関羽





 人は言う。
 張飛と●●は片方が生まれてくる場所を間違えたのだと。
 それくらい、双子の彼らは全く似ていなかった。むしろ、類似点を見つけることの方が難しい。

 張飛はがさつで鈍感、●●は繊細で感受性が高い。
 故に張飛は武を好み、●●は文を好んだ。

 食についても●●は過剰な拘(こだわ)りを見せ、張飛も舌を巻く程にその腕は卓越した。今では女性の方が彼に料理を教わろうとする程だ。
 女々しいと自ら卑下してはいるものの、料理については彼は何よりも頑固で譲らない。
 張飛もそれについては言及しようとはしなかった。彼なりに片割れが本気でその女々しいことを極めんとしているのを肌で感じているので、逆に擁護(ようご)している。それに、いつも試食に呼ばれるのが双子の自分だからということもあった。

 荒々しい張飛と、物静かな●●、二人で丁度良い塩梅(あんばい)なのかもしれない――――そう、関羽は思う。
 現に武の苦手な●●を張飛が守り、そんな彼を●●がその頭脳で助ける。張飛のだらしない部分は●●が補い、●●の力では難しいことは張飛が代わる。
 双子と言うには剰(あま)りに似ていないけれど、猫族の中では最も息の合う、仲の良い二人だった。

 正直、関羽は二人が羨ましかった。
 自分は一人っ子、あんな風に理解し合える兄弟はいない。

 昔一度だけそれを●●の前で吐露したことがあった。あまりにも羨ましくて、除け者にされているみたいで悔しくて、寂しくて。不満をぶつけるように、●●に言ってしまった。

 が、その時彼は何故か拗ねてふてくされてしまった。
 気を悪くしてしまったと慌てた関羽を睨めつけながら、彼はこう言った。


『関羽はボクらのお姉さんじゃないか。兄弟がいないなんて酷いな』


 虚を突かれた思いだった。
 当時、混血だからと色々と後ろ指を指されていたから、関羽に懐いた張飛に付き合ってくれているとばかり思っていた●●にそう思ってもらえていたことが存外で、とても嬉しかった。

 それから、●●は関羽を気遣って張飛との会話の途中でも必ず関羽を交えるように計らった。自分よりも年下なのに、自分が面倒を見られているようで、とても恥ずかしかったけれど、嬉しかった。

 そんな、優しい●●に惹かれたのはいつの頃だっただろうか。
 関羽自身、未だに分かっていないことだった。



‡‡‡




「……う、関羽」



 誰かが、わたしを呼んでいる。
 誰かしら。
 ……わたし、いつの間に寝ていたのかしら。
 うっすらと瞼を押し上げて、視界に入った蒼に一度目を伏せる。そして、今度こそ完全に押し上げた。

 瞳を左右に動かすと、右に自分を見下ろして苦笑する少年の姿が。

 彼が持ち上げた腕を見た瞬間、彼女は悲鳴を上げて飛び起きた。
 そして《それ》を放して居住まいを正す。髪についた葉を落として整えた。


「ごっ、ごめんなさい、●●! わたしったら……」

「いや、良いさ。袖を掴むくらい。張飛なら起こそうとすると必ず鉄拳が二発来るから」


 それにしても、熟睡していたみたいだね。
 少しだけおかしそうに笑う●●に、関羽は羞恥で顔を真っ赤にする。ああ、恥ずかしい。爆睡しているところを見られていたなんて!
 片手で顔を覆って嘆息する。

 ●●は小さな笑声を漏らして関羽の頭を撫でた。


「君は最近、疲れているみたいだからね。まあ、大勢の人間を連れてのこの長旅、気を張るのも無理はないとは思うけれど、たまには熟睡して休ませた方が良い。でなければいつか倒れつてしまうよ。そうなったら、張飛も世平さんも心配する」

「……●●は?」

「勿論、ボクもね」


 ほっと安堵。
 年下に頭を撫でられながら、関羽は肩から力を抜く。こんな些末な言葉にすら過敏に勘ぐってしまうなんて……どれだけ惚れ込んでしまったのかしら。

 関羽の心中のぼやきなど知る由(よし)も無く、●●は首を傾けて関羽を呼び顔を覗き込む。そして、何かに思い至ったように表情を弛めた。


「ああ、ひょっとしてまだ眠い? すまなかったね。あのまま寝かせておけば良かった」

「へ? あ、いいえ! 良いのよそんなこと、気にしないでっ!」


 むしろあのまま爆睡している姿を見られている方が恥ずかしい!!
 真っ赤になった顔をぶんぶんと左右に振る。

 ●●は今度は心配そうに大丈夫かと問う。疲れているからと気を遣ってくれているのは嬉しいけれど、寝顔をずっと見られているのは恥ずかしいし、袖を掴んだままでいるなんて全身から火が噴きそうだ。


「そ、それよりも! それよりもわたしに何か用があったの?」

「ん? ……ああ、うん。疲れているみたいだったからね。これを、って」


 言いながら差し出されたのは桃の形をした壽桃(ショウタオ)。祝い事に食べる菓子だ。
 別に祝い事をしてはいないし、曹操から追われている今、そのような余裕は無い。物資も限られている中で作ったのだろうか。


