恒浪牙――――否、華佗(かだ)は鈍器で殴られたような重い衝撃を受けた。

 何だ、この目の前の青年は。
 その顔、その構え、その口調。
 《利天》そのものじゃねえか!
 転生か? ――――いや、それにしたって限度があるだろ。さすがに利天自身が記憶を持って生まれる訳がない。

 だが今の彼は華佗が忘れる筈もない利天その人で。
 嘗(かつ)て自分が面倒見ていた賊が生まれる前からの親友であり、俺の所為で死んだ右腕的存在であった男。

 華佗は奥歯を噛み締めた。ぎり、と歯が軋む。

 そんな頭領に、利天は呆れた様子で片手を振った。


「恒浪牙ねえ……華佗、まさかお前今まで賊の奴らの名前を偽名にしてきたんじゃねえだろうな」

「……」

「俺らは滅びるべくして滅びた。それだけのことだ。お前が気にすることでもねえし、そう囚われる必要は無え」

「……じゃあ何故てめえはここにいる?」


 俺に復讐をするでもないのなら、何故。
 視線を僅かに逸らしながら問う。
 利天は甘寧を一瞬だけ見て、胸を押さえた。


「必然的に、こいつの身体に宿ってな。俺はこいつを守らなきゃならねえ。そう決めた。だからここにいる。別にお前に復讐したいとか思っちゃいねえよ。そもそも怨んでもなかったしよ。未練と言えば砂嵐が正気に戻れたのか気がかりだったくらいだ」

「李典……そう呼ばれていたな。まさかとは思うがそいつは、」


 甘寧が口を挟むが、こちらを見て途中で止める。

 それで、華佗は悟った。
 何故李典が利天にそっくりなのか、何故李典を守ろうと思うのか。


「……利空の子孫、か?」


 利空、その名を口にすることすら、気まずい。胸中に沸き上がるのは罪悪感だ。

 利空は利天の双子の兄だ。
 元々この双子は武門の名家に生まれ、将来を期待されていた。
 利天の方が武には優れていたものの親との意見の不一致から出奔、勘当となり、利空が家督を継ぐこととなった。

 何の因果か、利天を賊として処刑したのは、利空。
 その子孫の身体に何らかの理由で宿っていたなんて、誰が想像し得ただろう。


「……お前の意識は今まで何処にあったんだ」

「龍脈。ずっと漂っていた。何故か、龍脈に同化することも無く、な」

「誰がお前をそいつの身体に入れた」

「お前らも良く知ってる奴さ。名前は、確か――――」

「玉藻(ぎょくそう)」


 利天の言葉を遮ったのは甘寧だ。
 低く、慎重にその名を口にする。無表情に利天を見つめている彼女の内なる感情は、華佗には想像に難くない。

 その名は、狐狸一族の中でも、仙人達の中で口にすることすら禁忌とされている。この暗黙の了解は天帝に最も近い彼女を気遣ってのことだ。
 玉藻――――彼女は、あまりに大きな傷を甘寧に遺していった。


「おい、甘寧」

「……ところで、オレはお前が持っている《それ》について訊きたかったんだが?」


 話は終わりだと言わんばかりに肩をすくめてすげ替える。確かに、関羽や周瑜の前で、これ以上深い話をするのはまずい。

 利天もその点は心得ているようだ。利天は武器を手にしてはいるが敵意は無い。曹操を逃がす為かは分からないが、話をするだけで、ここで何かを仕掛けてくることは無いだろう。
 彼は懐から一つの簪(かんざし)を取り出し見せつけるように顔の前に掲げた。

 質素ながらになかなかに品のあるそれは、華佗も見覚えがある。確か幽谷が仮の器に宿って別人として自分に同行させていた頃に薬屋の客から貰い受けた簪ではなかったか。
 ……しかし、あの装飾は妙だ。
 華佗の記憶が正しければ珠は全て赤かった。それが一つだけ透き通った薄い青ではないか。

