16
「ええええええ!! オレたち以外の猫族!?」
張飛の大音声が、甲板に響いた。
張飛や蘇双らの前には、周瑜。その後ろには外套を着たままの無口な青年と、不機嫌と殺気を隠そうともしない封統、そんな彼女の頭を撫でながら傍観に徹する甘寧がいる。幽谷は近くの積み荷に座らされたままだ。彼女の側には諸葛亮が立っている。先程甘寧に近付こうとしたのを無言で制された。
甘寧が狐狸一族の人間であること、そして封統の憎悪も皆には話してある。封統が混血かもしれないと聞いて、彼らはとても興味深げだったが、劉備が話しかけることをやんわりと禁じた。関羽も、封統ならば、本当に一人や二人殺してしまいかねない気がする。今は長の命令があるから猫族に危害を加えることは無いだろうけれど……。あの殺意の濃厚な隻眼の眼光を向けられるというのは、とても落ち着かないし、気まずい。
関羽は封統の様子をちらちらと窺いながら、周瑜の言葉に耳を傾ける。
「ああ、荊州産猫族だ」
皆、まじまじと彼を見つめた。
「まぁ、猫族の始祖劉光が荊州の出だっていうなら、いてもおかしくないよね」
「でも、荊州の猫族は故郷を追われて皆で北へと流れていったんでしょう?」
「荊州の猫族は、理由があって劉光にはついて行かなかったんだよ。といっても、残ったのも少ない人数だったんだがな。ああ、これこっちの長情報だから確かだぜ」
関羽に答えたのは甘寧だ。周瑜が苦々しい顔で振り返るのに、真っ白な歯を剥いて快活に笑ってみせる。甘寧は周瑜に友好的だが、周瑜の方は苦手意識があるようだ。度々絡んでくるが、周瑜の彼に対する態度は少々キツい。
劉備は甘寧の説明に興味深そうに頷き、周瑜に笑いかけた。
「君以外の荊州の猫族はどこにいるの? 出来れば他のみんなにも、会ってみたいな」
「他? ああ、いないいない。荊州の猫族はオレだけだ」
さらり、苦笑混じりに告げる。
劉備は瞠目し、つと眦を下げた。
関羽がその意味を問うと、彼は肩をすくめた。
「オレは自分以外の荊州の猫族は、親しか見たことがない。その親も、オレが子供の頃に死んだ。だから荊州の猫族で、残ってるのはオレだけだ。最後の生き残りってやつだな。まぁ、そんな大層なものでもないけど」
「確かに」
「おい甘寧。あんたの肯定は腹立つから止めろ」
「馬ー鹿。わざとやってんだよ。若者いびりは老い耄(ぼ)れの楽しみだ」
老い耄れって……そんな年が離れている訳でもあるまいに。
関羽は甘寧と周瑜を見比べる。甘寧は、見た目では曹操よりも少し上くらいにしか見えない。あんな言い方が出来るくらいに周瑜と年の差が開いているようには思えなかった。
周瑜を揶揄(やゆ)して楽しげな甘寧に、周瑜は舌を打って後頭部を掻く。
「マジかよ。じゃあオマエずっとひとりだったの? すげぇ苦労人じゃんかよ!」
「ずっと独りだった訳じゃないんだが……苦労というか、まぁ、子供の頃は父親と母親だけがオレの世界のすべてだったからな。人間なんて、見たことも聞いたこともなかった。ずっと親と三人で、荊州の山奥で暮らしてた。だけど、父親が病気で死んで、追うように母親も死んだ……」
過去を想起し、周瑜は語る。遠くを見る金の目は翳(かげ)る。
と、周瑜はその暗い目を甘寧に向けた。彼もまた、笑みは無く。真摯な表情で、周瑜を見返していた。
周瑜の身の上に猫族達は言葉を失った。
そんな彼らに、周瑜は話を続けた。
「オレはまだ全然子供で、何が起こったのかもわからなくて、死んだ母親の傍から離れなかった。ただ眠ってるだけだと思ってたんだ……。そこから先は、あんまり覚えてないんだけど、オレは気づいたら自分で山を下りてた。生存本能って奴かもな……後ろに今と同じ姿の甘寧がいたのが今でも理解出来ないんだが」
「え?」
今と同じ姿?
