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呆気ないものだった。
いとも簡単に華佗と幽谷が倒れ、微動だにしない。
幽谷ならば無理もないが、あの華佗がほんの少しの抵抗すら許されなかったのだ。
甘寧は密かに歯噛みする。
しかし表面上は飄々と余裕の態度を取り繕い、大剣を構え直す。ころころと、腰から下げた狐の土鈴が鳴った。
甘寧は肩をすくめた。
「淡華にはお優しいこって」
「当たり前だ」
はっきりと言う魔性に甘寧の胸がざわめく。
淡華を愛でるのは当たり前――――か。
それは、淡華が人の血を持っているからだろう。
内なるざわめきが強くなる。
その正体を、甘寧は覚えている。
覚えているから、この懐かしくも憎らしいざわめきと《再会》した甘寧は無性に大声で笑いたくなった。
でも駄目だ。
甘寧は己の胸に手を当てた。
「……非情になれ。非情になれ。非情になれ」
誰にも聞こえない小さな声で、己に言い聞かせる。
遠い遠い昔の感情など、この場に必要無い。
愚かな甘寧よ。
なすべき事をなす為にはまず非情になれ。
そう、覚悟していたではないか。
我らが父たる天帝に誓ったではないか。
「当たり前な訳がねえだろう。あの子はオレの大事な姪っ子なんだ。穢れた化け物には関わらせねえよ」
吊り上がった眦一つで、玉藻は本当に弟妹を憎んでいるのが良く分かる。
甘寧は目を細め妖狐玉藻を強く見据えた。
「姉上」
「興覇。まだあれに情を求める気でいるなら邪魔だ。退がってろ」
「……いいや、姉上。俺も姉上と共に闘おう」
深呼吸をする興覇を一瞥(いちべつ)し、甘寧は一歩踏み出した。
玉藻は舌を打った。
「妾を討てると本当に思うておるのか」
「ああ、思ってるよ。昔に比べて見てられないくらいに醜くなった憐れな女狐を誅滅出来ると」
「愚かな」
先に仕掛けたのは玉藻だ。
周囲を風が渦巻き、鞭のように目に見えぬ実体を持って甘寧の小さな身体を打ち据えんと襲いかかる。
甘寧もまた風を操り鞭の軌道を逸らして応戦した。
生まれた僅かな隙間を縫うように駆け抜け玉藻へ肉薄、その喉元へ向けて大剣を鋭く突き出した。
切っ先が触れる寸前、玉藻の身体が水となって落ちる。
甘寧は冷静である。
大剣を持っているとは思えぬ速さで身を翻し背後に突如現れた気配へ横薙ぎ一閃。
これも避けられた。
今度は高く跳躍して。
だが、
「すまぬ大姉上!」
そこへ更に高く跳躍した興覇が脳天目掛けて手刀を落とす。
「その程度で……」
「ぬ……っ」
嘲笑うような呟きの後、振り下ろされた興覇の手は凍結した。
そちらに一瞬だけ意識を向けた興覇。
玉藻はその一瞬を見逃さない。
髪が広がり、《触手のように伸びた》。
分厚い氷に包まれた手に巻き付き反撃を許さぬ剛力と素早さで興覇の身体を船体に叩き付けた。
背中を強か打ち付け跳ねたがっしりとした体躯、その鳩尾へ玉藻の踵が沈んだ。
「がはっ」
「消えかけた残滓でしかないお前が……」
忌々しげに吐き捨てる長姉を見上げ、興覇は苦悶に顔を歪める。
‡‡‡
考え方の違いが少し煩わしくもあったが、それ以上に心から尊敬していた『大姉上』は、弟の腹を踏みにじり、憎悪に燃える目で見下している。
腹よりも、胸の方が苦しく、痛い。
――――どうしてこうなってしまったのか。
身を引き裂かれるような思いで興覇は凍っていない方の手で玉藻の足を掴み持ち上げた。
玉藻の顔色がさっと変わった。
その大きな変化の中に、興覇は気になる《色》を見つけた。
「……っ触るな下郎!!」
「!」
それを見定める暇(いとま)も無かった。
足を大きく振って興覇の手を剥がし、側頭部を蹴りつける。
頭の中が激しく震動した。
つかの間、意識を失っていたのだろう。
興覇が目を開けた時には玉藻は興覇を離れ、甘寧の剣撃を踊るように軽々と避けていた。
甘寧が押されている。
玉藻が術主体で戦うのに対し、甘寧は回避以外にほとんど術を使っていないようだ。
もう、彼女の身体には術に割けるだけの力も残っていないのだ。
玉藻の圧倒的な邪気を受け、苛烈な憎念を受け、彼女の心身にどれ程の負荷がかかっているか。
姉上お一人では、絶対に勝てない。
劉備達も守らねばならぬ。
俺が、奮起せねばならぬのだ。
その為にここにいるのだから。
興覇は重い身体を起こし、ゆるゆると頭を振って立ち上がる。
少しふらつく。
華佗よ……その腕は見事と言う他無いが、人間の身体にここまで近付けるのも問題だぞ。
心の中で娘婿に抗議し、興覇は玉藻へ猛攻を仕掛けた。
「っはああぁぁぁ!」
甘寧の大振りの直後に正面から殴りかかる。
玉藻は冷めた目で興覇を睨み、ひらりと身を翻した。
髪が動く。
反撃を予測した興覇はすぐさま距離を取るも、狙いは彼ではなく。
「っぐ!」
「! 姉上……!」
鋭い金属音。
矛先は甘寧であった。
間一髪大剣で弾いたのは槍のように鋭い髪。足元から真上に突き出しており、危うく串刺しになるところであった。
「姉上!」
「問題無ぇ! 余所見するな!!」
我がことで精一杯であろう甘寧は、それでも死人の興覇に叱責を飛ばす。
興覇は頷き、もう一度玉藻へ殴りかかる。
二人の姉と違って興覇は術が全く使えない。力は充分あるのだが、どうも術のような繊細なことには向いていない性分らしい。
せめて力を拳や脚に集中させ攻撃を強化出来れば良かったのだが、それすらも不得意だ。
だから、興覇はひたすらに力押しで玉藻を攻めるしか無い。
出来るだけ、興覇の援護に甘寧が術を使わぬような立ち回りを意識して。
しかし、と興覇は頭の片隅で先程の玉藻の変化を思い出す。
あれはどうしたことか。
興覇が足を掴んだ途端に彼女があらわにしたのは激しい嫌悪。
そして――――興覇に対する怯え。
大姉上はあの時、俺の何を恐れたのだろう。
それを説得の足掛かりに出来まいか、と考えた興覇を再び甘寧が何を呆けていると怒鳴りつける。
興覇は歯噛みして拳を握り直した。
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