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 趙雲と話を終えた恒浪牙は、その足で付近の山へと入った。光の無いまったき闇の中を迷わず、悪路に足を取られずに歩いた。
 時折面倒そうに樹上を見上げては、生き物の気配の失せた山に舌を打つ。

 これも、劉備の所為だ。
 彼の邪気が、彼だけでなくもう一人を狂わせようとしている。
 獰猛な魔獣が目覚めようとこの奥でのたうち回っている。
 身に潜む瑞獣がそれを抑え込んでくれているけれど、その苦痛は想像を絶するものだろう。

 恒浪牙は大股に歩き、息も乱さず山頂へ至る。

 そこは劉備よりも濃い邪気が充満していた。
 その奥には小さな炎が揺らめいている。この邪気の中に埋もれずに残る聖(ひじり)の炎。それが
邪気の元が未だ自我を保っていられている証であった。

 安堵に吐息を漏らし、恒浪牙は邪気の中へと足を踏み込んだ。片手で邪気を払い退けつつ炎へと近付いた。


「さっきよりはましになったようだな、赫蘭(かくらん)」


 炎が膨張する。
 かと思えば、付近の邪気を焼き清めるその中からぶわりと恒浪牙の腰までの高さの塊がゆっくりと現れた。ぺたりぺたりと足音を立てるそれは徐々に輪郭を明確にしていく。

 時間をかけて姿を炎で整えた塊は婉然と微笑み――――


「うおっ!?」


 細い足で恒浪牙に蹴りかかった。
 その勢いに従ってひらりと炎の帯を閃かせて一回転した塊は、少女である。火の粉を散らしながら恒浪牙に肉迫した少女は鳩尾に向けて拳打を繰り出す。

 恒浪牙は舌打ちして掌で受け止め少女の背後に回り込み手刀を頭頂に叩き込んだ。

 うっと呻きが上がり少女の身体が地面に俯せに倒れ伏す。悔しげな唸りが上がった。


「お前、本当俺に対する態度だけ荒っぽいよな」

「同族嫌悪よ、同族嫌悪!」

「お前は同族嫌悪の意味をもう一度調べるべきだ」


 地面に両手を付いて立ち上がると、彼女は憎らしげに歪んだ顔を恒浪牙に向ける。
 彼女こそが赫蘭――――赫平の対である。
 普段はお淑やかな淑女でいるくせに、恒浪牙と二人きりになると途端に日頃の鬱憤をぶつけてくる。多重人格のようにはっきりと態度を使い分けた瑞獣であった。

 唇を尖らせて土埃を払う赫蘭に恒浪牙は片手を腰を当てて炎に包まれた青年を振り返った。赫蘭のお陰で、付近は明るく照らされている。

 荒い呼吸は苦しげで、周囲には血が溜まっていた。


「……だいぶ吐き出したな。まだ中の邪気は放出出来てねえのか?」

「ええ、劉備って言ったかしら。あの子の邪気を取り込んだ後、急速に膨張したの。元々多少の邪気が無ければこの子の身体は機能出来ないけれど、多すぎれば暴走するわ。私が調整してあげられないくらいに、本当に突然で厖大(ぼうだい)だったのよ」

「ああ、こいつの体質に関しては伯母上に聞いてる。俺も手を貸そうか?」


 赫蘭は難しい顔をして首を左右に振った。


「有り難いけれど、具合が分からないあなたに微調整は出来ないでしょう? 私でないと、この子の身体をちゃんと整えてあげられないの。だから、この周辺の邪気が山を下りてしまわないように結界を張ることだけ、お願い出来る? 明日にはちゃんと戻しておくから、結界を張ったら劉備の側にいてあげて」


 恒浪牙に笑いかけ、赫蘭は己の宿主にそうっと寄り添う。その慈母めいた優しい表情に恒浪牙は片目を眇め、背を向けた。


「別に、俺はあいつに助言してやる気はさらさら無えよ」

「あれ、そうなの? その姿になったのって、華佗として劉備に助言してあげようと思ったからじゃないの?」

「類が違う。俺はあいつみてぇな力も無かったし、国を作ろうなんて思ったことも無い。ただ、大事なもんを守りたかっただけだ。それに、俺の至らない部分を任せられる出来の良い相棒もいた」


 脳裏に浮かんだ人間に、恒浪牙は首を左右に振って払う。今は思い出して良い状況ではない。


「ごめんなさい。嫌なことを思い出させてしまったかしら」

「……良いさ。お前の所為じゃない。自業自得だ」


 恒浪牙は肩をすくめ、結界を張ってくると歩き出した。



‡‡‡




 赫蘭は恒浪牙の後ろ姿を見送り、片目を眇める。


「恨んでいないと思うわよ、あんたの右腕は」


 だから百の山賊団を束ねた華佗として、あなたの代わりに処刑されたんじゃない。

 赫蘭も赫平も、華佗の嘗(かつ)て束ねた山賊団の哀れな最期については知っている。その頃には、恒浪牙はもう砂嵐を介して泉沈や甘寧と親交があったのだ。
 華佗にとって、あの最期は大きな罪となった。何百年、何千年を経ようとも癒えない深い傷を受けた。

 砂嵐も、このことには罪悪感を抱いているだろう。結局は自分に無理に付き合わせた為に、山賊団は壊滅せしめられたのだ。本拠近くの村に残ったままだったなら、まだ頭領として守っていけた筈なのに。
 大勢の人間を殺め、恨みを買っても守り抜こうとしていた華佗の宝物を呆気なく壊してしまったのだと、今でも悔いているだろう。


「長い付き合いだったんだから、右腕の心の内くらい、分かりなさいよね」


 だからぶん殴りたくなるのよ。
 腕をぼきぼきと鳴らし、赫蘭は唇を歪めた。



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