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 襄陽城から、長江最大の支流、漢水を挟んで北に位置する樊城(はんじょう)。襄陽城と共に中国のほぼ中央にあることから、非常に重要な拠点として重要視されている。
 その樊城に一足先に到着していた趙雲と周泰は、安堵の表情で劉備達を迎えた。


「みんな、無事だったか!」

「趙雲達こそ先発隊も、その後の船も、大丈夫だった!?」

「問題は無かった」

「ああ。なんとか荊州兵と新野の民を避難させることが出来たよ」


 駆け寄って二人に怪我が無いかを視認する関羽に、趙雲は朗らかに答える。
 周泰も関羽の頭をそっと撫で、早足に船の方へ。幽谷のことが心配なのだ。

 それを趙雲と見送っていると、ふと城の方から人間の男の声が。


「趙雲! 今着いた人たちの荷物、城の中に運びいれようか?」

「趙雲さん! わたしたちにも何か出来ることがあれば言って下さい!」


 新野の人々である。彼らは一様に、趙雲へ笑みを浮かべている。

 もう、仲良くなったのね。
 趙雲が人間であることもあるだろうが、何より彼自身の人柄によるのだろう。
 彼らの申し出を有り難く受け、到着した人間達の手伝いを頼んだ。

 快く受けてくれた新野の人々の様子に、関羽の後ろで蘇双と張飛が驚きの声を上げた。


「ええ!? ちょっと人間たちの態度、新野の時と違いすぎない?」

「でたよ、天然人間たらし」


 呆れたような、感心したような。
 二人の視線に、趙雲は不思議そうに首を傾けた。自覚が無いのだ。それが彼の一番の長所とも言えるが、関羽は稀に恥ずかしく思えたりもする。
 関羽は苦笑を禁じ得なかった。


「無意識に人間をたらしこむのも才能だ。さぁ、みんな時間がない。次の策について話をする。集まってくれ」


 話を聞いていたらしい諸葛亮が、幽谷と周泰を連れて脇を通り過ぎる。

 趙雲が幽谷を呼んで、「無事だったようで良かった」と笑いかけた。幽谷が会釈して謝辞を言えば、にこやかにかぶりを振った。


「仲間なら当然のことだ」

「……恐縮です」


 でも、夏侯惇には会っちゃったのよね。……わたしの所為で。
 きっと周泰からもお叱りを受けてしまうんだろう。
 それを思うと、気が重く沈んだ。

 と、そんな折に。


「よーぅ、周泰。久し振り」

「!」


 周泰に後ろから絡んだ青年が一人。言わずもがな甘寧である。
 狐狸一族同士の再会だ、と周泰を振り返ると、彼は珍しく驚愕がありありと浮かんだ顔でにやにやと笑う甘寧を凝視していた。

 甘寧は首に腕を巻き付け、頭を叩くように撫でてやっている。

 後ろでは封統が苦虫を噛み潰した顔で甘寧を見ていた。


「何故、あなたがここに……っ?」

「成り行き上な。もうちょいお前らと一緒にいるわ」

「……すまん、周泰。何かしれっといた、その人」


 後頭部を掻きながら、封統は甘寧の腕に自分のそれを絡ませた。ぐいと強く引いて樊城の中へと入っていった。


「あんたは何もしなくて良いから。むしろ何もするな。好き勝手にされたら滅茶苦茶になって収拾がつかなくなる」

「え、マジで?」

「さっき滅茶苦茶にしかけといて何言ってやがんだ。ほら! あんた基本傍観者だろうが!」

「いてててて! ちょ、抓(つね)んな! 肉抓んな! 抓ったついでとばかりに兄ちゃんに爪を立てんじゃねー!!」


 ……緊張感が全く無い。
 船にいた時から思ってたけれど、あの人、物凄く自由な性格をしてる。
 わたしも気付いたらあの人の調子に呑まれて、油断してしまいそうだわ。
 気を付けるような人間ではないけれど、助けてもらうことにならないようになるべくしっかりしておかないと。さすがに、狐狸一族に頼りすぎている。

 呆気に取られる趙雲は、周泰を見やった


「……今の人は?」

「……、……兄と姉だ」


 一瞬、躊躇ったような気がする。
 周泰の顔を覗き込むと、彼は気まずそうに顔を逸らした。

 ……珍しい。周泰がこんなにも感情を表に出すなんて。
 甘寧の自由さに呑まれてしまったのかしら。
 関羽はちょっとだけ新鮮な気持ちになって、暫く周泰を観察していた。



‡‡‡




「――――次って、わたしたちは劉表様がいる襄陽城に向かうんでしょ? そこなら曹操軍を防ぐに足るって」


 樊城の謁見の間にて。
 関羽は諸葛亮に問いかけた。

 諸葛亮が首肯する。

 けども。それをすげなく否定する声が。


「襄陽城に行くのは止めた方が良い」

「封統か」


 かつかつと靴音を鳴らして、諸葛亮の前に立つ。腕を組んで右足に重心を置く。


「理由を聞こう」

「曹操の頭なら、わざわざ大軍全てをそのまま進軍させるとも思えない。まして博望坡に十三支がいると知られているんだ、十三支の退路を閉ざす為に別の軍が襄陽城を攻めようとしているか、或いは攻めている最中か、どちらかだろう。襄陽城に向かうのは止めておくべきだ。このまま行って、十三支如きの為に幽谷が曹操軍に捕まるなんて、僕は御免だよ」

「……」


 封統は一方的に言って、また元の位置に戻る。

 封統が考えるのは、あくまで狐狸一族、とりわけ幽谷の安全である。猫族や人間のことは二の次でも三の次でもない。本当に、取るに足らないどうでも良い存在なのだ。
 だからこの提案も、猫族や人間を考えてのことではない。

 猫族の血を持ちながら十三支と蔑み、人間と十三支を心の底から憎み殺意を向ける封統に、誰もが困惑の目を向けた。話さないようにとの劉備の言葉を守り、彼らは反論を出さない代わりに極端に封統を避けた。

 諸葛亮は沈黙し、一つ頷いた。


「念の為、誰か一人を襄陽城へ向かわせる。襄陽城が攻められている、或いは陥落した後ならばそのまま我らに合流。まだ無事ならば封統の話を伝え、援軍を乞う」

「ならば俺がいこう」


 名乗りを上げたのは趙雲だ。
 歴戦の猛者たる彼ならば、危険は避けられるだろう。
 諸葛亮はそれを了承した。


「では、頼んだぞ。なるべく早急に戻れ。連れて来れるのなら、最短で援軍を連れてくるんだ」

「承知!」


 趙雲は拱手し、早速発った。
 広間を大股に辞する彼を見送り、諸葛亮は猫族を見渡した。


「これからのことは、また明日に話す。封統、少し付き合え」

「良いの? 僕は十三支と人間に犠牲が出るような策しか考えつかないよ」

「それを私が正せば良いだけだ」


 諸葛亮は急ぎ足に奥へと。
 封統は溜息をつき、大股に諸葛亮を追いかけた。

 ……本当に、大丈夫かしら。
 封統の冷めた隻眼に、関羽は胸がざわめいた。



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