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人の世からは隔絶された山の奥深く。
榾杙(ほたぐい)は草に隠れながらも残り、大きな家屋の骨組みも黒ずみそこに燃えた住居があったことを示す。
その前に立ち泉沈は無表情に顎を撫でた。
後ろに控える麒麟に良く似た白い獣が、何処か億劫そうに泉沈を見上げ、大きな口を開いた。
『……面倒なことになった』
「ああ。そのようだね」
暗鬱と嘆息し、広大な敷地に広がる屋敷だった場所に踏み込んだ。正面に真っ直ぐ歩き、辛うじて壁が残っているが不自然に大破した場所の前で立ち止まる。
燃えた後に衝撃波か何かで破壊したような、ぽっかりと穴が空いたような様相である。
その奥には、熱で溶けた扉だった銀が土壁にべったりと付着した洞窟が。中に入ろうにも下は澱んだ水に満たされ、最奥まで渡してあった筈の橋は欠片すらも見当たらない。
それが、答えだ。
泉沈ははああと大仰に溜息をついた。
だが、これはもう仕方のないことだった。これを作った《彼女》も、この屋敷に住んでいた一族の始祖も、こうなることは分かっていた。
この奥に封ぜられていた大妖は、またいつか力を蓄え人の世に顕現(けんげん)するだろうと。
それが今になるとは……間が悪い。
「金眼、白銅……そして、あのお方までがこの世に現れてしまったとは……まるで三百年前のようじゃないか」
『如何にする。今のあれに昔のような力は無いぞ。そして、昔のあれ以外に仙界の誰も彼奴(きゃつ)には勝てまい』
事態は悪い。
泉沈は青ざめた顔を片手で覆った。鼻を寄せてくる獣の頭を撫でる。
「……ぎりぎり拮抗してる妙幻だってあのお方には畏怖している。金眼達と共に暴れられたらそれこそ三百年以上の惨劇になるだろう。あの時は、甘寧が一人で抑え込んでいたからあれで済んだんだ」
けれど――――犠牲は甘寧にとっても、砂嵐にとっても大きかった。
当時のことを思い出してしまいそうになった泉沈は目を伏せ緩くかぶりを振った。
獣を振り返る。
「白澤。今すぐに華佗――――恒浪牙にこのことを報せてくれ。ここから、君なら一日で行ける筈だ。甘寧には彼から話すだろう。僕は暫く、ここに残って屋敷を調べる」
『分かった』
獣――――白澤は大きく頷くと、ひらりと身を翻して駆け出した。
泉沈は彼の背中に向けて拱手し、厳しい面持ちで洞窟を振り返った。
‡‡‡
ここは、つい一年前まで犀家が――――犀煉、犀華、そして幽谷が暮らしていた場所だ。
犀家の祖は狐狸一族の男。彼が、この場に封じられた三百年前の大妖の封印を守ろうと犀家を起こしたのだった。
男は、己の子孫にまじないをかけた。
血が薄まりながらも、三代に一度は自分の力を持った子供が産まれ、封印を守る。
甘寧に心からの忠誠を誓った堅実な彼は、いつか封印が解かれるその日まで、何としてでも封印を守り抜くと決意してのことであった。
――――が、今。
犀家はその力の意味すら忘れ私的に利用し続け、まじないの効力を失わせるまでに至った。
そして――――犀家に生まれた四霊の手で、炎の渦に巻かれて死に絶えたのだ。
この時すでに犀家の誰もが、始祖の忠誠心、銀の扉の奥に封印された大妖のことなど知らず、犀華が受け継いだ力の意味すら考えなかった。
もはや、狐狸一族の子孫とすら呼べぬ。
「犀煉……君は知っていただろう。犀家の役目を。犀華が受け継いだ力の意味を」
その上で壊したのは、犀華に力を受け継がせた始祖への復讐のつもりだったのかい?
天を仰ぎ、何処までも妹の為を思った男に問いかける。
当然、応えは無い。
泉沈は吐息を漏らし、洞窟を見下ろし拱手した。
「正直、あなたにはお会いしたくない。妙幻や、他の四霊だってそう思っていることでしょう。あなたは剰(あま)りに哀れな目に遭われた。そして、甘寧も、興覇も、砂嵐達だって大事なものを失った」
そうなることは必定だったとは言え、もう二度と、あのような事態にはしたくはなかった。
願わくは、彼女の邪が消え失せていることを。狐狸一族と共に、笑い過ごす道を選んでくれることを。
無理と知りつつ、泉沈は祈らずにはおれなかった。
泉沈にとって、洞窟の奥に封印されていた大妖は気の置けない、尊敬出来る友人だったのだから。
洞窟にこびり付く銀を撫で、泉沈は儚げに笑む。
「玉藻(ぎょくそう)……あの時よりも前の君でいることを願って止まない」
狐狸一族を、苦しませないでくれ。
静かで、縋るような嘆願。
本当に、それが叶わないことは分かっているのだ。
昔の彼女はもういない。龍脈に堕ちた時点で決定づけられていた。
けれども。
泉沈は、ずっと親友に希望を持っていたかったのだ。
―第三章・了―
○●○
次からは劉備×関羽ルートとなります。
夢主のオチは諸葛亮か周瑜にしたいと思ってます。趙雲と夏侯惇には申し訳ないですけれども。
ちなみに白澤はただの伝令役です。泉沈は彼に乗って仙界から降りてきました。
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