19
準備が整い、猫族の疲れも取れた。
万全の状態で、彼らは新野へ赴く。
その最後の支度に早朝から勤しんでいる合間に、諸葛亮は何度も幽谷に接触してくる。
用件があるのかと思えばただ世の情勢がどうだの、ここ数日天気がどうだろうの、他愛ない四方山話(よもやまばなし)をするだけだ。
特に何かを探ろうとはしてこない。ただ、幽谷と人となりを把握する為に他愛ない話を持ちかけて反応を伺っているように見えた。
何を考えているのか、分からない男である。
先日の、劉備に忠誠を誓ったその直後のこともそうだ。
戦場に立てないと言っていたが、それは軍師としては常識の範囲内だろう。
戦わずとも策を授け味方を勝利に導く、それもまた軍師だ。
が、これは信頼関係があればこその話である。
幽谷が問題視するのは、その後の話だった。
彼は、曹操軍が新野に攻め寄せてくる憶測を劉備を語り、関羽と幽谷にキツく口止めを強いた。
関羽に対する言い方は剰(あま)りに辛辣で、早くも軋轢が生まれそうだ。
先述したように、如何に軍師が良策を献上しようとも、将の信頼無くば用いられない。
そういった事態を招くような下手を打つ人物だとは思えないが……猫族の長に仕えると決めたばかりで、猫族一番の武力を持つ関羽と信頼を築けないのは如何なものだろうか……。
「……何だ」
不機嫌な声にはっと我に返る。いつの間にか思案に没頭していたようだ。作業を進めていた手も止まっている上に、顔は諸葛亮に向いていた。凝視していたのだろう。
無礼を詫び、幽谷は頭を下げた。
「……何故、私などのもとに足繁く参られるのか不思議故に」
「狐狸一族に興味が湧いた、それだけだ」
素っ気無い返答だ。腕組みし、作業を進めろと促してくる。
それに反発も無く従うと、諸葛亮は幽谷のまとめた荷物を見下ろし、待ったをかけた。
「どうかなさいましたか」
「荷の中に鼠が入り込んでいるぞ」
「……あら」
手を止めて麻袋を口を開くと、中からチュウ、と小さな鼠が顔を出す。髭と鼻を動かしてこちらに上ってこようとするのに手を差し出せば掌から腕を伝って肩まで一気に駆け上がった。頬に顔をすり付けてくる。指で首を撫でれば嬉しそうに鳴いた。
幽谷は表情を綻ばせ、鼠に謝罪する。
「ごめんなさい、気付いていなかったわ。怪我はしていない? ……そう、それは良かったわ」
鼠を掌に乗せて地面に降ろしてやる。
「さあ、行きなさい。粗相(そそう)をしては駄目よ」
頭を撫でて促す。鼠に話しかける声音は、常とは打って変わって柔らかで優しかった。
鼠は幽谷の指を舐めると身体を反転させてまっしぐらに調度品の影へと隠れた。
それにも笑い、幽谷は腰を上げる。諸葛亮に向き直れば、いつもの無表情。付け入る隙の無い凛々しい顔だ。
「……四霊は動物に好かれると聞いていたが、本当だったか」
「はい。私も兄も、動物が良く寄ってきます。気を付けていなければ虎や狼も招いてしますが、私達の側では暴れませぬ故。危ぶまれることは何も」
「そうか。覚えておこう」
諸葛亮は麻袋を締め直す幽谷を眺め、ふと外の様子を窺った。
その直後に足音が幽谷の耳に入ってくる。東から、こちらの方へと向かってきているようだった。
諸葛亮も気付いたのかと見やるが、彼は口元を押さえ何かを思案している。足音に気付いて外を見た訳ではなさそうだ。
「諸葛亮殿。誰かこちらに」
声をかけて麻袋を肩に掛ける。
諸葛亮は思案を中断し幽谷に頷きかけた。
それからややあって、開きっ放しの扉から関羽が駆け込んでくる。
「幽谷、そっちはもう――――諸葛亮……」
関羽は諸葛亮に気付くなり表情を強ばらせる。
幽谷はさり気なく彼女と諸葛亮の間に立ち、麻袋を掲げて見せた。
「後は、この荷物のみにございます」
「そ、そう……じゃあ、二人共そろそろ出発したいそうだから行きましょう」
「畏まりました」
諸葛亮を振り返り、軽く頭を下げる。
彼が頷いたのを確認して、気まずそうに肩に力を入れる関羽の後ろに続いた。
猫の耳がぴくぴくと忙しない。
諸葛亮の動向に、無意識に集中しているようだ。
……こんな調子で、これから彼らはやっていけるのだろうか。
一抹の不安を感じて諸葛亮を振り返ると、彼は素知らぬ顔して幽谷の視線には気付かぬ風情で視線を空へと向けていた。
兄か恒浪牙に、相談でもしてみようか……。
‡‡‡
「周泰」
買い忘れを補充する為に街中を歩いていると、不意に背後に誰かが立った。この雑踏の中、不自然ではない程度に距離を保ち、周泰に話しかけてくる。
周泰は前を見据えたまま、囁くように応えを返した。
「単独行動は慎んでいただきたいのですが」
「問題は無い」
……問題があるから、言っているのだが。
嘆息が漏れかけて、口を閉じる。
「新野に行くと聞いた。幽谷も共に行くそうだな」
「はい」
「無理はするな。幽谷にも伝えてくれ。私の用件はそれだけだ」
言い終えるや、彼は角を曲がる。
一瞬だけ視線をやったそちらには外套で素性を隠した人物が二人、歩き出していた。
それに吐息をこぼした周泰は、小さく「承知しております」と誰にともなく呟いた。
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