目覚めたのは、冷たく埃っぽい城の中だ。
 周囲を見渡し、金髪の眉目秀麗な青年――――張遼は、口元に手をやった。

 自身の目覚め、それは奇異なることであった。
 彼の主であり、張遼という《人形》を作った呂布は死んでいる。だのに、彼はここに存在しているのだ。目が覚めて、形も思考も以前のままに覚醒している。
 確かに、自身の身体の崩壊も記憶している。

 呂布が生きているのかとも考えたが、有り得ないと自ら断じる。
 彼女は死んだ、確かに、疑いようも無く、死んだ。

 張遼はどれ程思案しようとも答えの出そうに無い問いを延々と繰り返すよりも、己の目覚めた城――――下邱城を出て周囲の様子を確かめることを選んだ。少しでも手がかりが見つかればと願いながら。

――――そして、今。

 彼は曹操軍と対峙している。



‡‡‡




「おや、これはこれは。曹操殿に夏侯惇殿ではありませんか。お久しぶりです」


 前にはずらりと曹操軍の武将達が並んでいる。慣れた顔もあれば初めて見る顔もあった。
 彼らの奥で馬上から張遼を見下ろしている曹操に、臆面も無く丁寧な所作で頭を下げた張遼はしかし、即座に夏侯惇に怒鳴られ問い質(ただ)された。


「何を悠長なことを! 呂布の部下である貴様が、ここで一体何をしているのだ!?」

「何をしているか、ですか」


 張遼は困ったように眦を下げ、首筋を撫でた。


「それが、実は何もしていないのです」


 外に出てみたものの、やはり何故自分がここに存在できているのか分からない。手がかりすらこの閑散とした荒野には無いのだ。
 張遼は、困窮していた。


「しいて言うなら、困っています。主である呂布様がいなくなり、一体何をすればよいのか、全くわからないのです」

「えー何それ? 好きなことすれば、いいじゃん」


 張遼の言葉に驚いたような声を上げたのは張遼よりも身長の低い少年だ。何処となくだけれど、呂布に似ているような気がする。が、ただ似ているだけで彼女と何の繋がりも無いことは明らかだ。
 武将と言うよりは軍師であろう彼の言葉を、張遼は反芻(はんすう)する。

 だが……生憎と好きなこと、自由の身になってやりたいことは見つからない。
 それでも探そうとする張遼を見つめながら、別の知らぬ細目の青年が曹操に何かを進言した。

 曹操はそれに頷き、張遼を呼ぶ。


「張遼、お前にやるべきことがないと言うならば、新しい主に仕えてみてはどうだ」

「新しい主、ですか? しかし、私には仕えたいと思う方がいません」

「張遼よ、直接手は下さずとも、お前にとって私は主の仇だろう。しかしこの乱世において敵味方は一時の事。ならば呂布亡き今この私の元で……」

「あ、いました」


 曹操の言葉を遮って水を差したのは張遼本人であった。
 己の調子を崩さない鷹揚な彼は、少しだけ嬉しそうに微笑んで、脳裏に思い浮かんだ少女と、女性の名を心の中で呟く。それだけでうっとりとする。


「あるはずのない、私の心の中に時折、その姿が浮かんでは消える。とても温かな温もりを持ったあの方。誰よりも人間らしく、温かで、優しい、あの猫族のお嬢さん……それに、凛とした美しい海と血の瞳を持たれた四霊の女性……」

「なに?」

「私が、自由の身になったというのなら、他の誰かに仕えることが許されるというのならば……私は、あの方の側に行きたい。彼女と共に、あの誰よりも温かい、あの猫族のお嬢さ……」

「あー、ちょっといいかな」


 そこで、細目の青年が止める。


「張遼、あんた自分の立場をわかっているかな?」

「ですよねー」


 青年は張遼に近付き、呆れ顔で状況を説明してやる。


「あんたは、戦に負けた呂布の部下だ。言ってみれば、ここで俺たちに捕えられて然るべき立場なんだがね」

「私を捕らえるのですか?」

「いやいや。そこは寛容な曹操様のこと。あんたを捕まえるよりも、有効に使った方がいいとのお考えだ」


 青年の言葉に、隻眼を丸くして夏侯惇が曹操を仰ぐ。焦燥に青ざめていた。


「なっ! 本気ですか、曹操様! 張遼を我が軍に入れるおつもりですか!?」

「私は、使える者はなんでも使う。例えそれが敵であった者であろうとな」


 曹操の答えは淡々と、そして単純なものだ。
 青年はにこりと笑って両手を軽く広げて見せた。


「というわけだ、張遼。かくいう俺も、昔は曹操軍の敵だった。まぁ、仲良くやろうじゃないか」

「どんどん話が進んでいますね。困りました。私はあの方々のところに行きたいのですが……」


 どうしましょう、と声無き言葉を漏らした張遼は、ふと曹操軍の後方から一人の兵士がこちらに駆け寄ってくるのが見えて動きを止めた。


「曹操様! ご報告がございます! 許都にて民衆が暴徒と化し、十三支の村を襲ったとのことでございます!」


 驚愕。
 曹操はさっと色を失った。

 報告は続く。
 それによれば、十三支――――否、猫族は応戦はせずに逃亡した為に民衆への被害はほぼ無いそうだ。
 その後彼らが何処に向かったのかは、未だ不明である。


「……夏侯惇。私は、急ぎ許都へ戻る」

「曹操様!」

「忘れたのか、夏侯惇。十三支の力は、人間の力を遙かにしのぐ。奴らが、私の知らぬ地へ去るとなれば、我らは十三支たちを常に警戒せねばならん。軍略にも、大きな影響が出よう」

「そ、それはそうですが……」

「郭嘉。お前はこのまま烏丸討伐に向え。夏侯惇、夏侯淵、賈栩は私と共に。急ぎ、戻るぞ」


 話がとんとん拍子に進んでいく。
 自分は置いてけぼり――――と思いきや。


「張遼よ。もう一度言おう。私と共に来い」


 張遼はまた首筋を撫でて暫し思案した。


「一つ確かめたいのですが、貴方は、猫族を探すつもりなのですね?」

「そうだ」

「わかりました、曹操殿。それでは、私も共に参りましょう。いつまでかはわかりませんが……よろしくお願いいたします」


 彼らについていけば彼女ら――――関羽と、幽谷に出会える筈。
 張遼は脳裏に二人の女性を浮かべながら、曹操に頭を下げた。



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