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 曹操は、前に立つ軍師を冷めた目で見据え、口を開いた。


「賈栩、諸葛亮がまた策を弄したと聞いたが……」


 賈栩はその場に片膝をつき、こうべを垂れて肯定した。


「はい。申し訳ありません。またしても火計でやられました」

「よい、南征の足がかりとなる新野は無事手に入ったからな」


 そこで、曹操は賈栩から視線を外し、天幕の隅で李典から火傷の手当てを受ける夏侯惇に視線を移した。
 暗く陰り、悔しげに眉間に皺を寄せた彼の様子から察するに、彼の望む通りに狐狸一族の女に接触は出来たようだ。が、連れ帰ることは出来なかった。

 李典はちらりと賈栩の背を一瞥し、「それにしても」と。


「新野の人達が十三支について行ったって、本当なんですかね」

「……酔狂な奴らだ」


 夏侯惇が忌々しげに毒を吐く。言うまでもなくただの八つ当たりだ。

 賈栩は腰を上げ、肩をすくめてみせた。口角を吊り上げ、おかしそうい告げる。


「十三支のお嬢さんが説得した様ですよ」

「十三支の女が?」

「なんでも、自分には半分人間の血が流れているから、その分だけでも信用して欲しい、と……俺が聞いた限りでは、そんな感じだったかな」


 曹操ははっと息を呑む。
 今、彼は何と言ったか。


 『自分に半分人間の血が流れている』……?


 となれば、関羽は十三支と、人間の――――。



 混血。



 どくり。
 心臓が、大きく跳ね上がる。


「あの娘は人間と十三支の……混血だと、そういうのか……?」

「しかし、人間と十三支の間に、子供は生まれないのではないのか?」


 夏侯惇の問いに答えたのは張遼である。
 何かを思い出した風情で僅かに上を向き、首筋に手を当てる。


「そういえば呂布様がおっしゃっていました。猫族における黒き瞳は、人間との混血の証。瞳に金眼の色は引き継がれないと」


 瞬間曹操の目の色が変わる。妖しく、歓喜に煌めくその《黒》の瞳――――それに気付く者は、誰もいなかった。


「関羽さんの瞳も、とても綺麗な黒色です」


 ……ああ、そうか。
 そうだったのか。
 関羽の目は黒。
 私の目も黒。

 黒は、十三支と人間の混血の証。

 私の同胞である、証――――。


「ふん、あの女に半分人間の血が流れていようが十三支であることに変わりはない」

「……黒の瞳と言えば、あの十三支も片目は黒だったね」


 ぼそりと賈栩が漏らす。
 曹操はそれを聞き逃さなかった。


「他にも混血がいたのか」


 少し鋭くなった声音に賈栩は軽く目を瞠る。曹操が視線で促せば怪訝そうに眉根を寄せて口を開いた。


「まあ……今の話には該当しますね。十三支でありながら黒の隻眼の、黒い身形の娘……あれの奇怪な妖術で弓兵が大量に殺されました。夏侯惇も、覚えてるだろ。新野の町で見た、」


 話を振られた夏侯惇は一瞬眉を顰めた。ややあって、思い出したように頷いた。


「黒の……ああ、あの時の奇術を用いた、」

「狐狸一族に属しているようですが……夏侯惇、狐狸一族ではないのだろう?」

「ああ。狐狸一族の娘は、こめかみに獣の耳があった」


 逃げられた時のことを思い出したのだろう。悔しげに奥歯を噛み締める。

 だが、曹操は彼のことなどどうでも良かった。

 くつり、くつり。
 咽の奥で、曹操は嗤(わら)う。
 こんなに嬉しいことは無い。
 何せ、この世に自分と同じ混血が、二人もいるのだ!

 これが、喜ばずにはいられない!

