関羽
※注意
俺は呂布の肉親にして奴隷である。
弟として生まれながら、姉よりも強い力をその身に秘めながら、物心付いてより今までこき使われ続けた。
人としての生活を認められない。個性など以ての外だ。
ただただ無機質に動き、姉の発散の為に切り刻まれるだけの土人形以下の存在だった。
彼女を憎いとも思わない、殺したいとも思わない。それが普通のことだったから。生まれた時点ですでに、俺は人としての人生は約束されていなかったのだろうと思えば、楽に受け入れられた。
俺は、死ぬまで姉の意のままに生かされ、飼われ続けるのだ。
――――そう、思っていたのに。
「●●、良かったらこれ食べてちょうだい」
それは青天の霹靂とでも言おうか。俺には予想し得なかった人災だった。
関羽。
呂布が執着する猫族の――――否、混血の娘。
その娘は俺が接触を禁じられているとも知らずに間抜けな、平和呆けした脳天気な面で俺に近付いた。どんなにすげなく拒もうと、何度も何度も無遠慮に寄ってきた。
その所為で、俺の身体はぼろぼろだ。肉の再生も追いつかない。これでは命令も果たせずにまた暴行を受けるなんて悪循環じゃないか。
だからと言って逃げることも怒鳴ることも出来なかった。
こいつは俺の不幸でも望んでいるのか。初めて赤の他人を憎らしく思えた。
「要らない」
「そう言わないで。あなたはもっとちゃんと食べて肉を付けるべきよ」
「お前には関係ない。呂布サマにでも持って行けば良いだろ」
「わたしは、あなたに食べて欲しくて作ったのよ」
「偽善行動お疲れサマですネ」
洛陽の町中、関羽は俺にしつこくついて回った。こんな様を張遼や呂布に見られたら手痛い仕置きだ。内臓が駄目になるかもしれない。ああ、これ人生初じゃね? うわあ憎らしい。
俺は足を早めて関羽を引き離した。
が、それでもあいつは食い下がる。
「待って、●●!」
「五月蠅い。ついてくんな、俺に構うな。俺は呂布サマの弟だぞ」
「知っているわ。でもあなた、呂布に酷い扱いを受けているんじゃないの?」
いつも怪我をしているじゃない。
いやこれお前の所為だよお前が俺に関わろうとするから呂布の機嫌が悪くなるんだよ察しろよ頭の中スッカラカンの救いようの無い馬鹿なのかよお前は。
心中で早口に文句を言う。
腕を握られ強く振り払った。
「触るな」
冷たく言って、再び歩き始める。
――――が、そこで運悪く二次災害。
俺は足を止めて吐息を漏らした。道を開ける為、右に退く。
豊満な胸の谷間を晒す、薄い紫の髪の女は俺に無機質な目を向けて、関羽に気付き頬を赤らめる。
「まあまあ、子猫ちゃん!」
「……呂布サマに菓子作ったそうですよ。案内を頼まれたんですが、最優先事項は呂布サマの命令なので」
「あらそう。じゃあもう退がってよろしくてよ。……でも、夜はちゃんと屋敷にいるようにね」
……あーぁ。
折檻(せっかん)決定だわこれ。
呂布に頭を下げて大股に歩きつつ、俺は舌を打った。
本当に、あいつは俺の不幸を望んでやがるらしい。
腹の立つ娘だ。
‡‡‡
ぽたりぽたりと滴るのは血。
目の前に横たわる身体から流れるのは一つの命。
彼にとって絶対的な存在であり、唯一の肉親だった女。その命が、失われていく。
それを眺めながら、彼は口角を歪めた。
酷薄で、愉しげで、何かに狂ったようにひきつった笑声を紫に変色した唇から漏らした。かたかたと肩が痙攣した。
手から、戦斧が落ちる。重い音を立てて床に落ちたそれを一瞥した。彼女の得物だった物だ。
呆気ない、なんて呆気ない。
俺を今まで奴隷と扱ってきた女はこんなにも簡単に死んでしまう存在だったのか。なんて無様だ。こいつも、俺も。
ゆっくりと歩み寄り、実姉の亡骸を容赦無く蹴り上げる。
血肉を飛び散らして転がったそれは、ただの肉塊だ。
死んだ、肉塊。
「……く、……っはは、」
片手で顔を覆い、ふらりと後退する。
死んでる、死んでる、死んでる――――死んでる!
