部屋に戻ると、関羽は諸葛亮と対面して端座し青ざめていた。冷や汗まで掻いて、余程緊張しているらしい。……いや、これから先の不安があっての緊張なのか。曹操の強大さは猫族は身に染みて分かっている。幽谷などよりも、曹操軍が如何に脅威か知っているが故に、口を貝にしておくこともままならないのだろう。

 だが、それにしても……自分が見送りに出ている間に何かしらの会話があっただろうか、異様に場の空気が悪い。諸葛亮が常なる涼しい顔である為険悪と言う程ではないが、重い。

 場の空気を軽くする為に、せめて関羽の緊張だけでも少しは和らげようと隣に腰を下ろすと、関羽は距離を詰めて寄り添ってくる。密着だけはと退いたがまた追われて諦めた。

 諸葛亮はそれに眉根を寄せて、「母親を求める子供か」と呆れたように呟いた。関羽はうっとなったが、それでも幽谷から離れようとはしなかった。


「……それで、先程の話というのは」

「え、ええ……」


 関羽は幽谷の外套を摘んで口を開く。


「どうしてみんなに言わないの?」

「必要がないからだ」


 即座にばっさりと斬り捨てられた。
 曹操軍のことを言っているとは分かるが……《あのこと》を知ってなお、彼に情報を開示するつもりはない。ひょっとすると、戦になるまで言わない腹積もりなのかもしれない。

 それに何の意図があるのかは、まだ幽谷にも分からない。


「どうして!? だって、あの曹操が攻めてくるかもしれないんでしょ?」

「二度言わせるな。皆に言う必要はない」

「そんな……! な、納得がいかないわ」


 震える声を絞り出す関羽を静かに睨み、諸葛亮は鼻を鳴らす。小馬鹿にした風情の彼は冷淡な口調で突き放した。


「元よりお前を納得させようというつもりはない。それで私が困ることもない」

「どうしてちゃんと話をしてくれないの? あなたが何を考えているのかわからないわ……」

「わかる必要もないだろう」

「そんなことないわ。だって、わたしたち猫族と一緒にわざわざここまで来てくれたんでしょ? これからもずっと一緒にいる人なら、わたしはわかりたいもの……」

「……どこまでも面倒な女だな」


 諸葛亮は吐息を漏らす。幽谷を一瞥した。


「いいだろう、そこまで言うのならこれだけは言っておいてやる。安心していろ。以上だ」


 彼の言葉から身構えていた関羽は予想外に単純な一言に頓狂な声を上げた。


「それだけ? そ、それじゃ、ぜんぜんわからないわよ!」

「当然だ。お前程度の頭で、この私を理解できるものか。それと、不安に思うのは結構だが、他の連中にあれこれ吹き込むような真似はするなよ。周泰や恒浪牙殿には私から話してあるが、彼らにもその話題は決して振るな。間抜けなお前の場合、その話が他者の耳に入る可能性がある」

「べ、別に誰かと相談したとかそういうことはしてないわ」


 ぎくりと身体を震わせる。恒浪牙に相談しようと考えていたのやもしれぬ。彼は、猫族と親しい天仙だから。


「それでよい。今の新野にとっては、それが最上の状況だ」


 関羽は怪訝な顔をする。


「ど、どういうこと……?」

「説明するつもりはない。それよりも、もう一つお前に言うことがあった」


 曹操はすでにこの新野を目指して軍を発したぞ。
 さらりと暴露する諸葛亮に、関羽はつかの間理解が追いつかなかった。ややあって、大音声を上げて立ち上がる。蒼白となって煩そうに顔をしかめる諸葛亮を見下ろした。


「話はこれで終わりだ。さっさと帰れ。決して漏らすなよ。少しでもその素振りが見えれば、周泰を監視に付ける」

「な、なん……っ!」

「幽谷、少し外に出るぞ」

「分かりました」


 口を開閉させる関羽を無視し、この家の主は颯爽と部屋を出ていく。

 幽谷は関羽に拱手して、その後を追いかけた。
 関羽が幽谷の名を呼んだが、振り返ろうとすると鋭い睨みで牽制された。

 心の中で、彼女に謝罪した。



‡‡‡




 村から少しばかり離れた山の中に入り、諸葛亮は大木の幹に寄りかかると懐から一枚の文を取り出した。折り畳まれた、荒い風合いの紙だ。

 その文は、幽谷達の母――――すなわち狐狸一族の長から鳥を使役して届けられた文の一つであった。


「もう一度確認する。この文の情報、夏侯惇が率いる兵十万発つ――――信用性は高いのだな?」


 幽谷は静かに首肯する。
 その文とは別に、幽谷や周泰、恒浪牙にもそれぞれ文があった。それらには総じて、姉が曹操のもとへ意識を飛ばして動向を探ってきたという、確固たる証拠を記していた。なお、兵力十万という数字と出立する時期については、予知にて読んだという。姉の《力》を考えれば十分信頼出来る。母は予知の裏付けなどは行わずにすぐにこれらの文をしたため、頃合いを見計らって届けさせた筈だ。

 無論、人間である諸葛亮や、猫族には信憑性が無いと思われることは間違い無い。だからこそ彼女らへの文にだけこの証拠が記されているのだった。

 子細は語らず、ただ信頼に足るとそれだけを伝える。

 諸葛亮は沈黙し、幽谷を呼ぶ。


「お前にはこれから暫く偵察をしてもらうが、良いか」

「承知しました」

「勿論日帰りが出来る程の距離で良い。日数をかけて遠くまで偵察すると、猫族の中にも勘ぐる者が出るかもしれん。それに、趙雲も名のある武将だ。何かに感づかれる可能性がある。それ以上の偵察は、獣達に任せろ」

「分かりました。では、頃合いになればお報せ致します」

「頼むぞ。周泰にも、この件については伝えておく」


 幽谷は拱手し、了承の意を示した。

 曹操軍と対峙するのは、もはや時間の問題だ。
 それでも諸葛亮は、未だ彼らに明かそうとはしない。
 幽谷が曹操軍到来の報せを持ってきた時には……話すのだろうか?

 思案に耽る諸葛亮の様子を窺いながら、幽谷は緩く瞬きを繰り返した。



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