15
翌日。
「じゃあ、幽谷にはこれをお願い出来るかしら」
「承知致しました」
幽谷は紙を手渡され、関羽に一礼して彼女と別れた。
新野に赴く前に、必要な物を買い揃えようと関羽が言っていたのを聞き、幽谷は同行を申し出た。周泰は猫族の人々と旅の準備を手伝っており、恒浪牙も薬草を採取してくると町を朝早くに出て行っている。手が空いているのは幽谷のみであった。
未だ関羽との距離を測りかねてはいるけれども、一人町を歩かせる訳にはいかなかった。
そう。最初は護衛と、荷物持ちのつもりだった。
だのに、何故か役割分担され、別行動を取っている。おまけに大丈夫かと心配もされる始末。
関羽の思考には戸惑いを覚えざるを得ない。
手早く済ませて合流しようと幽谷は小走りに店に走った。
怖じ気付く店主達には構わず、買うべき物を全て買い揃え、関羽の姿を捜そうと街中を歩く。
早くに済ませたから、何処かの店で商品を眺めている筈だと一つ一つの店を確かめて歩いていると、不意に関羽らしき少女の悲鳴が鼓膜を突いた。
反射的にそちらへ疾駆すれば、店の前で関羽が外套に姿を隠した不審な男に密着され――――襲われている。
幽谷は跳躍して不審者めがけて長く細い足を勢い良く振り下ろした!
神速の一撃を、しかし不審者はぎょっとして紙一重で回避する。
その身のこなしに既視感を覚えた。
「うぉお!?」
「っ?」
おまけに、声にまで既知感があった。
幽谷はまさか、とこめかみをひきつらせながら関羽を背に庇い不審者から距離を取った。
「幽谷!」
「ご無事ですか」
外套にしっかりとしがみついた関羽は顔を真っ赤にして動揺していた。涙目だ。
「ぃ、いえ、あの……あの人今わた、わたしの耳に、口、つけた……!」
「……」
幽谷はじとりと相手を睨めつけた。
「……ここは、私にお任せ下さい。この下賤、消します。他に買い忘れなどはございませんか?」
「あの……この最後の二つがまだ――――」
関羽が紙を見せた直後である。
腰に触れた何かに身体を引き寄せられた。密着され、ぞわりと悪寒。
「あ、幽谷!!」
「お前な……再会してすぐに踵落としとか、本当にオレの扱い酷いな」
「……」
ひくり。口角がひきつった。
間違いない。この男はあいつだ。
「え……? 幽谷、この人と知り合いなの?」
「知り合いも知り合」
「いいえ。初対面です」
「ぐほっ!」
たまにも見られぬ美しい満面の笑みを浮かべて、幽谷は不審者の水月に肘を叩きつける。なおかつ踵で脛を蹴りつけた。
男から離れ、関羽の手を引いて駆け出す。
「あ、おい!!」
後ろで不審者が呼ぶのは黙殺した。
‡‡‡
「大丈夫ですか」
「え、ええ……」
関羽は荷物を大事そうに抱え、深呼吸を一つした。怖じた様子で走ってきた方向を振り返る。
「都会には、ああいう不審者がいるのね……」
「そうですね。ああいった輩には細心の注意を払って下さいませ。人の集中する場所にいる分、悪知恵が働きます。あなた方のような方々は特に狙われましょう。お気を付け下さい」
双肩を掴んで言い聞かせると、関羽は青ざめてこくりと神妙に頷いた。
「城までお送り致します。買い物は、私が致します故に」
「でも、」
「また不審者に襲われては、猫族の方々に示しがつきません。城にお戻り下さいませ」
断固と言うと、彼女は暫し躊躇した後、了承してくれた。
彼女の返答に安堵し、幽谷は関羽を連れて城へと戻る。周囲を十二分に警戒しながら、いつまた接触してきても良いように、外套の下で匕首を握り締めた。
……しかし、何故あの男がこの街にいるのか。
荊州の様子、更には曹操軍の動向でも調べに来たか。
今後、関羽に接触する可能性はある。彼は荊州唯一の猫族である為か、子孫を残すことに執着があるらしい。種族の違う幽谷にはそれは言わないが、軽く言っているその下ではそれはなかなかに根強いようだ。
ともなれば、当然猫族の女性の貞操も守らなければならなくなる。
あの男は……まったく。
一度痛い目に遭わなければ分からないのだろうか。
「あ、あの……幽谷?」
「何でしょう」
関羽を見下ろすと、少しだけ距離を取られる。
「さっきからずっと……顔が怖いわ。あと、殺気もちょっと……」
「……申し訳ございません」
顔を押さえ、謝罪する。
関羽は不安そうに幽谷の顔を覗き込み、
「やっぱり知り合いなの?」
「いいえ。あのような不審者、絡まれれば即座に斬り捨てています」
「そ、そう……」
少しばかり、棘を含んでいたかもしれない。
けれどもこればかりは、仕方がなかった。
まさかこんなところであの男に出会って密着される羽目になるとは……。
未だに不快な感触の残る腰を撫で、幽谷は小さく舌を打った。
その隣で関羽がびくりと身体を震わせた。
.
- 37 -
[*前] | [次#]
ページ:37/220
しおり
←