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 戻ってきた張飛達に、劉備は必死の形相で詰め寄った。
 張飛と蘇双の二人は長のただならぬ様子にたじろぎ、互いに困惑顔を見合わせる。


「関羽と幽谷は!? 二人は見なかった!?」

「え? 姉貴と幽谷?」


 きょとんと首を傾ける張飛に、劉備は顔を強ばらせた。

 その横から関定が城内に子供が残っていたのだと告げる。
 途端に二人も青ざめて城を振り返った。


「しかもその子達を助けるために幽谷が……それを追って関羽と戻って行ったんだ……。後から恒浪牙も行ったんだけど、合流出来たかどうか……」

「そんな、子供がいたなんて! すごい火の勢いだったんだ。建物もすぐに崩れていって……あれじゃ、助からないよ!」


 蘇双の悲鳴じみた言葉に、即座に反応したのは母親達だ。
 絶望に色を失いその場に崩れ落ち、大粒の涙をこぼして身体をわななかせた。悲痛な叫びが上がる。

 人間の母親が猫族を責め出すと、他の人間達も不審が再び沸き立ち、猫族もまた煽られて空気は剣呑となる。
 船を下りようとする人間達に、猫族も冷たい言葉を浴びせた。

 関定達が宥めるも、ついた火は簡単には鎮まらぬ。

 悲鳴と怒号が飛び交う中、また諸葛亮がよろめいた。


「どうしたの、諸葛亮? 顔、真っ青だよ?」

「なん……でも……な…い」


 掠れた声を絞り出す。
 蘇双は気遣わしげに諸葛亮の顔を覗き込み、背中に手を置いた。倒れても良いように、猫族や人間達を注意しつつ諸葛亮の様子に気を配る。


「落ち着いて! きっと彼女達が連れてきてくれる。みんな信じて!」

「ふざけんな! 化け物の女達なんて信じられるか!」


 一触即発。
 色めき立つ二つの種族は衝突間近。
 劉備が奥歯を噛み締めてまた声を張り上げようと口を大きく開いた。


 その瞬間。


「みんな待って―――!!!」


 待望の声が、聞こえたのだ!



‡‡‡




 関羽は大きく足を開き、船へと駆け寄る。
 船で睨み合う人間と猫族、そして桟橋で泣き崩れる二人の母親に聞こえるように、大音声を張り上げた。


「子供たちは無事です! だから、どうか落ち着いて!!」


 母親達は関羽の両腕に抱かれた子供達を見るや否や立ち上がってよろよろと駆け寄ってきた。
 目の前に立つと関羽から子供達を受け取って嬉しそうに、大事そうに頬ずりする。子供達も安堵した風情で笑う。


「ふーりのおねえちゃんと、猫のおねえちゃんが助けてくれたんだよ!」

「おかあさん! ぼく泣かなかったよ!」

「うそだよ! いっぱい泣いてたよ!」

「う、うるさいな〜! 自分だって泣いてたくせに!」


 むっと言い合っていたのはつかの間だ。
 すぐに噴き出してきゃらきゃらと無邪気な笑い声を上げ始めた。空気が、僅かに弛む。

 関羽は母親達の身体を労りながら船へと近付いた。
 背筋を伸ばし、人間達に語りかける。


「この子たちは、それぞれ迷子になっていたところ、お互いに励ましあって心細いのを我慢してたそうです。助けたのはわたしではなく、狐狸一族の女性ですが、助けることが出来て、本当によかった……」


 それは、道すがら子供達から聞いた話だった。
 二人は自分達を逃がす為に幽谷が残ったのだと分かっているようで、関羽と同じく盛んに幽谷のことを案じていた。

 幽谷……わたし達はちゃんと逃げられたわ。後はあなただけよ。
 絶対に、夏侯惇から逃げて!
 心の中で願いつつ、関羽は言葉を続ける。幽谷が逃げてきた時、落ち着けるように、すぐにでも出発出来るようにしておくのだ。


「みなさん、猫族と人間はすぐにはお互い分かり合うことは難しいのかもしれません。でも、今大事なのはこの子たちの安全です」


 どうか、お願いします。
 関羽は両膝に手を当てて深々と頭を下げた。


「この子たちを助けるため、少しでもいいから、わたしたちを信じて下さい。みなさんも一緒に逃げて下さい!」

「で、でも……本当に十三支が信じられるのか?」

「な、なぁ」


 人間達は顔を見合わせて後込みする。煮え切らぬ態度に、猫族も諦念の入り交じった、冷めた眼差しを向けた。

 けれど、関羽は諦めない。
 人間と猫族はきっと仲良く出来ると、分かっているから。


「みなさん聞いて下さい。わたしは……完全な猫族ではありません」


 突然の暴露に猫族がぎょっと関羽を見やる。青ざめ、それ以上は言うなと首を左右に振った。関羽か傷つかないように、だ。
 でも、大丈夫。
 大丈夫だと自分に言い聞かせる。


