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 元々は九尾の狐玉藻を中心として生まれた狐狸一族。
 彼らとは全く違う狐狸一族が全員、怒りに満ちた双眸で玉藻を睨んでいる。

 玉藻は忌々しげに彼らを睨み返し舌を打った。


「次から次へと……ほんに腹立たしいことよ」

「じゃあ、腹立たしいついでに紛い物から出たお涙頂戴物語を受け取ってくれよ」

「断る」

「と言われても勝手に話すけどな。あんたらには聞く義務がある。特に分かる筈のことが分からない、ボケちまったあんたには」


 船上の狐狸一族の一人が冷めきった目で、嘲笑うような声音で言った。

 玉藻が片手を薙ぐ。
 突風が彼を襲った。全身に裂傷が走るが彼は表情を変えない。痛がる素振りも見せない。
 近くにいた狐狸一族も同様の傷を負ったが、全く同じ反応である。

 傷だらけの狐狸一族は蒋欽を見やった。

 長兄は甘寧を見下ろし、だんまりだ。多分、弱った甘寧は辛うじて蒋欽にだけは伝わるように抗議をしているだろう。しかし蒋欽が母の抗議に従う様子は無い。

 狐狸一族が蒋欽へゆっくりと頷きかけ、語り出す。



‡‡‡




 遠い遠い昔のことだ。
 突如として人の世に邪悪な化け物が大勢、地脈からまるで噴火の如(ごと)飛び出した。それから間を置かず、龍脈からもだ。後者はあまりに強大で狡猾だった。地脈で生まれた比較的知能の低い化け物を従え、世界を蹂躙し、脆弱な人間を嘲笑った。

 けれど、人間とてただただ踏みにじられるばかりではない。各州で有志が討伐軍を立ち上げ、多くの犠牲を払いながらも化け物達を倒していった。圧倒的な不利の中、人間は必死に抵抗した。理不尽な滅びに抗った。
 後に金眼を見事討ちこの災厄に終止符を打つ劉光なる男が率いる軍は、数ある討伐軍の中でも際立った猛者揃いの軍団だった。恐らく最も多くの強敵を打ち倒しただろう。しかし彼らも、仲間の犠牲は免れなかった。

 多くの将兵がこの災厄に挑み、死に絶えた。彼らの中には、己の無力を嘆く者、家族や友人の無事を知りたいと願う者、もっと多くの化け物を倒し国を守りたかったと悔やむ者など、様々な思いに囚われ彷徨う者も少なくなかった。
 彼らの悲しい声は、やがて孤独な狐に届く。

 狐もまた、この災厄で多くのものを喪い深い悲しみに暮れていた。
 彼女は劉光にとある天女に会うよう助言し、弟と姪の婿を劉光の手助けにと差し向け、人間に手を貸した。そして金眼を劉光らに任せ、自らは化け物の首領であり、嘗ては母であり姉であった金色の狐と戦い、辛くも封印する。
 身も心も疲れきった狐は、しかし数多の無念の声を聞き、彼らに手を差し出さずにはいられなかった。

 彼女が作った新しい器に収まった死者達は、器に宿った力を通して彼女の記憶、彼女の心の奥底を知った。

 狐は極度の寂しがりだった。小さい頃は寝ても覚めても姉か父の側を絶対に離れなかったくらいに。見えるところにどちからかがいないと大声で泣き出してしまう、困った子供だった。
 成長し自制を覚え矜持を持っても、表に出さないだけで孤独を酷く恐れる性格は変えられない。
 そんな狐には、ほんのささいなきっかけで一変した仙界の暮らしは到底耐えられるものではなかった。

 姉がたまたま散歩に出かけ、人間という生き物と出会ってからというもの、下界に入り浸った。
 姉は人間との間に子供を数人作り、そこから狐狸一族という一族を作った。
 それから遅れて弟も人間という脆弱な存在を知り、下界に移り住んでしまった。
 彼も家族を、一人娘を持った。妻と娘の為に家を建ててしまった。人間に混ざって働きもしていた。

 よっぽど、人間との暮らしが楽しいらしい。
 片方が仙界に年に一度、父に顔を見せに来れば良い方だった。それも、ほんの一時だけのこと。
 姉弟は、狐と顔を合わせることがなかった。姉弟は父に定期的な挨拶と報告を済ませると、さっさと下界に下りるかそれぞれの『家』に帰るかしてしまう。
 いつも、いつも、二人が『帰る』と言うのは、生まれ育った仙界ではなかった。人間と住まう世界だった。
 狐から話しかけることが出来たのはたった三度だけ。狐が少しだけで良いからと茶に誘っても、二人は断り一言二言で下界へ下りていく。いつも狐は父と共に取り残された。顔を合わせられないから、急ぎ足に去り行く彼らの背中を見送ることも無かった。
 姉弟と父と、『家族』でゆっくりと話をしたい――――そんなささやかな願望すらぶつけることも叶わない数百年が、彼女には苦しくて仕方がなかった。

