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 数日の行程を経て、無事辿り着いた新野で猫族を出迎えた役人は、青ざめひきつった笑みを懸命に維持している。劉表の命令を守ろうという忠誠心と、猫族へ対する恐怖、嫌悪感が顔を醜く強ばらせていた。


「こ、これは……猫族のみなさま。ようこそお越し下さりました。話は劉表様より伺っております」


 少し距離を取って様子を見守る幽谷と周泰の側で、関定が呆れた風情で吐息をこぼした。不安そうな眼差しが冷めた表情の蘇双に向けられる。


「なんかすげー顔強張ってるけど、本当に大丈夫かよ」

「明らかに無理してるね。本心はボクたちに来て欲しくなかったんだろうね」


 関羽が口元に拳を当て、はらはらと役人と対する諸葛亮を見つめている。

 役人は諸葛亮に対して腰の低い態度を取りつつ、ちらちらと猫族の動向を気にしている。猫族の誰かが嘆息するのにさえ機敏に反応した。


「そ、それで今後みなさまが住まう場所ですが……その……、民の中にはまだまだあなた方に対する理解が足りない者たちも多く、その……出来れば城や街の近くには……」


 遠回しに、歯切れ悪く言う役人に、諸葛亮は気分を害した様子は無い。最初からこうなることを予想していたようで、怜悧な表情を保ったまま短く頷いた。


「わかっている。私たちは数も多い。新野の北東の地に住まわせてもらえればと思う。そこならば、人間とも距離が取れるだろう」


 途端、役人の表情は打って変わる。安堵に晴れ渡り、胸を撫で下ろす。
 諸葛亮は淡々と兵士の管理を役人に頼み、早々に新野城に背を向ける。

 周泰が彼の側に向かう。言葉を交わし、頷いた直後に駆け出した。行き先から察するに、諸葛亮の指定した場所の様子を見てくるつもりなのだろう。


「人間たちとは離れて暮らすんだな」

「その方がいいよ。人間たちの近くに暮らしたっていいことなんてない。住み分けは大事だ」

「そうだ。また人間に襲われたらたまったもんじゃないからな!」

「人間たちは私たちを嫌っているわ。距離を取るぐらいがちょうどいいのよ。私たちは私たちで暮らしましょう」


 猫族は完全に人間に対して不審と嫌悪感を抱いていた。今度は新野の人間が、猫族を苦しめるかもしれない。そう感じているのだろう、誰もが表情を翳らせていた。
 その前に、曹操という大きな脅威が安穏を崩すだろう。
 城壁を睨めつける猫族達を眺め、幽谷は視線を感じて役人の方を見た。

 役人はこちらを怪訝そうに凝視していた。幽谷の耳が他の猫族とは違うからだろう。
 無表情に見つめ返すと、不意に視界に手が入り込んで少しだけたじろいだ。半歩退がって突如現れた手の主を見た幽谷は即座に頭を下げた。

 趙雲である。


「行こう」


 無言で頷いて歩き出そうとすると、趙雲が役人を一瞬だけ睨んだ。

 彼も役人と同じ人間だ。役人達の態度に、彼もまた思うところがあったのだろう。穏やかで気が回る性格故に表には出ていないようだが、それが今一瞬だけ現れていた。
 幽谷の視線に気付くと趙雲ははっとして彼女に視線を戻し、取り繕うように笑った。


「おーい、趙雲ー、幽谷ー! 行くぞーっ」


 関定の呼び声に趙雲が片手を振って応える。
 趙雲は外套の下に隠れた幽谷の腕を掴むと大股に歩き出した。だいぶ距離が開いてしまっている所為だろう、少し性急だ。

 幽谷はそれに逆らうこともせず、足並みを揃えて猫族達と合流せんと北東への道を進んだ。



‡‡‡




 すぐ側で、曹操軍が大事な軍議を行っている。
 劉の地荊州へ逃げた十三支の報告から始まり、荊州の統治者劉表、そしてその采配へと話は進む。

 新野に、かの臥龍を得た十三支を置いた……か。
 ふんと鼻を鳴らし、壁に寄りかかったまま腕を組む。
 十三支が新野に置かれたということは、南へ侵攻する曹操軍への盾にされたも同然だ。十三支の側には幽谷と周泰もいる。彼らも長の命に従って先陣に立って曹操軍と戦おうとするだろう。

 重苦しい空気の中、自身も重い胸中に鬱屈し、天を仰いだ。


「さて……どう動く、曹操よ」


 独白し、こちらに全く気付かない曹操軍の武将、軍師達を冷たく振り返る。
 その中でも一際目立つ姿を見、片目を眇めた。

 しっかし……まさか《あいつ》がまだ動けてるとはね。
 呂布が死んでただの土塊(つちくれ)と化していた筈だが……別の力を核にして身体を再構築でもしたか。勿論、それが彼だけの意思によるものではないとは明らかだ。
 その別の力というのが、どうも以前に感じたことのある気がして気になるのだが。

 だが彼がいるというのは、非常に問題かも知れない。
 彼は幽谷達の記憶を持っている。それは確実のことだ。
 幽谷に関して、要らぬ騒動を作りかねないが……如何せん今自分は《肉体を持ち合わせていない》。狐狸一族の長に頼まれて曹操軍の動向を窺っているだけのことだ。自身の目を通して長がこの様子を傍観している。

 あいつに関しては……あのクソ天仙に任せるか。
 あれは決して馬鹿ではない。何かしら手段を講じる筈だ。
 そう決めつけて思考を中断した丁度その時、曹操が声を張り上げた。


「聞け、皆の者! 河北を手にした我々がついに南をも手にする日が来た。これより我が軍は、南征を開始する!」


 まずは荊州。
 総大将は夏侯惇。武将としての手腕は軍の中でも抜きん出ている彼が、新野に落ち着いた十三支を襲う。

 が、諸葛亮がいるのだからこの大軍相手でも、一応勝ちはするだろう。
 臥龍の智は、その片鱗くらいは知っている。

 一旦あちらに戻るか。
 壁から離れた直後、身体がすうっと軽くなる。



 瞼を押し上げれば、今では見慣れた屋根が見えた。



‡‡‡




 その数日後。
 夏侯惇が率いる軍勢は、南へと発った。


 その数、十万――――。


 曹操の圧倒的な力が、荊州、新野を目指していた――――……。



―第二章・了―


●○●

 第二章はここまでです。
 猫族との関係がまるで違ってます。特に趙雲。
 そうだ、がらりと変えちまおうと大胆に設定してみたくせに未だに慣れません。

 そして、夢主が関羽に対して若干逃げ腰になってます。そして記憶が無いので少々幼い分がある……筈!



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