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「……甘寧。何故お前はここにいる」


 孫権は静かに、目の前の長身の男に問いを投げかけた。

 甘寧は首をすくませ、「気分さ」と何てことも無い様子で答えた。
 気分――――確かに、甘寧の性分を考えればそれも立派な行動理由になり得る。

 けども、孫権はそれ以外の返答を求めた。
 その後ろに控える周泰もまた、同じだ。静かに彼を見据え、答えを乞う。

 甘寧はにやにやと笑みを浮かべて壁に寄りかかった。腕を組み重心を左に置き、浮いた右足を左足と交差させた。
 試すような笑みだ。
 孫権がここに何をしにきたのか、それを分かっていて浮かべている笑みだ。

 孫権は眉間に皺を寄せた。


「甘寧……」

「おおっと。怖い怖い。そう怒んなって。オレはただ、懐かしい気配がしたから人界を彷徨いていただけさ。……まあ、劉備が力に囚われ暴走する様を見たくなって猫族に合流したんだがな」


 甘寧はそこで、ふっと真顔になる。周泰を見やった。


「……周泰、体調は戻っているのか?」


 ぴくり、と周泰が反応する。
 孫権が振り返ったのに顔を逸らし、「問題はありません」と少し突き放すように言った。訊かれたくなかったことを訊かれ、拒んだ。

 甘寧はそれを許さず、眼光を鋭くした。もう一度、同じ問いを繰り返した。

 ややあって、周泰は諦めた様子で吐息を漏らし、


「……また《ああなった時》、あなたが危惧されたことが起こり得ます」

「最初から正直に答えろ。お前の身体はオレにとっても、赫蘭にとっても厄介なんだ」

「申し訳ありません」


 甘寧は壁から離れて周泰に歩み寄る。肩に手を置き二度程叩いた。
 すると、周泰が目を伏せ、ふっと力を抜く。

 彼が目を開けたのを視認し、甘寧は手を離した。
 怪訝そうな孫権に笑いかけて周泰の脇を通り抜ける。


「取り敢えず、オレがここにいるのは至極個人的な理由だから、気にすんな。お前はお前なりに、《判断すれば》良い」


 片手を振って大股に歩く。
 長い廊下を歩き、せわしなく動き回る民や兵士、猫族を眺める。
 結局、ほとんどの人間猫族について行くことにしたようだ。猫族だけで逃げるならばまだしも……これでは必ず何処かで曹操軍に追いつかれてしまう。
 その時、彼らの周りは断末魔が合唱する地獄絵図となるだろう。

 劉備は……精神的に追い詰められてまた暴走するかな?

 それを甘寧は見たいのだ。
 これだけを言えば、大概の者から顰蹙(ひんしゅく)を買うだろう。
 甘寧の性格を知らぬ者は、彼を気まぐれな非情の者と認識する。
 孫権はそれなりの付き合いになるからそうでもないけれど、時折甘寧の行動には戸惑い理解出来ないことがあるようだ。

 劉備の暴走をその目で見た時、孫権はどのように判断するのだろうか。
 それを見届けるのも良いかもしれない。

 そんなことを考えていると、


「甘寧さん!」


 後ろから声がした。


「んー……?」


 足を止めて振り返れば、そこには劉備が。
 身体をくるりと反転させてにこやかに片手を挙げると、彼は前に立って微笑んだ。


「ここにいたんですね」

「ああ。やること無くて暇だからな。封統探してた」

「彼女なら諸葛亮と何か話していましたよ」

「そうか。……んじゃあ邪魔しちゃ悪ぃな。暫く暇潰しに付き合えよ、坊ちゃん」


 軽い口調で誘えば、彼は快く了承した。


「良いのか?」

「構いません。新野城でのことも改めてお礼が言いたいと思っていましたから」


 ……。
 記憶が正しければ、すでに船で礼を言われていた筈なのだが。
 それを指摘するけれども劉備はにこやかに大きく頷いて「あなたが狐狸一族だとは思わなくて、改めてもう一度お礼が言いたかったんです」と。

 真面目な奴だなあ。
 甘寧は苦笑を禁じ得なかった。取り敢えず手を伸ばして劉備の頭をくしゃりと撫でてやる。


「オレァ、ただ好きなようにふらふらして、思うように行動してるだけだ。別に助けようと思ってあんなことを言った訳じゃねえよ」

「いいえ、それでも助けられたのは事実なんです。本当に、ありがとうございました」


 劉備は一歩離れて身体を折る。深々と頭を下げた。

 真面目なのは良いが、猫族の長に、そこまでされるのはさすがに面倒だ。
 甘寧は唇を曲げて彼の頭を、今度は撫でるのではなく軽く叩いた。


「良いって良いって。猫族の長が、んな易々と頭下げてんな。頭下げてばっかだと、猫族の誇りも自然と下がっちまう。お前の行動一つで一族の質は決まるんだ。もうちょい考えて行動しろや。な?」

「はい。ありがとうございます」

「だーかーらー」

「今のは、ご指導に対しての気持ちです」


 にっこりと笑って首を傾ける直向(ひたむ)きな猫族の若き長、劉備。
 が、これもひとたび邪に染まれば狡猾(こうかつ)で残忍な笑みを浮かべるのだろう。

 そして、願わぬ殺戮を願い、殺戮に快楽を感じ没頭する。
 苦しみは、内外共に募っていくことだろう。それがまた劉備を邪に近付けさせるのだ。
 甘寧は劉備を見上げ、ふ、と表情を消した。


「甘寧さん?」

「……お前は、猫族の長だが、ひよっこだ。お前自身どう在るべきなのか、まだまだ分かっちゃいねえ」


 劉備は途端に神妙な顔になった。口を閉ざし、甘寧の声に耳を傾ける。
 けれども、それ以上彼は劉備に何も言わない。背を向け「気が変わった」と。


「あ……甘寧さん!」

「気が変わった。ちょっくら周瑜をからかってくるわ。お前は今のうちに、好きに過ごしとけ」


 ひらり、片手を振って歩き去る。
 角を曲がって歩きつつ、


「盗み聞きは感心しねえな、諸葛亮殿?」


 揶揄するような口振りで、角に隠れていた人間に声をかけた。
 諸葛亮の顔を見ることも無く、通過する――――。






「……甘寧……今は鈴は無し、か」



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