和泉





 ……さて、件(くだん)の物は何処に行ってしまったのか。
 干菓子を頬張る澪の手を引きながら、和泉は周囲を見渡した。

 都を南北に縦断する朱雀大路。
 人々の雑踏に踏み締められる地面には、よくよく見れば様々な芥(ごみ)が転がっている。それは手紙のような物であったり、何かの陶器の欠片であったり、歯牙にもかけられない物ばかりだ。
 けれども和泉達の目的は、それらの中から依頼主の大切な鏡箱だった。

 持ち運ぶには大きすぎる代物だが、依頼主の姫君は母の形見であるそれをいつ如何なる時も肌身離さず持ち歩いていた。
 この依頼主、昔から霊に取り憑かれやすい体質のようで、母がいつも祓ってくれていたらしい。けれども数年前に母親が亡くなり、また霊に悩まされることとなる。
 そのまま陰陽寮の世話になりながらも体調不良の続く日々を過ごしていた彼女は、最近になって母が愛用していた鏡箱に触れた。するとどうしたことか、身体がふっと軽くなったと言う。ずっと所持していると霊が寄ってこなくなるとも分かった。それ故に、ずっと鏡箱を持っているのだった。

 鏡箱は、旬日(じゅんじつ)前牛車の中にいる際に夫が落としてしまったらしい。それが判明したのは、姫の憔悴振りを見かねた夫の従者の告げ口によってだった。妻があんなにも大事にしていた鏡箱を落としておきながら素知らぬフリして姫が失くしたのだと決めつけていた夫は、今も嘯(うそぶ)き続けている。

 詳しい話を語っていた時の姫の必死な顔は剰(あま)りに痛々しく、どうにかして見つけだしてやりたいけれど、旬日も前に失われた鏡箱ともなれば、捜索も難航する。
 それを承知の上で、依頼主は藁にも縋る思いで仕事寮に依頼を出していた。言わば彼女にとっては仕事寮が最後の砦だったのだ。

 見つからないならそれで良い、諦めますと、姫は最後にそう付け加えた。それはあまりに弱々しく、震えていた。
 余程、霊に取り憑かれながら生活するのは辛いものなのだろう。

 今回は澪の目に頼って捜索するが、彼女でも見つけられるかどうか、正直分からなかった。

 ライコウと漣(さざなみ)は市場の方を捜索している。売りに出されていることを考えてのことだ。それに、市場ならば情報も集まりやすい。


「さぁて……地道に地面を見て行こうか、澪」

「はこー」

「そう。丸くて黒いつやつやした綺麗な箱。頑張って探そうね」

「丸、黒、ちゅやちゅやー、さがそー、にぇ」


 握られていない方の干菓子を握った手を天へ突き出し、恐らくは意味のよく分かっていない単語を繰り返す。発音も間違っていた。
 和泉は敢えてこの場で直そうとはせずに朱雀大路を澪の歩調に合わせて歩いた。

 澪は目にする物を視線で追いかけ、ともすればついて行こうとする。
 和泉はそれがただの興味か、気になるものを見つけたのかを見分けながら制御した。実際九割は単なる興味である。彼女の目に浮かんだ感情を見ればすぐに分かる。

 ライコウには澪のことは任せられなかったね。
 実直な彼のことだ、絶対に反応にいちいち従ってしまうに違いない。漣と共に情報収集に向かわせて正解だった。

 澪が仕事寮に加わってもう一月が経とうとしている。
 段々と和泉達の言葉を真似することも増えたが、やはりまだ発音が上手くいかないようだった。覚えた単語でも、ちゃんと言えたり言えなかったりと疎(まば)らだ。出会ったばかりとに比べたら非常に改善しているけれど。

 漣に頼らず、覚えた単語で自分の意思を周囲に伝えようとするようにもなった。
 勉強が嫌いになる素振りは一向に見られなかった。むしろ遊びながら覚えていく方法が功を成したか、自ら勉強に臨む姿勢を見せることもあった。

 愛くるしい獣の少女が、和泉も可愛くて仕方がなかった。例えるなら、子栗鼠か子猿だろうか。
 ばりぼりと干菓子を食べる澪は、すれ違う人々を見上げてはその持ち物に興味を示す。食べ物など見つけると目が一際強く輝いた。そうなると、制するのも一苦労である。可愛らしいけれど、野生なだけあって力は強い。