殺したのだ、俺が! 実姉を、支配者を!
解放なんて無かった。
むしろ、新たな鎖が彼に巻き付いただけ。
自由? そんなもの無い。
俺の未来(さき)はこんなにも真っ暗じゃないか!
「ははははははハは、はぁ、っはははは……!!」
近くにあった調度品を蹴りつけ倒す。戦斧を再び握って肉塊や調度品、その場にある物全てを衝動のまま破壊した。
けれど、足りない。全然足りない。
……ああ、そうか。
壊したいのはこれじゃないのか。
もっと別の物だ。
姉から伝染したのだろうか。
今までどうでも良かった命に興味が湧いた。
――――否、正しくは命の断末魔だ。
命の断末魔が聞きたくなった。
命の今際(いまわ)の際の歪んだ顔を見たくなった。
命の身体の中身を暴きたくなった。
嗚呼――――《彼女》はどんな風なのだろうか。
止まらない。
止まれない。
この欲の止め方を、俺は知らない。いや、そもそも止めるべき衝動なのだろうか?
いいや、止めなくて良いだろ。
だって、それはとても愉しそうだ。どうしてかは分からないけれど、《彼女》であるだけで、とても愉しそうだ。
長く続いた哄笑は唐突に止む。
肩越しに振り返れば、いつの間にか、部屋の扉は開いていた。
誰が開けたのか。
犯人は、すぐそこに立っている。
愕然として、黒の双眸を見開いて彼を凝視する彼女の頭には猫の耳。
「……関羽」
「あ……ぁあ……っ」
関羽は首をゆっくりと左右に振って数歩後退した。
彼はそれにくつりと咽の奥で嗤(わら)う。この時の俺は、さぞ歪んだ顔をしていただろう。
何故ならそこに、《愛しい命》を見つけたから。
向き直れば関羽は弾かれたように身を翻した。一目散に駆け出すのを彼は笑声を上げて追いかける。
関羽の速度には、簡単に追いつけた。
髪を鷲掴みにして引っ張り、廊下に倒れ込んだのところで馬乗りになる。
にやにやが止まらない。
丁度良い時に彼女は現れてくれた。俺のもとに来てくれた。
まるで、その命を俺に捧げてくれるかのようじゃないか!
もがく関羽の両手を冷たい床に縫いつけ、彼は嫣然と微笑んだ。徐(おもむろ)に首筋に顔を埋め、皮膚を噛み千切る。
「うぐぅ……!」
「はは……甘ぇな、お前の血は」
これは、予想外だ。
愉しげに言う彼を真上に、関羽はただただ恐怖に戦(おのの)くだけ。目を見開いて彼から目を逸らさない。
「止め、て……●●……!!」
彼女の心胆を寒からしめているのは紛れも無い俺。
そんなことで、こんなにも興奮する。
嗚呼……殺したい。殺してみたい。関羽の中身を暴いて見たい。
彼女の胸に手をやるとびくりと大きく震えて一層抵抗する。開いた片手が彼の頬をひっぱたいた。それに一瞬だけ怯んだのを押し退け、関羽は逃げる。距離を取って胸を押さえ泣きそうに顔を歪める。
ざわり、と嫌悪。
違う。俺が見たいのはそんな顔じゃない。苦しげな顔は見たいが、泣かせたい訳ではない。悲しい顔をさせたい訳ではない。
「どうしたの!? ●●、あなた呂布を殺したの!? どうして、あんなに惨たらしく……」
「さあ……どうしてだろうな。けど、呂布サマを殺して分かったよ。俺はやっぱりあいつの実弟だ。お前の苦しむ姿が、血が、内臓が見たくて仕方がない!」
両手を広げて関羽に近付こうとすれば、彼女はその分離れていく。
全身で彼を拒絶する様子に、何故か胸が痛んだ。
「●●、お願いだから正気に戻って……」
「正気? 正気って何だ? そもそも俺に正気はあったのか? どれが正気なんだ?」
元々呂布は狂っている。弟の俺も生まれながら狂っていた。
正気なんて、何処にもない。
正気であれば、痛めつけられるだけの奴隷を甘んじていた筈が無いじゃないか。
俺達の何処に、正気はあった?