「試しに味を変えて作ったんだ。味は張飛も保証してもらったから大丈夫」

「でも、●●。あなた……」

「ああ、物資なら問題は無いよ。ボクが万が一の為に貯めておいた物だから。半分使っても相当な量になったから、趙雲や張飛達に手伝ってもらって子供達に配ってもらってる。子供達を励ますなら、お菓子が一番だろうからね。これで、少しは元気を出してもらえたら良いけれど」


 それだけの蓄えを……いつの間に。
 唖然とする関羽に、●●は苦笑した。


「こんなことを言うと怒られてしまうかもしれないけれど、新野移住が決まった時点でボクも曹操が攻めてくることは予想していたんだ。こっそり、情報収集していたから。だから、新野城下でこっそり物資を買い集めてたんだ」

「そんな……どうして言わなかったの?」


 責めるような口調になってしまったのは仕方がないことだった。
 けれども●●は彼女の棘を甘んじる。


「逆に訊ねてしまうけれど、じゃあ、関羽はすぐにでも、曹操のことを話して疲れ果てた皆をまた行く宛の無い旅路へつかせても良かった?」

「……、それは、」


 俯くと、頭を撫でられた。


「猫族の疲労は君も分かっていた筈。ましてその状態の子供達に更に苦しいことを強いることは下策だよ。関羽、少しキツい言い方をするけれど、君は甘いし、先を考えなさすぎる」

「……」

「諸葛亮殿は猫族の状態を分かっていて、そして劉備様のご意志を汲んでそのような選択をなさったんだ。彼のやり方は君達にとっては不満に感じられただろうけれど、ボクは賛同するよ。猫族をこれ以上苦しませたくない。その為には、もうボクらは戦うしか無い。戦って、自分達の生を掴み取るしか無いんだ。本当はもう、曹操によって猫族が幽州から引きずり出された時から、覚悟しておくべきだった。ボク達は平穏しか知らない。だから……目まぐるしい変化についていけなかったし、ついていこうともしなかった」


 これが乱世。ひとたび入り込めば、平穏に戻ることは容易ではない。
 引き締めた表情は遠くを見つめる。

 ●●は、張飛と違って先見の才がある。
 それ故に諸葛亮からもよく呼ばれ、意見を求められることも多々あった。
 曹操相手にはただの戦えない軟弱男を演じていたが、もし彼が●●の才能に目を付けていたらと思うと……今でもぞっとする。

 その彼が才能を惜しまず、猫族を守ろうとしている。
 いつでも柔和な態度を崩さない彼の堅い決意を目の当たりにしたのは初めてだ。こんなに、逞(たくま)しかっただろうか、この人は。
 己の胸が跳ね上がるのを感じ、関羽は胸を押さえた。

 俯くと、●●はゆっくりと腰を上げた。


「……さて、ボクはもう戻るね。そろそろ休息が終わって進み出すと思うから、関羽も戻った方が良い」

「え? あ、え、ええ! そうね。じゃあ、一緒に――――」


 慌てて立ち上がった、その直後。
 起きたばかりだった為、足がふらついて倒れ込んでしまった。

 ●●が受け止める。
 顔をぶつけた胸板の感触にまた心臓が跳ね上がった。●●の身体、こんなに堅かったの?


「ご、ごめんなさい……」

「良いよ。起きたばかりだと満足に動けない。ゆっくり動いた方が良い」

「そ、そうね、気を付けるわ」


 ●●は笑い、ごく自然な所作で関羽の手を握った。ひっと悲鳴を漏らす関羽に笑いかけて歩き出す。その足取りは関羽のことを考えてゆっくりだった。


「戻ろう。手を繋げば、大丈夫だろう?」

「……あ……は、い」


 ……バレてしまわないだろうか。
 この高鳴る胸が、この身体の温度が、この手を伝って彼に知られてしまわないだろうか。
 関羽は怖ず怖ずと握り返し、真っ赤に熟れた顔を隠さんと視線を緑色の地面に落とした。

 嗚呼、彼は今一人前の男になっているのかもしれない。
 年下なのに、年上のような、頼もしい男になりかけているのかもしれない。

 いや、ひょっとしたら昔から、●●はそうだったのかも――――。


 胸が高まって、熱くなって、堪らない。
 わたし、本当に●●のお姉さんじゃいられないかも。
 そっと、彼の後ろ姿を熱っぽい眼差しで見つめる。

 ●●が振り返ると、逃げるように俯いた。


「……あのさ、関羽」

「何?」

「ボク、弓を学んでいるんだ。戦場に出る為に」

「え……?」


 関羽は顎を落とした。

 ●●は武はあまり得意ではない。だから多少身体を鍛える程度に留めていた。
 そんな彼が、弓を?


「そんな、危ないわ!」

「でもそれは皆も同じことだろう」


 彼は苦笑する。


「張飛も一人では心配だし、そろそろ本気で、頑張り過ぎて無茶を無茶と思わないような危ないお姉さんを守りたいしね」


 微笑む●●に、心臓が爆発しそうだった。
 そんなことを言われたら……止めるに止められない。

 どうしよう。
 危険だから止めて欲しいけれど――――それ以上に、関羽を守りたいと、彼の言葉が物凄く、嬉しかった。



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