「こーら。今はお仕事中だからね。お菓子は仕事が終わってから」

「……仕事ちゅー」


 こてんと首を傾げて和泉を仰いでくる。
 その頭を按撫し和泉はふと足を止めた。

 右手に、何か黒い物がある。少し大きい塊だ。
 澪にそれを指差して近付こうとした。

 が、澪はその場からぴくりとも動こうとしない。逆に和泉の腕を引いて逆方向へ向かおうとする。


「澪? どうしたの?」

「呼ぶ、する。来いきょいしゅりぅ……来い、すー……る?」


 ああ、また途中言えなくなっている。重要なことなのだろうけれど、拙い発音がとても間抜けで可愛らしい。
 和泉はこぼれそうになる笑みを我慢しながら、聞き取れた単語から推測し屈んで澪と視線を合わせた。


「誰かが澪を呼んでいるのかい?」

「いゃの人、呼ぶ」

「……誰かを呼んでいるんだね」


 いゃ……恐らくは《あ》と言いたかったのだろうけれど、随分と難しい発音だ。いまいちしまらない。そして無表情に言っているから余計におかしい。
 和泉は澪の頭を撫で彼女の示す方向へ向かうこととした。

 澪は和泉が同じ方向に行ってくれることを認識して、無理に引っ張ろうとはしなくなった。ぺたぺたと先程と同じ速度で和泉を誘導する。

 小路に入ってすぐに右に曲がり、今度は二つ目の十字路を左へ。以降も右に左に曲がり、滅茶苦茶に進んでいった。複雑な道順になってしまっているのは、声を追いながらだからだ。ままに立ち止まって耳を澄ませて周囲を見渡す。


「ゆっくりで良いよ」

「ゆくりー?」

「ゆっくり」

「ゆっくり」

「そう」


 澪は緩く瞬きを繰り返し首を傾けた。



‡‡‡




 澪が示したのは、小さな廃屋だった。辛うじて形は保っているが、板張りの壁は所々が腐食して剥がれ落ち、引き戸の失われた戸口は歪んでひしゃげている。屋根ももう穴だらけで雨を凌げはしない。
 澪は戸口から中に入り、和泉を呼んだ。

 中に入れば獣臭い臭いに思わず鼻と口を袖で覆う。

 彼女が奥まで行くのに従うと、不意に屈んで何かを持ち上げた。くるりと身体を反転させてそれを差し出す。

 鏡箱である。
 多少傷ついている物の、形はそのまま、中身を開けても櫛と鏡がちゃんと収められている。


「はこー、きゃー、きゃー……か、がみ?」


 これは何、と言わんばかりに櫛を見下ろす。
 櫛だと教えると、発音を間違えながら繰り返す。髪を梳くものだと動作で伝えてみるが、そこまでは理解出来なかったらしい。不思議そうな顔をして見つめ返された。まあ、これは後で櫛を用意してゆっくり説明すれば良いか。

 和泉は鏡箱を持って澪の頭を撫でた。


「お手柄だったね。澪」

「おてーぎゃらー」


 ああ、惜しい。
 両手を上げて和泉の言葉を真似する澪は発音が違うことに気付いて、一人不思議そうな顔をして繰り返す。

 和泉はそんな澪の手を引いて廃屋を出た。
 すると、二匹の野良犬が少し離れた場所でこちらを凝視しているのに気付く。
 廃屋に住んでいるのだろうか。だが敵意は無い

 澪は和泉の手を握ったまま野良犬達へ手を振った。

 途端に野良犬達は尾を振って澪に駆け寄ってくる。澪の手を離すとじゃれ始めた。
 獣同士の言葉が行き交う中澪はとても楽しそうに身を捩ったり犬に抱きついて地面を転がったりする。

 ……まるで本当に獣が三匹いるみたいだ。
 和泉は苦笑をこぼし、鏡箱を見下ろした。

 本当はすぐにでも届けた方が良いのだろうけれど……少しくらい寄り道しても良いかな。
 それに今回の功労者は澪だ。鏡箱から聞こえたらしい声を彼女が辿ったおかげでこうして見つけられた。多少の我が儘は聞いてやろう。
 和泉は近くの岩に腰掛けて嬉々としてじゃれつく愛らしい獣達を眺めることとした。



‡‡‡




 気が済んだ澪はとてとてと小走りに和泉のもとへ戻ってきた。
 尻尾を振って吠える犬達に手を振って自ら和泉の手を握る。衣服はすっかり泥で汚れてしまっていた。

 和泉は乱れた彼女の髪を手で梳いてやった。ぼさぼさだ。早くも櫛の使い方を教えることになるかもしれない。


「……うーん。これじゃあ姫のところには連れていけないかなあ」


 届ける時にはライコウと漣に面倒を見てもらっていよう。
 くあ、と大きく口を開けて欠伸をする澪を見下ろし、和泉は目を和ませた。



 この後ライコウ達と合流することになるのだが、澪はその直後自ら川に飛び込みちょっとした騒ぎを起こしてしまう。

 それでも結局許されてしまうのは、澪が人間と言うよりは無邪気な獣だからだろう。



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