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幽谷が戻ったのは、昼のことである。
血と泥で汚れた赤茶の布に何かを大切そうに抱えて、猫族の合間を駆け抜けて周泰のもとへ急行する。
彼女の突然の登場に、猫族は誰もが困惑し、警戒を露わにする。
けれども恒浪牙が大丈夫だからと告げるとそれも途端に収まってしまう。彼が猫族の怪我人の手当を全て請け負ったことが大きく影響していた。
恒浪牙を姿を認めた彼女は一瞬だけ動きを止めるが、周泰が彼が親戚であることを伝えると淡々と自己紹介し、会釈した。これに恒浪牙も朗らかに応じる。
周泰が無表情に彼女の頭を撫でれば、顔の横から突き出した獣の耳がぴくぴくと動いた。表情には出づらいものの、彼女の感情は耳の反応で意外と分かってしまう。今は、合流出来て安堵しているようだ。
「何かあったか」
「……これを」
少しだけばつが悪そうにそ、と躊躇いがちに布の包みを、近くにいた関羽に差し出す。
関羽は包みを見た瞬間にはっと息を呑む。
何かを包んだ布は、紛れも無く世平の物で。
慌てて中身を開けば、真っ白な物が沢山詰められていた。細長かったり歪だったりと、大きさも形も様々それらは――――人骨だ。触れればまだ温かい。
「こ、れ……世平おじさんの、」
「骨です」
淡々と答える幽谷に、関羽は一瞬だけ複雑そうな顔をした。喜んで良いのか怒って良いのか分からない、そんな顔だった。
けれども恒浪牙が横から、
「狐狸一族(フーリ)は、一族の人間が死ぬとすぐに遺体を燃やして骨を近しい者達が所持する風習があるんです。死してもなお、仲間として共に在り続ける……そういった想いを込めて」
そう補足する。
途端に彼女の顔から緊張が解れた。
「だから世平おじさんの骨を……」
幽谷は関羽に拱手しようとし、止めた。寸陰何も浮かばなかった顔が歪む。
関羽はそれを見逃さず、外套に下に隠れた腕を見下ろした。そう言えば、包みを持っている時も腕を見せないように持っていたようだ。
「どうしたの? 腕を隠しているようだけれど……」
「いいえ。問題はございません。兄さん。私は、殿(しんがり)を」
首を左右に振り、彼女は周泰に告げる。
けれども、周泰はそれに頷くこと無く幽谷の右側の外套を掴んで引き上げた。あっと幽谷の声が上がる。逃げるように身を引いた。
そして露わになった右手は――――悲惨な状態だった。
関羽は息を呑む。
手が真っ赤に爛れ、幾つもの水膨れが出来ているばかりか皮がめくれている場所も見受けられる。重度の火傷だとは見るも明らかだった。
関羽は即座に左手も確認する。ほぼ同じ状態だ。
「あ、あなた……っ、まさかこんな手で抱えて持ってきたの!?」
驚愕に声を張り上げられて幽谷は首を傾けた。困惑した風情で頷く。
関羽は眩暈がした。こんな火傷で、存外重い骨を持ってこちらまで走ってくるなんて……痛覚の性能を疑ってしまう。
「痛くなかったの?」
「それよりも、早く合流せねばならなかったので」
……気にしなかった、と。
呆れを通り越してその精神が凄いと思えてしまう。
気が遠退きかけた関羽はしかし、燃え盛る村で燃える家屋の屋根に立っていた彼女の姿を思い出してはっと視線を落とした。……ああ、やはり軽い火傷が脹ら脛に点々と。
「早く手当しないと駄目じゃない!」
「いえ、問題は――――」
「良いからこっちに来てっ!」
「えっ、あ、」
世平の遺骨を恒浪牙に持ってもらって、関羽は幽谷の腕を掴む。治療道具を持っている筈の蘇双のもとへと走った。
それを見送りながら、周泰はぽつりと。
「治せるのだが」
「まあ良いじゃないですか。ここは関羽さんに任せましょう。……双方、《その気配》は無いようですし」
暫くは接触にそう神経を尖らせる必要も無いでしょう。
恒浪牙が言うのに、周泰は小さく頷いた。
‡‡‡
そもそも何故彼女は両の掌に火傷を負ってしまったのか。
道すがらに理由を問えば、更に呆れる返答だった。
火が消えたばかりの世平の遺骨を冷まさずに持ったらしいのだ。
それも、熱かったから話したのではなく、皮膚がこびりついてしまうからやむなく冷まして戻ってきたそうで。
ここまで自分の身体に頓着しない彼女に、恐ろしささえ抱く。
ようやく見つけた蘇双に事の次第と彼女の身の上を説明した時、彼も、たまたま側にいた関定も、関羽と似たような反応を示した。
「……感謝すべきなのか謝るべきなのか叱るべきなのか呆れるべきなのか……分からない」
「強靱な精神力って言うより……単純に間抜けと言うか、頭がおかしいというか……」
形容しがたい、得も言われぬ複雑な顔をした彼らに、関羽は頷いて同意を示す。そうしながら、未だ不思議そうにする幽谷と言う名の狐狸一族の娘の手当をする。
「もう少し自分を大切にした方が良いわ。周泰さんも、心配するでしょう?」
「はあ……」
「わたしが言うのもなんだけど、あなたは女の子なんだから危険なことは周泰さんを頼って。周泰さんもその方が安心するわ」
「……はあ、」
「……」
駄目だ、分かってない。
曖昧な相槌を返すばかりの幽谷に、関羽はこめかみを押さえた。
手応えが全く無い注意に、頭痛すら覚えた。つい昨日出会ったばかりで、まだ心から信用してしる訳でもないのに……彼女のことがとても心配になってしまう。
だって……自分のことに剰(あま)りにも無頓着すぎる。
成人女性として不完全な風にも思えてしまう彼女は、どうも周りに放っておけないと感じさせるらしい。きっと、その所為だ。
「わたしよりも年上の筈なのに……」
女性にしては長身の幽谷を見上げると、彼女は首を傾げていた。耳が先程よりも下を向いていた。……これは、しょげていると取って良いのだろうか。
「……でも、世平おじさんのお骨を持ってきてくれたのは嬉しいわ。これで、墓を作ってあげられるもの。ありがとう」
関羽がそう言って頭を下げると、幽谷は安堵したようだ。細く吐息を漏らし、包帯で白くなった手で拱手した。
耳が、ちょっとだけ上を向いたような気がする。
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