども、○○は曹操の背中を撫で、彼の好きなようにさせた。

 ……どうしてだろうか。
 猫族といるよりも、関羽といるよりも、


 曹操といる方がほっとする。


 行為の時だって感じないし、痛いと言うだけで別に嫌ではなかった。むしろ、抱き締められると自然と身体から力が抜けていった。この感覚は、嫌いではない。

 猫族よりも曹操の近くにいる方がしっくりくる。
 曹操から離れるというのが、今ではもう想像出来なかった。離れたとして、自分がどうなるか分からない。

 どうしてだろうか。
――――やっぱり分かんないや。

 いや、でも分かんないままで良いか。
 どうせずっと曹操の傍にいることになるんだろうし。

 理由考えなくても良いだろう。

 服の打ち合わせを開く曹操を止めもせず、○○は身体を這う感触に力を抜いた。



 自分に疎い彼女が、その時己の口元が弛んでいたことになど、気付く筈もない。



⇒後書き

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