にこにこと、その場の緊張に水を差す笑みのまま、恒浪牙は周泰に頭を下げた。
 周泰もまた、これに一礼を返す。


「同じ始祖? 恒浪牙殿、それはいったいどういうことだ?」

「猫族の祖は嘗(かつ)て大妖を討ち果たした劉軍――――彼らを束ねた劉光と、彼と同じ姓を持つ劉キ殿の家の祖は同じなのです」


 関羽達は顎を落とす。


「え……?」

「劉光って、劉備様のご先祖様だろ。……それって、つまり……」

「劉備殿と劉キ殿は、遠縁だというのか」

「そんな馬鹿な!」

「本当のことですよ。それに、彼らの母君もご存知ですし」


 「ねえ?」と同意を求められ、周泰と幽谷は首肯する。それは、母から繰り返し聞かされていた話だった。彼女にとって、子供に何度も話しておきたい程の大事な思い出なのだった。

 恒浪牙の話と周泰達の肯定によって、多少の緊張は弛んだように思う。されども、未だ疑念を持つ者は多い。

 そんな彼らに、劉キは言葉を尽くした。


「遠い遠い親戚ではありますが。ですが、間違いなく劉光は、我が荊州の出。かつて荊州を治めし者です。……劉光は金眼を倒すために、国の中でも腕のたつ者たちを連れ、決戦に臨みました。そしてそれは、見事果たされたのです。しかし、戻ってきた劉光たち劉軍は、その見に金眼の呪いを浴び、獣の耳が生え姿形が人間のそれとは、変わっていました。それでも国に残っていた人々は劉光たちを、以前と変わらず受け入れました」


 されども結局は、劉光らは一部を残して荊州を出て行くこととなる。

 彼らを危険視した漢帝国が金眼の子孫であるなどとまったき嘘をばらまいたのだ。
 世の人間はたちまちにこれを信じた。そして、十三支と蔑んだ。

 漢帝国の臣でもあった劉キらの祖先は、それにどんな感情があったのか今となっては分からぬが、英雄である筈の劉軍を追放した。
 以降幽州に住み着き人里離れて今、関羽達まで代を重ねている。

 荊州に残った猫族も、また――――。


「祖先の罪は、その子孫である私たちが償わなければなりません。荊州は猫族のみなさんの故郷です。猫族のみなさん、どうか再び劉の地・荊州にお戻り下さい。私たちはあなた方を喜んで迎え入れます!」


 猫族は、彼の話に驚き戸惑いを隠せずにいた。
 唐突な真実に受け入れ難くもあれば有り難く、嬉しく感じる者もあっただろう。

 彼らは、この申し出を受け入れた。
 これ以上の長旅は厳しく危険であるという現実も作用したのだろう。疑って僅かな希望を捨ててしまうよりも、窮地に伸ばされた手を取った。

 彼らの決定に、幽谷達も従う。
 無論、疲弊しきった彼らの代わりに、劉キ達の動向に細心の注意を払いながら。



‡‡‡




「……兄さん」


 殿(しんがり)を勤める幽谷は、隣を歩く兄に声を潜めて話しかけた。


「あの劉キという青年は、やはり……」

「……父の思惑は知らぬだろうな」


 ああ、やはりそうか。
 周泰が自分と同じ見解であることに安堵し、隊列の先頭を歩いている劉キへと思考を巡らせる。
 荊州を目指すこととなって、約二日ばかり。その間幽谷はずっと劉キの様子を観察していた。

 彼からは猫族に対して純粋な敬意しか感じられない。それは一人になった時でも同じだ。
 劉キという青年は、心から猫族に、劉光に敬意を抱き同じ祖を持つ者として、劉備の遠戚として彼らの為に動こうと努めている。

 母より、劉表は迎え入れるフリをして、その野心の為に猫族を利用するであろうと聞かされている。
 父の思惑を知らぬ劉キは、警戒には及ばぬ人物ではあると幽谷は判断したが……どうだろうか。


「彼の監視は」

「……要らぬ。劉表の動向のみ、注意しておけ。短期か、長期か……荊州に落ち着くことにはなるだろう」

「分かりました。そのように」


 幽谷は神妙に頷く。

 劉キが先導するようになり、周泰は彼らを極端に避けているし、幽谷にもあまり親しくならぬようにと言い聞かせている。周泰は劉表と、その一族を厭悪しているらしい。何においても母の命令を優先する彼にしては私情を挟むのは非常に珍しいことだった。

 北に故郷を持つ呉の新参者の武将に邪険に扱われても、波風立てるなという家族の約束事を律儀に守っている兄がそこまで嫌うのは、かつて劉表が母に対し軽んじた対応をしたからだろう。幽谷はまだ半年しか狐狸一族に身を置いてはいないが、誰よりも家族を愛しているのがこの獣の耳を持たぬ周泰であると知っている。
 だから、こうして幽谷の面倒も、気難しい姉の面倒も親身に見てくれるのだ。いつか、この恩に報いたいと思う。

 周泰は幽谷の頭を撫で、見回りに行くときびすを返した。
 拱手し、幽谷は兄を見送る。殿を一人で引き受けることに自身を引き締めた。

 まだ、荊州の都襄陽(じょうよう)は遠い。といってももう一日二日程度の距離だ。このまま休憩を挟みながら行けば無事に到着するだろう。

 それまで、より周囲を警戒しておかねばなるまい。



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