「わたしには人間の血が半分入っています。わたしは、猫族と人間の混血なんです……!」


 途端に人間はどよめいた。


「混血? 半分は人間だというの? でも、人間と十三支の間には子供が出来ないはずじゃあ」

「この黒い瞳がその証。猫族の目は金色です。でも、人間の血が入っているわたしだけ、黒色なんです」


 今はまだ全てを信じなくても良い。
 猫族が信じられなくても、わたしの半分の、人間の血を信じて!
 関羽は必死に訴える。


「わたしの、この血にかけてあなたたちのことは必ず守ります! だから、一緒に逃げて下さい! この子たちの未来のためにも! そしていつか、この子たちみたいに猫族も人間も関係ない、そんな仲間になりましょう……」

「関羽……」


 どうか届いて。
 ……お願い!


「みなさん、彼女の言う通りです。今はまず子供たちのためにここを脱出しましょう!」


 それから、半瞬の間を置いて、人間の中から拍手をする者が縁に寄ってくる。
 吊り目の高身長の男だ。こんがりと焼けた肌に、青い瞳、暗い赤の髪。
 細身だが筋肉は隆々として引き締まっている。武人だと、すぐに分かった。
 男は関羽に歯を剥いて快活に笑った。


「オレァ、嬢ちゃんと坊ちゃんにかけてみるぜ。焼け死ぬかも知んねえのに自ら火の中に飛び込んで種族を問わず人間の子供も救い出したその気概、ただ祖が同じだけで蔑む人間を助けようとするその寛大な心、人間にもそうそういやしねえ。下手な人間よりも信用に足る。オレァそう思ったね。ってことで、助けてくれや。嬢ちゃん、坊ちゃん」


 片手を上げて片目を瞑ってみせる。


「あ、はっ、はい……!」


 劉備は慌てて頷いた。

 それに、男はにんまりと笑った。


「……で? 伝説の神の一族、狐狸一族の女の子は? あと一人、ゆったりした兄ちゃんも中に入っていったろ?」

「え?」


 ゆったりした兄ちゃん?
 恒浪牙のことだろうか。
 関羽は劉備を見やった。


「関羽。恒浪牙殿が危険だからって追いかけてくれたんだ。……幽谷は、まだ?」

「……ええ。今、時間を稼ぐ為に……夏侯惇と」

「何だと!?」


 反応したのは諸葛亮だ。
 関羽は反射的に肩を縮めた。


「あれだけ接触させるなと言っていただろう! 何故幽谷を夏侯惇と戦わせた!?」

「ご、ごめんなさい! でも、ちゃんとすぐに逃げるって約束したわ!」

「お前達が約(やく)したとて夏侯惇が簡単に逃がす訳がないだろう! お前は何処まで馬鹿なんだ!!」


 諸葛亮の怒号にびくびくとしていると、劉備が諸葛亮を宥めようとする。元々苛立っていたのだろうが、幽谷のことで逆鱗に触れてしまったのだ。
 関羽は謝罪を繰り返した。怒られるだろうと分かっていたが、諸葛亮にここまで怒られるのは、正直怖かった。
 視線を横に流して、ぎょっとする。


「っあ!」


 曹操軍!
 散らばった死体は曹操軍だろう。その向こうには一人、武将がいる。淡泊な顔をしてこちらを眺めているだけの彼の後ろから、沢山の旗が見えた。『曹』の文字。

 諸葛亮もそちらを見、憎らしげに顔を歪める。


「……後続が来たか……やむを得ん。劉備様、船を出しましょう」

「そんな! 中にはまだ幽谷と恒浪牙さんが!!」

「お前が追いかけなければすぐに戻って来れただろう!」


 怒鳴られて口を噤む。その通りで、何も反論が出来なかった。


「諸葛亮……もう少し待てないかな」

「駄目です。二人のことは諦めましょう」


 諸葛亮は冷たい。
 幽谷と恒浪牙は切り捨てられたのだ。
 ……わたしが、ついていった所為だ。
 関羽は胸を痛めて城を見上げた。


「幽谷……!」


 お願い、早く戻ってきて!
 そう願いながら、諸葛亮に急かされて船に乗ろうと身体の向きを変えた。


 ……直後である。



「その船、少し待て!!」


 城の方から、聞き覚えのある声がした。

 関羽は弾かれたように振り向き、目を剥く。


「……っ幽谷!!」


 あの時の外套を来た荊州兵の肩に担がれて、幽谷が城から出てきたのである。



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