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 十里程度。
 一日に進む距離だ。
 思ったよりも遅い。


「やはり、民を置いていくべきです、劉備様」


 諸葛亮は渋面を作って諫言をかける。

 劉備は瞳を揺らし、首を左右に振って拒絶。
 新野の民を誘うような言葉をかけたのは他でもない自分であり、それは彼らを助けたいという心からの思いからの言葉だ。
 何が何でも、彼は見捨てるという選択肢は、絶対に選ぶまい。
 幽谷は、そう思いつつ張飛の隣で二人の会話に耳を傾ける。


「民を見捨てろという話ではありません。民には最小限の兵をつけます。彼らだけで江陵に向かえばよろしいのです。劉備様は、主立った将を連れ、先に江陵へと向かわれるべきです」


 劉備は眦を下げた。

 張飛は諸葛亮を見、口を開いた。


「諸葛亮の言うことも一理あるぜ、劉備。曹操の狙いは、あくまでもオレたち猫族だろ? 人間たちが危険な目にあうとは限らないぜ」

「そうかもしれない。けれど、もし曹操が民たちに襲いかかったら、戦えない彼らはひとたまりもない」


 猫族を追い詰める為に、民を敢えて殺すという非常な真似をしないとも限らない。
 曹操がどんな人物であるかはよく知らないが、猫族を利用し続けた男であるのなら猫族の性質も分かっている筈だ。幽谷はそのように思う。


「だけど、諸葛亮の言いたいこともわかる。この状態で曹操軍に追いつかれてしまったら僕たちはひとたまりもない」


 そこで考えたんだ。
 劉備は諸葛亮に一つ、頼みをする。

 江夏に移った劉キへの援軍要請である。
 劉キは、恐らくはまだ曹操軍に攻められてはいないだろう。
 そう言う彼に、諸葛亮は顎に手を添え一考する。


「確かに、劉キ様ならば父上である劉表様を討った曹操のことをよく思っていないはず。我々に力を貸す可能性は大いにあります」

「諸葛亮、君は劉キ様から先生と呼ばれ慕われていた。どうか、劉キ様を説得し援軍をお願いしてもらいたい」

「援軍はありがねーな! でもそれって、間に合うのか?」


 そこで、周泰が呟いた。「……船」それを聞きつけた劉備が大きく頷いた。


「そうだよね、諸葛亮」

「はい。その通りです。必ずや、間に合わせてみせます」


 強く頷く諸葛亮に、劉備は凛然と、満足そうに頷き返す。
 その様たるや、まさに長。
 ふと、身動ぎした関羽に視線を向けると、何処か……迷子になった子供のような顔をしていた。

 首を傾けると、後ろに気配を感じて振り返らずに匕首を向ける。
 それを避けて彼女の前へ回り込んできたのは周瑜。その後ろには未だ外套で顔も隠した孫権。

 周泰が周瑜の腰を蹴りつける。
 彼の周瑜に対する容赦の無さは周知の事実だ。諸葛亮と幽谷を覗く皆が苦笑を滲ませた。


「……ったく。ただ抱きつこうとしただけだろうが」

「……」

「無言で匕首を出すな!」

「用件をさっさと言え」


 周泰は幽谷の腕を掴み後ろへ隠す。
 周瑜は後頭部を掻き、肩をすくめた。


「江夏に行くんだろ? オレも一緒につれていってもらえないか?」

「え? 周瑜、どうしたの?」

「いや、ちょっと江夏にも行ってみたかったんだ。ついでだよ、ついで」


 軽佻(けいちょう)に返す周瑜に、関羽は顔を歪める。
 呆れた風情で半眼になって睨む。

 されど、


「いや、いいだろう。一緒に来るといい、周瑜」

「さすが。話が早いな。んじゃ幽谷。アンタはオレと――――」

「周瑜には周泰、お前がついて行け」


 周瑜の言葉を遮ったのは甘寧だ。今の今まで人間達に混ざっていた――――と、関羽達は勝手に認識していた――――彼は周泰の背中をばんと叩き幽谷の肩を抱いて引き寄せる。

 周瑜と諸葛亮が同時に眉間に皺を寄せた。諸葛亮も、恐らくは夏侯惇のことを考慮して自分に同行させるつもりだったのだろう。
 視線で甘寧を質(ただ)す。

 周泰は、無表情に甘寧の言葉を待っている。


「こいつらの言葉を聞いて、オレの言葉が聞けない筈がないよな」

「従います」

「周泰」


 諸葛亮が咎めるように呼ぶのに、甘寧はにこやかに片手を振った。


「はいはい。狐狸一族には狐狸一族のやり方ってもんがあるんだよ。猫族や人間に介入されて欲しくないものだね」


 すっと細められた青い目だけは、笑ってなかった。


「夏侯惇をどうにかすれば良いんだろ? 最悪曹操諸共殺せば万事解決」

「諸共頃殺せって……そんな簡単な話じゃないだろ」

「簡単だろ? 生き物なんざ首の骨をボギッとやれば容易く死ぬ。心臓を貫いて引きずり出せば容易く死ぬ」


 事も無げに残酷なことを言う。
 それがわざとであることも気付かずに、反応に困った猫族は甘寧を見上げ困惑に瞳を揺らす。


「っつーことだから。周泰は、しっかり守るように」

「はい」


 甘寧は飄々とした笑みで幽谷の頭を撫でる。

 諸葛亮は渋面を作って甘寧を見据え、やがて諦めたように溜息をついた。


「……分かった。では、周泰を連れていく」


 劉備に向き直った彼は、恭しく拱手した。


「それでは劉備様、しばらくのお別れです。……ご武運を」

「うん。諸葛亮達も。気を付けて」


 劉備は甘寧を一瞥し、周泰に苦笑を浮かべて見せた。

 ……甘寧は、何を考えているのだろうか。
 元々捕らえ所の無い性格だったけれど、今回は今まで以上に考えていることが分からない。
 張り付けたような笑みを浮かべる彼を見上げ、幽谷は首を傾けた。

 幽谷の視線に気付くと、今度はにっこりと、含みの無い快活な笑みを浮かべた。
 ああ、いつもの笑顔だ。
 安堵を覚え、肩から力が抜けた。



―第四章・了―




○●○

 五章でははらころで重要な場面が出てくるので、気合い入れて書かなければ……。



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