「猫族のみなさん。ここが荊州の都、襄陽です」

「すごい賑わいね……」


 活気づいた襄陽の街。
 表通りを行き交う人々と店を構える者達の威勢の良い客寄せの声に気圧された関羽が、幽谷に無意識に寄り添う。それに少しばかり驚きながらも、努めて平然とした態度を維持した。関羽への苦手意識は未だ薄れていないが、ここで自分が取り乱したりすれば彼女らを不安にさせてしまうかも知れない。

 幽谷は関羽と共に後ろにつき、周泰は張飛達と前を歩く。
 周囲を見渡しては驚嘆の吐息を漏らす猫族と違い、周泰も幽谷も無反応で目の前の襄陽城を見据えたままだ。殷賑(いんしん)な街の様子に気を取られもせずに猫族を守りに徹する。


「洛陽もすごかったけど、ここもすげーな」

「みんなもいっしょに来れたらよかったね」


 つまらなそうな劉備は、くい、と周泰の袖を引く。以前旅の中で肩車をしてもらってから、彼は周泰によく懐いていた。長身の周泰の方の上から見る景色が新鮮で面白かったのだろう。
 周泰は劉備を見下ろして、何も言わずに一瞬目を伏せるだけだ。すぐに城の方へと視線が戻る。

 俯き加減になった劉備に、劉キが申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません、劉備殿。私がいたらないばかりに……」


 すると、関羽が慌てて首を左右に振る。


「そんな! 劉キ様のせいじゃありません。わたしたちが自分で決めたことです」

「致し方ないことだ。劉キ殿が気にやまれることはない」


 今ここにいるのは、劉キを除き、関羽、劉備、趙雲、張飛、そして狐狸一族の自分達の六人のみ。
 当初、劉キは猫族全てを受け入れるとにこやかに申し出た。だが、それを猫族は遠慮したのだ。

 彼らの判断は、果たして間違ってはいなかった。


「お、おい……見ろよ、あれ、まさか、あれが、十三支ってやつじゃないのか?」

「ほんとよ! ほんとのほんとに、獣の耳なの!」

「いや、でも一人耳が違うぞ。あの女は何なんだ? あいつも十三支なのか?」

「大丈夫なのか……? あいつら、不吉な連中だって……」


 獣の耳は、そんな囁きを拾う。

 荊州でも猫族は差別されない訳ではない。全てが荊州の過去を知っているのではない。
 襄陽に入る前に兄はそう言っていた。
 差別が無いのはかつて劉光が統治していた江陵だけだ。

 諦めたような顔で、張飛が呟く。


「南は北ほど差別がねーって話だったけど、やっぱ、こーゆー反応か」

「仕方ないわ。いきなり石をぶつけられたりしないだけよかったと思うわよ」

「石が投げられれば、私が払います」


 そう言うと、関羽は目を丸くし、すぐに嬉しそうに笑った。


「ええ、ありがとう。でも無理はしないでね」

「……すみません……。あなた方の故郷である、この荊州でこのような無礼を……」


 劉キは頭を下げて、民に劉一族の祖先のことが浸透していないと語る。
 本心からの謝罪に、劉備はにっこりと笑って胸を張った。


「だいじょーぶだよ、劉キ。ぼくたち、へーきだもん」


 幼いながらに浮かべて見せた作り笑いはほんの少しだけひきつっていた。彼らの蔑視が最も堪えているとは、誰の目からも明らかだった。
 しかし、それでも彼は気丈に堂々と歩いていく。幼くも、猫族の長として。

 周泰も、その隣につき、劉備に向かって何かを言った。劉備にだけ聞こえる程の大きさだが、その唇の動きから『ご立派です』と彼を讃えたのだと幽谷には分かった。

 幽谷の隣で関羽が吐息を漏らした。
 ちらりと流眄(りゅうべん)にて見やると彼女は胸を撫で下ろしながら寂しそうに劉備を見つめていた。

 歩が遅くなる彼女に歩幅を合わせて歩いていると、それに気付いた趙雲が関羽を呼ぶ。
 我に返った彼女は幽谷が自分に合わせていることに気付くとすぐに謝罪して小走りに彼らに合流した。

 趙雲に呼ばれ幽谷も足を早める。

 関羽が張飛の隣に並ぶと、今度は趙雲が幽谷と並んで歩く形となる。


「お前は大丈夫か」

「……? 何がです」


 ちらりと趙雲が見たのは幽谷の耳である。
 確かに、民衆の言葉の中にも幽谷の狐の耳を指摘するものはあった。
 けれどもそれは猫族の村を襲った人間達の反応をすでに見ているので予想の範囲内である。


「私なら、平気です。予想しておりました故に」

「そうか。もし辛くなれば布か何かを買おう。それで隠せば良い」

「不要です。猫族の方々に無礼に当たるかと存じます」


 それでもこちらを気遣っての申し出であるから、幽谷は頭を下げて謝辞を述べた。

 すると、趙雲は少しだけ寂しそうに微笑んで、頷いた。

 何か言葉を間違えただろうか。何も無礼なことは言っていないように思うが。


「どうかなさいましたか」

「いや……何でもない」

「左様でございますか」


 未だ表情の寂しげな彼を幽谷は怪訝に思いつつ、視線を前方に戻した。



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