甘寧を見やると、彼はへらりと笑って肩をすくめて見せた。
「幻覚だろ。オレ、周泰が連れてくるまで荊州の猫族なんて見たこと無かったし」
「……ああそうかよ」
甘寧は分かりやすく嘯(うそぶ)く。敢えてわざとらしく誤魔化して、追求を拒んでいる。
周瑜はまた舌打ち。甘寧を睨むが、彼が飄々とした態度で首を傾げるのに、嘆息して話を元に戻した。
「そこからはまぁ、なんとかな。……生きてくためには色々やったけど」
そこで、蘇双が何かを思い出して、目を伏せた。
「……親が突然いなくなるのって、すごく、辛くてきつくて怖いよね」
「蘇双……」
蘇双が誰を思い出しているのか、関羽にはすぐに察しがついた。
……自分達の親のことだ。
「オレらの両親も、子供の頃ある日突然、死んじゃったんだ……」
「オレら?」
「劉備様と、オレと張飛と蘇双の親。村はじまって以来の大事故だったらしいけど……でも、オレらの場合は同族の仲間がいたからな。みんなそれぞれ、引き取られたし。村のみんなが助けてくれた」
「なにより、ボクら四人が同じ立場だったからね。お互い慰めあうことが出来た。……まぁ、ずっと泣いてたのは張飛だけだけど」
「それは! ……そうだけど。でも! 姉貴達に稽古つけてもらってからは泣かないようになったぜ!」
けれど、周瑜は違う。
死も理解出来ぬ幼子(おさなご)に唐突に突きつけられた孤独。生存本能とはいえ、生き残ろうと足掻いた彼は、どんなに辛かっただろう。
関羽達には、想像も出来なかった。
「あなたはご両親が亡くなった時もひとりだったんでしょ? それから猫族としてたったひとりで生きてきたなんて……」
「なんだよ、同情してくれるのか?」
劉備は、周瑜に笑いかけた。
「こうして折角会えた同族なんだ。何か君の助けになれるようなことがあれば言ってもらいたい」
「まぁ。オレらに出来ることならなんでも言ってくれよ!」
猫族は、朗らかにそう言う。
周瑜は一瞬瞠目して固まった。瞬きして、くっと口角を吊り上げる。笑声が上がった。
「ははっ! オレがいうのも変だけど、猫族ってのは随分お人よしな種族なんだな」
じゃあ、折角だから甘えようかな。
周瑜は丁度良いと笑みを深めた。きょとんとした猫族に片手を挙げ、何故か関羽に歩み寄った。
肩を抱かれ引き寄せられる。関羽はえっとなって周瑜を見上げた。
「オレ、この子が欲しいんだけど、くれないかな?」
「この子? ……って、わたし!?」
愕然。
関羽は素っ頓狂な声を上げた。
「ちょ、ちょっと待て――!! 欲しいってそれ、どういう意味だよ!?」
「そのまんま。この子オレにちょうだい。だって、生まれて初めての同族の女の子に出会えたんだ。そりゃ欲しいに決まってるだろ」
張飛は封統を指差した。生まれて初めて出会ったのは封統ではないのか。そう言うと、彼はまたさらりと、
「あいつは混血であっても猫族であっても同族とは思ってない」
「夜這いかけようとして殺されかけたからな。マジでヤバいところまで行ってたもんな。長が笑い話として万年語り継ぐと思うぜ」
「甘寧、マジで黙ってろ。……で、どうなんだ?」
「どうなんだって――――ちょ、ちょっと待ってよ!」
関羽は狼狽えて暴れ、周瑜から離れた。
が、今度は腰を抱かれる。
劉備の口角がひくりと震えた。
「そ、それは、結婚するということ? でも、猫族の女の子なら他にもたくさんいるし……」
さしもの劉備も、これには狼狽していた。無理もない。関羽だって訳が分からない。わたしや劉備だけじゃない、張飛達だって物凄く驚いているし……。
逃げようと抵抗するが、周瑜は彼女を抱き寄せたままにこやかに唸って悩むフリを見せた。
「この子がいいんだよな。女だてらに戦に出ちゃったり、勇ましかったり、なによりやっぱり、強いところがいいね」
「強さ以外に何かねえのかよ」
呆れた甘寧が言うが、周瑜は聞こえないフリである。
「まぁ、顔だけで言ったらそこの子も結構好みだけど、やっぱりオレ、外見より中身重視だから」
「ボクは男だ!!」
「封統は完全に見た目重視だったけどな」
「……」
周瑜のこめかみが震えた。
関羽を解放し、かつかつと大股に甘寧へ接近し、いつの間にか片手に持った得物を振るった。
が、甘寧はにこやかなままその刀身を人差し指と中指で挟んで軽々と止めてしまう。
「本っっ当に五月蠅いなアンタは! 昔からいっつも後ろからオレをおちょくりやがって……!!」
「だって孫が構ってくんないもん」
「誰が孫だ、誰が!!」
「え、そりゃ――――」
げし、
みし。
――――それは、一瞬のことであった。
幽谷が振り下ろした踵が周瑜の後頭部に、封統の振り上げた足先が周瑜の股間にめり込む。
関定が悲鳴を上げた。
「容赦してあげてー!!」
「馬鹿馬鹿しい。ほらもうすぐ船が着くぞ。降りる準備をするんだ」
呆れた風情の諸葛亮は、撃沈して座り込んだ周瑜の側を通過した。
幽谷を呼び、後ろに従わせる。……今の幽谷の行動は、彼の指示か。
「無事新野は脱出したが、曹操軍はいつ追いついてもおかしくはない。速やかに次の行動に移すぞ」
諸葛亮の言葉に、彼らははっとした。
周瑜の様子には目もくれず、準備へと移る。唯一彼を気遣ったのは、劉備と甘寧のみである。
「しゅ、周瑜……?」
「封統、やりすぎじゃね?」
「いや、男黙らせるならこれが一番有効だし」
「お前も諸葛亮から指示されて?」
「いや、間近の大音声がうざくって腹立った」
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