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「おう、嬢ちゃん」

「あっ、あなたは……」


 お茶を淹れて戻る間、横合いから現れた人間に関羽は声を上げた。

 褐色の肌に暗い赤色の髪の毛。
 あの時の男だ。やはり、身長は非常に高い。劉備や周瑜よりも高いだろう。
 彼は「持ってくのか?」と盆を取り上げる。


「あ!」

「嬢ちゃん、腕に火傷してるだろ? 持ってってやるからこれ塗りな」


 もう片方の手で差し出されたのは、大きな貝を入れ物に加工した小箱一杯に詰められた軟膏(なんこう)だ。
 火傷なんて……気にする程のことじゃないのに。
 薬と男を交互に見ていると、効果を疑われたと思ったのか、効き目は保証すると片目を瞑られた。

 礼を言って受け取り、軟膏を腕の軽い火傷に塗りながら劉備達のもとに戻る。
 塗り終わってから盆を返して貰おうとしたが、彼は軟膏を受け取るだけでそのまま運んでくれた。

 戻った関羽が連れた男に、劉備は軽く目を瞠る。


「……関羽、その人はさっきの、」

「よう。坊ちゃん」


 そこでようやっと関羽に盆を返し、劉備に気安く片手を挙げ笑いかける。

 その身長に気圧されたのか劉備は反応が遅れた。


「あ……僕は、劉備です。先程はありがとうございました」

「ああ。オレは――――」

「甘寧!?」


 声を張り上げたのは周瑜だ。どうしてここに、と言いたげに目を丸くして男を凝視している。幽谷もほぼ同じ表情だ。耳がぴんと横に立っている。
 甘寧と呼ばれた男は腕を組んで周瑜へにやりと口角をつり上げて見せた。

 知り合い……かしら。


「周瑜? この人は……」

「オレァ甘寧。こいつとはそれなりに長い付き合いでな。つっても久し振りに会ったんだが」


 「相変わらず軽そうな面だなお前」馴れ馴れしく肩に腕を回し、周瑜に寄りかかる。
 周瑜は五月蠅そうに顔を歪め、嫌そうに甘寧を押し退ける。

 あっさりと離れた彼は、次は幽谷に歩み寄り、驚いた風情の彼女をそっと抱き寄せた。


「怖かったろ。もう大丈夫だぞ」

「あ……はい」


 ややあって幽谷の身体から力が抜ける。遠慮がちに手を伸ばして服をぎゅっと握り締めた。
 解放して頭を撫でると、周泰に按撫(あんぶ)されている時のようにとても安堵した様子で受け入れている。
 ……身内なのだろうか。


「あの、あなたは幽谷とは一体……」

「ん? ああ。まあ、周泰と良く似た感じ。……あ、でもこっちに周泰いるのか?」

「ええ。彼には先に発った船の護衛を頼んでいます。周泰と似ているということは、狐狸一族の?」

「各地放浪してっから、あんまり里に戻ったりはしてねえんだけどな。そーゆーこった。ま、ここで会ったのも何かの縁、暫くはお前らの世話んなるわ。よろしくな」


 甘寧は、にっかと白い歯を剥いて快活に笑った。

 側では、周瑜が苦々しい渋面を作って、酷く嫌そうに甘寧を睨んでいた。

 劉備と関羽は、顔を見合わせる。
 どう見ても人間の甘寧が、狐狸一族の関係者だとは思わなかった。
 周泰や幽谷だけでなく、また、自分達は狐狸一族に助けられたのだ。



‡‡‡




「久しいね、小僧」


 あれから、その歳まで生き延びてるとは思わなかったよ。
 彼女は縁に腰掛けて口角をつり上げた。

 諸葛亮は片目を眇めた。
 腕を組み、長々と嘆息する。


「やはり、あの時の泉沈か……随分と見違えたな」

「あれからこっちにも色々あって。半年前自分で起こした怒濤に呑まれて一度は死ねたんだけどね。狐が気まぐれで生き返らせたんだよ。今じゃ封統と名乗ってる」

「……そうか」

「お前も、余計なことは言うんじゃねえぞ。あのクソ天仙にも言われてるんだろ?」


 諸葛亮は首肯する。


「やはりあの幽谷は……」

「お前の頭の中にだけ秘めておけ。あれはもう過去のあれじゃない。夏侯惇にも絶対に接触させるなよ。お前らが思う以外にも、厄介な問題がある」

「厄介な問題……?」

「長に話を聞いてみなければ分からないけど」


 夏侯惇は、厄介なものを所持している。夏侯惇に近付くだけでも幽谷に悪影響をもたらすだろう。
 声を低くして忠告する彼女に、諸葛亮も渋面で溜息を漏らした。小さく謝罪する。

 封統は肩をすくめた。「過ぎたことは仕方ないし、招いたのは関羽のクソアマだ」と吐き捨てる。
 相変わらず、彼女は猫族も人間も嫌いなようだ。
 昔の少年めいた姿とは打って変わって華奢な娘の姿をしている封統は、その目も以前と違っていた。見つめられただけで身が竦んでしまおう程の冷たい眼差しに秘められたおぞましい憎悪。
 それが、今は昔よりも薄まっているように思えた。


「暫くはお前も我らと行動するのか」

「ああ。元々長の命令で合流するつもりだったんだけど、今回のように幽谷を夏侯惇にほいほい会わされちゃ困るんでね。十三支がここまで役に立たないとは思わなかった」

「十三支……か。未だ、同族が憎いのか」


 封統はそれには答えなかった。鼻を鳴らして背を向ける。


「じゃあ、これからよろしく頼むよ。小僧」


 大股に歩いて、姿を消す。彼女の術で認識出来なくなったのだ。昔、彼女の気まぐれで助けられた時、別れる際には同じように姿を消した。
 器用なことに、認識が出来る人間出来ない人間と分けることが出来るらしかった。

 現に、物影から姿を現した外套で姿を確認した青年は、何も無い場所に向かって声をかけ、歩き出す。恐らくは彼の隣に封統が歩いているのだ。

 諸葛亮はその後ろ姿を暫し見送り、彼もまたきびすを返した。



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