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――――曹操軍到来。
幽谷がその報告をした途端に諸葛亮は動いた。
早急にと、周泰や幽谷を使って猫族の皆に報せて回った。その兵力も、勿論伝えた。
そして今、動揺し、集会所に集まった彼らはざわざわと騒がしい。誰もが浮かない顔で、周囲の人間と言葉を交わしている。
これも、諸葛亮の意に添った展開なのだろうか。
遅れて来ると周泰に伝えていた諸葛亮の常なる涼しい顔を思い出し、幽谷は猫族を見渡す。
彼に加えて恒浪牙の姿も無い。
恒浪牙は時期をちゃんと読んでいたようで、薬もすでに十分すぎる程に用意していた。
彼も集会所に集まるのかと思えばそうではなく、幽谷達が村を回っている間に偵察をしてくるとふらりと村を出て行ってしまった。天仙の彼に、不安に駆られた猫族が押し寄せるだろうから、それを嫌がって行方を眩ましたのだろうとは、周泰の見解である。彼は天仙として、人間の欲にまみれた戦に介入するつもりは毛頭無いらしい。薬売りとしてなら、手を貸すだろうけれど。
集会所の隅で趙雲や周泰と並んで成り行きを見守っていると、不意に張飛が声を荒げた。
「曹操のヤツ、オレらのこと追っかけてきたってのかよ! ホント、しつけーヤローだな!」
憤懣やるかたなしといった彼の毒づきに周囲の猫族達も口々に不安を吐き出す。
「折角新しい暮らしが始まったばかりなのに。また戦が起こるなんて……」
「どうすればいいんだ……。オレたちはまたここから逃げるしかないのか?」
空気は重く、暗鬱としていた。これ以上不安が積もれば、彼らはまた逃げることを選択しかねない。現にどよめきは徐々に徐々に大きくなっていた。
が、それに歯止めをかけるように、諸葛亮がようやっと現れる。猫族を見渡し言を発した。
「落ち着け」
やはり、焦りも何も無い。彼はいつも通りの冷徹な態度で猫族の前に立っている。
「軍師殿、話は聞いていると思うが、曹操がここ新野に兵を向けたそうだ」
「そのようだな。趙雲、急ぎ新野城に行き、荊州兵六千を連れてきて欲しい。他の者は戦の準備を」
「戦の準備? それって……」
す、と諸葛亮は手に持っていた真っ白な羽扇を前へと突き出し、泰然と告げた。
「そうだ、曹操軍をここで迎え撃つ」
「はぁ!?」関定が愕然と声を上げた。
「相手は十万だろ? オレらなんて荊州兵合わせたって六千ちょっとだぜ!」
「しかも、こんな城も砦もないようなとこで迎え撃つって言うのか! そんなの勝てるわけないだろう!」
「そうよ、それよりも新野城に入れてもらって篭城した方がいいじゃない?」
「新野城は小さく、城としては役に立たない。相手は十万だ。篭城したところで持ちこたえられるべくもない。それよりも地の利を使う。ここ、博望坡にて決着をつけるんだ」
「――――ちょっと待って」
蘇双がそこで、口を挟む、眉間に皺を寄せて諸葛亮を睨んでいる。金の瞳には疑心がありありと浮かんでいた。
「アンタもしかして、曹操が攻めて来るって知ってたんじゃないの?」
びくり。
身体を大袈裟なくらいに震わせたのは関羽である。
「劉表様が、兵をつけてくれたのもそうだけど用意がよすぎる。地の利を使うって、最初からここで戦うつもりだったんじゃないの? だから、ここに住まわせて欲しいって新野の役人に言ったんだ……!」
話しているうちに感情が高ぶり、声が震えていく。
蘇双は、一層声を大きくして憤りをぶつけた。
「アンタは最初から曹操が攻めてくるのがわかってたんだろ! なのにボクらに黙ってたんだ!」
蘇双の怒りは全体へと伝染した。
困惑から怒りへと変わる猫族達が、先程よりも一層騒ぎ立て、血の気の多い者は立ち上がって諸葛亮を怒鳴りつけ始めた。
そこへ諸葛亮が首肯するものだから、より熱は高まる一方だ。
関羽が慌てだして諸葛亮を不安そうに見つめている。
これを、諸葛亮はどう落ち着かせるのか……幽谷も気が気でなかった。
が――――そんな頭の片隅では今まで話さなかったのもそれで良かったのかもしれないと思う部分も確かにある。
もし早い段階で曹操侵攻の憶測を話していたら、きっと諸葛亮への不信感は高まる一方だ。不安も増長し、平穏な生活を噛み締めることも出来なかっただろう。
それを考えると、諸葛亮の判断も、強(あなが)ち間違いであるとも断じれなかった。
「それは本当か? 軍師殿。知っていて何故俺たちに黙っていたんだ?」
「知れたこと。お前たちに言ったところで事態は何も変わらない。下手に騒がれてはたまったもんじゃないからな」
「なんだと!」
気色ばむ猫族の男の脇を張飛が大股に通過する。
彼は諸葛亮の胸座を掴んで鬼気迫る顔を寄せ怒鳴りつけた。
「ざっけんな! テメー!! そのせいでオレらは急襲くらったかもしんねーんだぞ! そしたらどれだけ被害があったかわかってんのかよ!!」
見かねた周泰が一瞬で肉迫し、張飛を剥がす。
諸葛亮は乱れを正すと、変わらず冷淡に言い放った。
「お前たちはおとなしく私の言う通りに戦えばいいだけだ。余計なことはしてもらいたくないからな」
「テメ―――!!!」
殴りかかろうとしたのを、すかさず周泰が身を屈めて代わりに頬に受けた。骨を殴る鈍い音がした。
幽谷が少しだけよろめいた彼を呼んで駆け寄ると、彼は手で制し勢いを殺がれてたじろぐ張飛を見据えて口を開いた。
「黙っていたことで諸葛亮殿を殴るならば、俺も、幽谷も、恒浪牙殿も……そしてお前達の長も殴らねばなるまいぞ」
「え……」
「あっ」
幽谷を己の前にずいっと引き寄せ、張飛を視線で促す。
困惑する彼は数歩後退し、説明を求めた。
けれども、周泰の口から言葉が発せられることは無かった。
何故なら。
「みんな、待って」
この場に更なる人物が現れたからである。
彼の静かな声が、場を静めた。
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