 一人水面下で狂喜乱舞する曹操の顔は、無表情なままだ。誰一人として彼の心中を知る者などいないだろう。

 ……。

 ……否。


 一人、冷め切った目で主を見ている青年が一人、いた。
 彼は徐(おもむろ)に立ち上がり、大股に曹操に歩み寄る。


「曹操様。少し俺の愚考を聞いていただけませんか」

「……聞こう」


 彼は――――李典は、拱手し、口を開いた。



‡‡‡




 その日の夜。
 城内の巡回をしていた幽谷は突然現れて当然のように隣を歩く周瑜をじとりと睨めつけた。

 こんなところで一人孫権から離れてなんて……姉さん達がいるからまだ良いけれど。
 幽谷の側にいて良い状況ではないだろうに。

 周瑜は、幽谷の無言の抗議などは何処吹く風である。


「……あなたは一体何がしたいんです」


 ぼそりと、独白する。
 答えは要らなかった。
 だのにこの男は、この独白には反応を返してしまうのだ。


「何って、散歩」

「ならばお一人でどうぞ。私には見回りという役目がございます故」

「ついでだから良いだろ? そんなつれなくんすんなって」


 幽谷は眉間に皺を寄せた。
 文句を言おうと足を止めて口を開いた次の瞬間――――。


――――肩を掴まれて壁に押しつけられた。
 直後に右腕を持ち上げられ、上腕の内側に噛みつかれた。ねろり、とざらついたモノが素肌を張った。

 ぞわりと、悪寒。


「なっ」


 嫌悪感から腕を振り周瑜を剥がそうとするも、彼は顔だけを離し舐めた部分を見下ろす。目を細め、舌打ち。


「やっぱり、舐めても治らないか」

「何をして……」

「火傷だよ。お前、ずっとここ隠してただろ」


 言葉を詰まらせる。

 図星だった。
 いつの間にか、火傷が上腕の内側に出来ていたのだ。恐らくは夏侯惇との応酬のさなかに負ってしまったのだろう。深くはないが浅くもなく、知られると、特に劉備や関羽には要らぬ心配をかけてしまうからとずっと黙っていたのだった。外套で隠れて見えないのも、幸いして兄達にも知られることは無かった。
 見回りの中で水に漬けて治しておけば良いと思って人気の無い場所も探していたのだが、まさか周瑜に知られているとは思わなかった。不覚だ。


「舐めて治るのなら自分でやっています」

「鳥肌立ってる」

「いきなり皮の薄い場所に噛みつかれて舐められたら誰でもそうなります」


 ああ、気持ち悪い。
 嫌悪を隠さずに外套で拭うと、周瑜は苦笑混じりに身を離した。幽谷の頭を撫でる。


「無茶するなって言ってるのに、本当に守ってくれないんだな。これじゃあ、尚香からお小言貰うぜ?」

「無茶をした覚えはありません」

「無茶だったよ。火の中に自分から飛び込んで、関羽の代わりに自分を付け狙う夏侯惇と刃を交える。それを無茶と言わずして何とするってんだよ」


 頭を撫でていた手は下へくだり頬を包む。
 打って変わって笑みの消えた彼は、幽谷の外套の下から匕首を取り上げ首元に切っ先を当てた。

 抵抗するべきだと思うのだが、無表情の周瑜は視線でそれを許さない。こうやって、唐突に表情に変えないで欲しい。


「夏侯惇に捕まったら何をされるか分からない。下手すりゃ犯されて娼婦にされるかもしれない。それで良いのか」

「捕まっていません」

「恒浪牙や俺達が助けたからだろ。次会った時どうなるか分からない。俺達も助けてやれないかもしれないんだぜ」

「自力でどうにかします」


 最優先事項は、猫族の安全。
 自分のことなど二の次だ。
 そう言うと、周瑜は唇を歪めた。


「本当に……周泰にそっくりだよ、そういうとこ」


 周瑜は匕首を返し、幽谷の腕を引いて歩き出した。


「さっさと見回り済ませてその火傷治すぞ」

「……何故、あなたが仕切るんですか」


 そう抗議するも、黙殺された。



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