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隊列の先頭を歩く幽谷と周泰は、ふと前方から集団の足音を拾って足を止めた。手を横に上げて猫族を制する。
まだ遠いが、こちらに向かってきている。右側が断崖になったこの一本道、このまま進めばかち合うのは目に見えている。
外套の下から匕首を握って身構える彼女に、猫族の男性が歩み寄ってきた。何事かと問いかけた彼にその旨を話せば心得たとばかりに頷いて背後を振り返った。
「おーい、みんな! 前方から誰かやってくるぞ!」
声を張り上げて注意を促す。
ざわめく猫族の奥から、趙雲達が小走りにやってくる。
彼らが幽谷達に近付く前に、五人の人間が現れた。
こちらに気付いたのか、足を止めた。
遠目で見るに、先頭に立つ人間は軽装で、武器は持っていないようだった。代わりに後ろの四人は兵士である。先頭の人物はそれなりの身分の者なのか。
「人数は? 武器は持っているか?」
「五人。先頭の人間以外は、兵士のようです」
周泰に目配せし、頷き合う。
「様子を見て参ります」
「待て、俺も行こう」
「無用です」
趙雲に頭を下げて足を踏み出そうとした二人を、しかし関定が呼び止める。
「ちょっと待った。なんか手振ってるぞ。間違いなく、オレたちに用があるみたいだな」
「いったい、誰……?」
関羽が前に出ようとするのを、幽谷は手で制した。
周泰が一歩前に出て、体術の構えにて威嚇する。片目を隠していても、怪しい動きは絶対に見逃すまいと睨み据えた。
幽谷もそれに倣い、匕首を構える。
猫族はこの数日人目を避け険しい道ばかりを選んだ長旅の中、疲労と不安で限界だ。彼らを戦わせる訳にはいかない。自分達が、猫族を守らねば。
暫くして、彼らは急ぎ足にこちらへ近付いてきた。敵意は、今のところ感じられない。
周泰の前に立ったのは、身なりの良い青年だった。身分の高さが、その上質な生地の衣服から感じられる。
温厚なかんばせの彼は、小さく吐息を漏らして安堵したように微笑んだ。
「よううやく見つけました。はじめまして、猫族のみなさん」
――――『猫族』
彼は今、確かにそう言った。
怪訝にまた猫族がどよめいたのが分かった。十三支と罵られ村を追い出されたばかりの彼らだ、この青年の発言に戸惑わぬ筈がない。
友好的な態度で周泰に歩み寄ろうとしたのを、すかさず蘇双が鋭く止めた。
「近づくな! お前は何者だ?」
警戒心露わに噛みつく蘇双を見やり、青年はあっと慌てて頭を下げた。
「すみません。警戒されるのも当然だと思いますが、私にはみなさんを害する意図はありません。私は荊州の太守、劉表の息子劉キといいます」
幽谷ははっと周泰を呼ぶ。
周泰は妹を肩越しに振り返り、武器を収めるように視線で伝えた。
荊州の劉表。
儒学者とも知られ、後漢末の人物評の番付の一つ『江夏の八俊』の一人にも数えられる程の才を持つ人物だ。
かつて母が気まぐれに人間の男に化けて身を寄せていた男だ。
そして彼こそが、民衆の心をを煽り、今回の騒動を引き起こしたのだった。
その息子となれば、それなりに猫族に対して友好的であるのも頷けるが、警戒も怠れぬ。
「なんと、劉表殿のご子息か」
驚いた趙雲が声を上げる。
「趙雲、知ってるの?」
「ああ。劉表殿は、南方の中央に位置する州、荊州を治められている方だ」
「南方の州、荊州……その荊州の人が、わたしたちにいったいどんな用なの?」
ちらり、疑わしげな視線を劉キへと向ける。
それに気分を害した風も無く、神妙な面持ちで「はい」と劉キは答える。猫族のこの態度も、予想していたことなのだろう。
「わたくし劉キは、荊州太守・劉表の名代として、みなさんをお迎えに上がりました」
途端、頓狂な声が上がる。
困惑していたところにこんな突飛なことを言われては、そんな声も出てしまう。
どういうことであるのか張飛が問えば、劉キはそれにも真摯に応じた。
「暴徒と化した許都の民により猫族のみなさんが、村を追われたという話は私たちの耳にもすぐに入りました。それを聞いた父が、みなさんの身を案じ、我が国に迎えようと言ったのです。そのため、私は遣わされました」
どうか安心して下さいと言わんばかりに柔和に微笑む劉キ。そこには正直な優労の色が見えるだけ。計算深さなどは微塵も見受けられなかった。もしこれが演技だとすれば、相当な役者である。
幽谷は周泰を呼び、指示を仰いだ。
されども周泰はすでに構えを解いており、傍観の姿勢を見せている。ここは猫族の決定に委ねるつもりらしい。
猫族の意思を尊重しろとの母の指示に乗っ取ったものなのだろう。なれば自分も兄の行動に従う。周泰の横に立って、介入を控えた。
「なんで見ず知らずの人間にボクらの身が、案じられなきゃなんないのさ。国に迎える? どうせ、ボクたち猫族を利用するつもりなんだろ!」
「そんなつもりは……」
眉尻を下げて、劉キは肩を落とす。本心から信じてもらおうと苦心する姿に、関羽は怪訝そうにしながらも努めて穏やかに問いかけた。
「ひとつ教えて下さい。どうして、あなたたちはそんなにわたしたちを気遣ってくれるのですか?」
「それは当然のことなのです」
「当然?」
「父、そして私、荊州に住まう劉一族のすべてはあなた方に、経緯と謝意を表して然るべきなのです」
「――――始祖が、同じですからね」
ゆったりと、会話に入り込んでくる人物が一人。
隊列の方からゆっくりと歩いてくるのは、恒浪牙だ。隣には劉備もいる。
劉キが驚いたように恒浪牙を見やり、次いで不思議そうに首を傾けた。
それに拱手して、恒浪牙はにこりと猫族に笑って見せた。
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