 姉は昔、狐がして欲しいことを口にする前に察してくれた。どうして分かるのか訊ねると、それは妹が可愛くて仕方がないからなのだと、姉は笑った。
 でも人間との暮らしに夢中になった姉は、察してもくれなければ誘っても分かってくれなかった。
 もう興味を持たれていないのかもしれない。

 それでも狐は諦められなかった。
 災厄の遥か昔、姉が人間の為に大量の邪気をその身に取り込み、自らを龍脈に封じた日。
 あの日から数年、狐は突然、大嫌いだった狐狸一族の管理を自ら申し出た。父に誓い、姉が戻るまでは自分が彼女の『家』を守ると約束した。

 そうすればきっと、姉が戻ってきた時、自分に笑顔を向けてくれるのではないか。妹の存在をその一瞬だけでも認識してくれるのではないか。
 そう期待しての行動だった。

 それが思わぬ方向に進むなど、狐には予想外だった。

 どうして想像できただろう。
 自分が、狐狸一族の子供達と本気で楽しんで遊ぶなんて。
 狐狸一族の隠れ里で温かな食卓を囲うなんて。
 弟の娘に己の習得した仙術を指南するなんて。
 弟の娘婿やその仲間をからかうなんて。
 そして彼らと過ごした、忙しない日々の出来事を一つ一つ父に、笑顔で話すなんて。

 狐はいつしか姉や弟と同じように、人間という種族を愛するようになっていた。
 だが二人と違って彼女は仙界の父を蔑ろにすることは絶対にしなかった。
 必ず日が暮れる前に仙界に戻り、自分が見聞きしたことを父に話す。
 そんな毎日が、楽しかった。

 ギクシャクしていた弟との関係も、徐々に戻りつつある実感があった。

 姉が戻ってきたら、話すべきことが沢山出来た。その前に、今まで理解が無かったことを謝罪しなければならない。

 『家族』が昔のように戻れるかもしれない。
 いや、人間も狐狸一族も無かった昔よりも、もっともっと幸せに――――。
 狐は希望を抱いた。

 そして、あの災厄に踏みにじられることになる。

 死者達の声を拾い上げた狐が、己の力で作り上げた器に彼らを宿し眷属として蘇らせたのは、狐狸一族を滅ぼされ、姉に憎悪され、弟までも失った彼女の《逃避》だったのだろう。
 狐狸一族を元に戻せたらもっと良かったと、蘇った死者達を見渡し、狐は自嘲した。

 彼らの中に女はいない。
 勿論狐は女の器も作った。
 だが駄目だった。
 どうしても、似てしまう。
 姉にそっくりな顔と身体をした器ばかりが生まれてしまうのだ。
 男の器が弟に似ることは無かったのに、どうしてか女の器だけ姉になった。意識などしていない。死者の生前に似せようとしたのに、まるで狐を責めるように、作れども作れども姉の顔になる。
 結局、女も男の器におさまった。

 狐は、彼らを新しい狐狸一族だとした。
 そう言い放った彼女は何かを受け入れた覚悟の顔をしていた。

 この時に、彼女は完全に諦めてしまったのだろう。
 ずっとずっと欲しかったものを全て。

 最初から『家族』に自分は含まれていなかった。姉と弟の『家族』は人間と、きっと父のみ。何もかもが中途半端な狐は、その温かい枠の中には入れない。
 まだ右も左も分からなかった頃の幸福は、きっと何処かで自分が勝手に現実にしてしまった夢でしかなかったのだ。
 愚かな女狐は戻る筈のないものを望んでいたのだ。
 自らにそう言い聞かせた。

 そうして、姉の誤解を真実にすると決めた。
 中途半端な自分が姉を羨み、本物を滅ぼし新たに己の狐狸一族を作ったのだと。
 最後まで姉にとって憎い女狐で良いと割り切った。

 でも、まだ、心の奥底には捨てきれなかったものがあった。まだ何にも知らない子供だけが信じるような、根拠無き脆い幻想が。
 それが彼らに狐狸一族と名乗らせる後押しをしたのだと、本人も気付いていないことを死者達は知った。

 死者達はそんな彼女を憐れんだ。
 だから、皆で決めた。
 これより先、自分達はずっと彼女の側に居続けよう。彼女が寂しがる暇も与えないくらい、五月蝿く騒いでやろう。

 そして、いつか彼女の覚悟したその日が来たならば。
 皆、彼女の為に命を懸けよう。

 それが、自分達に出来る恩返しだ。



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