 ……待て、青?
 あの青、《あいつ》の片目の色と良く似て――――。


「……って、甘寧!!」

「その狐玉(こだま)、何処で拾った」


 甘寧は静かに問いかけた。

 利天は肩をすくめ「ただ偶然見つけたのを回収しただけさ」と。甘寧の眼光が険を帯びるのに両手を挙げて見せた。


「本当の話だ。夏侯惇に寄りつく良いとこの女が持ってたんだよ。それをちょいと頂戴して、利用させてもらっているだけさ。あっちは装飾品の一つを失くした程度にしか思っていない」

「……オレの術を解いて何をするつもりなんだ」

「幽谷の身体が欲しい。李典を救う為に。あんたにも、幽谷にも申し訳ないが、幽谷の身体以外に良い器が無えんだ」


 「すまない」彼は甘寧に頭を下げる。律儀に謝罪をする辺り彼らしいとも言えるが……彼にとって譲れない重要なことなのだ。
 そんなにも李典のことを……。
 では李典に何が起こっているのか。

 それを問おうとすれば、利天はそれを拒むように背を向けた。


「そろそろ曹操も合流出来ただろ。俺は戻る。そういうことだから、今度会った時は力ずくで幽谷を連れて行かせてもらう。狐玉を返す代わりに幽谷を、なんて取引を持ちかけても応じてくれなさそうだからな」


 きっと、利天は幽谷が記憶を中途半端に取り戻し曹操軍に向かう展開を望んだのだろう。なるべくなら人を傷つけたくはない――――彼はそういう人間だ。

 利天は歩き出し、ふと止まった。
 肩越しに振り返り関羽と甘寧を呼ぶ。


「さっきから目に毒だ。女が肌を晒すな。首から足先まできっちり隠せ。破廉恥な格好はするな」

「え?」

「……」

「何だよ」

「……いや、お前ってたまに馬鹿に見えていたのを今思い出した」

「てめえより教養はある」

「いやそっちの話じゃねえから」


 利天は、昔のまま。昔の態度で振る舞っている。
 だから、本人に敵と宣言されても実感が薄かった。
 昔に戻ったような懐旧の念がこみ上げ、同時に真っ黒で刺々しい罪悪感が内側から華佗を責め苛む。
 いっそ復讐がしたいと言われた方がましだった。敵として認識も出来た。

 だが、至って普通の利天だと、非常にやりづらいではないか。

 今度こそ本体へ戻っていく死んだ親友を見送り、華佗は顔をぐにゃりと歪めた。


「華佗。そういうことだ。悪いがあいつを殺したとしても文句は言うなよ」

「……ああ」


 華佗は曖昧に頷き、劉備に歩み寄った。ぐったりと動かぬ彼を肩に担ぎ、関羽の肩に手を置く。


「怪我は?」

「ありません。……けど、幽谷は、」

「あいつなら大丈夫だろうよ。貫通しても死にゃしねえのが狐狸一族だし。……幽谷の心配よりも、劉備や自分達の心配をした方が良い。伯母上のことだ、劉備の暴走を人間にも猫族にも見せてるだろうよ。脚色つけた上で」


 甘寧なりの考えがあってのことだろうが、基本的に気まぐれな印象が先立ってしまうのが彼女だ。関羽にはさぞ酷い女に思えることだろう。
 だが、劉備について甘くいられないのもまた事実。

 玉藻がこの世の何処かに潜んでいるともなれば、劉備の足並みに併せてやるというのは難しいのだ。
 正直玉藻と相対するのなら、金眼と戦っていた方が数百倍もましだ。
 加えてもう一匹、呂布が身体の中に飼っていた奴まで出てきたとくりゃ……俺であっても何もせずに天界に帰りそうだ。

 抑えられるものは抑えておく。
 関羽や劉備には悪いが、華佗は甘寧に従うつもりだった。



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