「あなたは……私達に優しかったわ。それは呂布とは違う。あなたは、猫族の陣屋にいる時だけは人形でも奴隷でもなくて、人間だった。わたしはそう感じていた」
「優しければ人? 極端な基準だな。人間はお前達を十三支と蔑んでるだろ」
「そういうことじゃないの。わたしが言いたいのは、あなたは呂布とは違うということよ」
呂布と違う? いいや同じだ。
俺は呂布の実弟。同じ血を引く者だ。
だから、この衝動も姉に似たのだ。
「……俺は……お前を殺したいよ。お前を滅茶苦茶に壊して、断末魔を聞いてみたい」
「●●」
「殺されたくないなら殺せよ。楽しもうぜ……紙一重の殺し合いをさぁ」
俺はもう止まらない。
戦斧を関羽の方へ投げ捨て、自身は両手を広げる。艶やかな笑みを浮かべて関羽に近付くと、彼女は戦斧を拾い上げて身構える。
嗚呼、愉しい。
抵抗される。それもとても興奮する。
抵抗する彼女を捻じ伏せて、壊していく。
なんて素敵だろう!
彼は哄笑する。
そんな彼に、関羽は叫んだ。
「どうして……どうしてこんなことになったの!!」
どうして?
さあ、どうしてだろう。
分かるような気がするけれど、分からない。
‡‡‡
――――徐州は小沛。
「あ、●●!!」
川辺を歩いていたところに、またあの声。
辟易して溜息を付いた俺は足を止め、ゆっくりと振り返った。
俺よりも頭一つ半程小さい混血の娘が駆け寄ってくる。
……よくもまあ飽きもせず、俺に嫌がらせをするもんだ。
小沛に落ち着くまで、これで関羽のことで折檻を受けることは無いと思っていたのに。ああ、人生とはままならないものだ。
面倒臭い。
「……菓子でも作ってきたのか」
「えっ、どうして分かったの?」
「……お前、俺に会いに来る度それしか無えだろ」
というか、そういう記憶しか無い。
じとりと半眼になって睨めば、どうしてかそこで顔を赤らめる。意味が分からない。
念の為周囲を確認する。誰もいない。
だがそれも時間の問題だろう。
俺は舌打ちして関羽の手から乱暴に菓子を取り上げて背を向けた。
「これで良いんだろ。さっさと帰れよ」
「……」
反応が無い。
「……あ?」
怪訝に思って振り返ると、さっきよりも顔が赤くなっているような気がする。
「何だよ、風邪か」
「……て、」
「は?」
「初めて、受け取ってくれた……!」
「……それが何だよ」
感激した風情で関羽は晴れやかに笑った。
意味が分からない俺は、唇を歪めて関羽から距離を取った。
そして、気付く。
どうしてか、胸がむず痒い。
‡‡‡
「――――ああ、そうだ。そう言えばそうだったわ」
再び関羽に馬乗りになりながら、彼は呟いた。
お互い満身創痍だ。関羽はすでに絶入(ぜつじゅ)している。
彼女を見下ろしながら、彼は近くに転がった戦斧を持った。
「呂布サマが、言ったんだっけ。お前を閨(ねや)に誘うって」
そうだ。
そしてその後――――。
徐州で見た関羽の笑顔が頭をよぎって目の前が真っ赤になったんだった。
じゃあ、こいつが原因ってことか。
彼は無表情になった。徐(おもむろ)に戦斧を振り上げる――――……。
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