「ああ……でも、……それは出来ないよ」


 落ち着いた声が、場を沈黙させる。

 白銅は両手を広げたまま、笑顔を強張らせた。耳をびくびくと震わせて劉備を凝視している。

 いち早く驚きによる硬直から抜けた関羽が、


「劉備! あなた……」


 震えた声を出す。

 劉備は関羽を一瞥(いちべつ)し、すぐに白銅へ戻す。


「僕は僕の願いのために力を使わせてもらう……」

「え?」

「関羽、よく聞いて……」


 白銅を見据えたまま、劉備は小声で関羽へ語りかける。
 それは、関羽の想いに背を向けたものだった。


「君は今すぐみんなを連れて逃げるんだ」

「どういうこと……?」

「僕はこの戦いを終わらせる」


 力強い決意を込めた声に、しかし関羽の胸がざわめいた。
 これは不安だ。
 待って。劉備。
 それ以上言わないで。
 物凄く嫌な予感がする――――。


『いけない。劉備。それはいけない』


 声がする。
 あの九尾の男の声である。やや焦ったようなそれが、関羽の不安を煽った。


「なら、わたしも……!」

「わかるだろう? 白銅の力は強大だ。この力に対抗できるのは……金眼だけ」


 「劉備!」関羽は声を裏返した。

 劉備は関羽を諭すように言葉を続ける。


「……安心して。例え白銅を殺しても、僕が金眼に支配されてしまっては意味がない。今度は僕が暴れるだけだからね。……だから、そんなことは絶対にさせない」


 胸がざわざわする。
 不安が急速に膨れ上がっていく。
 手を伸ばすと、劉備が強く握り締める。

 彼は微笑み、


「君を……みんなを守るよ」

「待って……待って劉備! あなたいったい、何をするつもりなの……?」


 それに答えたのは、劉備ではなかった。


『劉備。それは誤った覚悟だ。そんな覚悟は要らない。お前が犠牲になる必要は無いぞ』


 九尾の男の言葉は、やけに劉備に親しげだった。
 だが関羽はそんなことよりも内容が聞き捨てならなかった。

 犠牲?
 そんな、まさか!
 劉備が犠牲になるって!?
 青ざめる関羽。

 劉備は少しだけ嬉しそうに笑った。


「……ふふ、この僕がこの力を自ら進んで使いたいと思うだなんてね。これも全部、君のお陰だね……。君が僕のすべてを受け入れてくれたお陰で僕も僕を受け入れることが出来た……」

「劉備……」

「関羽……僕はね、色々な血にまみれているんだ。呪いを受け継ぐ金眼の血。猫族の長としての劉の血。そして、流してしまった仲間の血……全部拭い去ろうと思う。白銅を消し去って……」


 心臓が跳ね上がった。


「待って……劉備……」


 劉備は目を伏せた。


「それに……きっと、これが《彼》を裏切ったことの償いにもなる……」


 囁くように、言う。
 深呼吸を一つして、


「……金眼の力を解放して白銅を消す。血は……血で清算する」


 そんなの駄目!
 関羽の心が叫んだ。
 喉が引き攣って声が上手く出せない。


「りゅ、び……! そ、そんなこと……」

「今までこの力は嫌いでしょうがなかったけど、これで、みんなを守りたいって願いは叶えられそうだ……。関羽、君に言われた言葉で、僕は変われたんだよ」

「え?」

「呪いも認めてあげるって言葉……金眼の呪いも含めて僕なんだね。小さな頃からずっと同じことを何度も言われていたのに、今になって、君に言われてやっと、受け止めることが出来た」


 僕を信じてくれるっていう君の言葉……嬉しかったよ。
 和らいだ声音に、優しい金の瞳。
 けれどその奥に、関羽にとって恐ろしい覚悟を秘めている。


「でも……それでも、今までの罪は消えない……。僕自身が認めても、周りのみんなには難しい話なんだ。それなら、せめて白銅と共に消えることが、僕の贖罪なんだ……」

「そんなの嫌よ! 劉備がいなくなるなんて……」


 劉備が犠牲になることなんて無い!
 関羽は激しくかぶりを振った。劉備の袖を掴み胸に顔を寄せる。

 それを、劉備はやんわりと、しかし強い力で剥がしてしまう。


「劉備……!」

「僕が消えたとしても、僕は最後に君を守ることが出来て嬉しいんだ。だから……」


 ごめんね。
 口の動きが、そう言った。
 声も発した筈が聞こえなかったのは、白銅の金切り声が被さったから。


「うるさい、うるさい、うるさい! あんたのせいでお兄様が変になっちゃったじゃない!!」


 深いどろどろとした憤怒で瞳をギラつかせ、関羽を睨めつける。


「殺すだけじゃ足りない……あんたを八つ裂きにしてやるっ!!!!」


 聞き苦しい怒声をあげ、白銅は跳躍する。


「死ねぇぇぇぇぇっ!」


 苛烈な殺意が向く先は、関羽である。
 劉備が咄嗟に庇おうとしたのに先んじて、彼の前に降り立った影が白銅の凶爪を受け止める。


「感動的な会話をしているところ悪いが、オレは劉備を死なす為にここにいるんじゃねえんだよな」

「く〜〜〜〜〜! お姉様を裏切った女狐のくせに……! お前も絶対に殺す! 殺す殺す殺す殺す殺すぅぅぅぅ!」

「五月蝿い。耳元でキャンキャン喚くな」


 大剣を振り回し、軽々と白銅を振り払った甘寧は、厳しい表情で周りを見渡し何かを探す素振りを見せた。

 白銅は体勢を立て直し怒りを甘寧へ向ける。
 甘寧へ飛びかかるも恒浪牙に阻まれ憤怒の奇声を上げる。

 甘寧は劉備と関羽を振り返って片手を振った。


「か、甘寧様……」

「死が贖罪とかほざいてる馬鹿は、華佗にもう百倍マシな脳みそと入れ替えてもらえ」

「仮に曹操や諸葛亮の脳みそと入れ替えたとしても入れ替え損にしかならねえから却下」


 甘寧と恒浪牙から辛辣な言葉を受け、劉備は困惑気味に瞳を揺らす。

 彼に噛んで含めるように諭したのは蒋欽である。


「ここで死を選んだら、お袋が何の為に白銅と相対した意味が無い」

「……それ、は……」

「それとも、お袋に自分の死も背負わせて苦しめるつもりか? ……ふむ、それは趣味が悪いぞ」


 劉備は即座に首を大きく左右に振って否定した。
 蒋欽が目を細めるのから逃げるように視線を落とす。

 関羽は軋む程奥歯を噛み締める劉備の腕に触れた。

 その時だ。


「あああああ! 女狐が! 女狐が! 女狐が邪魔をするなあぁぁぁっ!!」


 白銅が、咆哮する。
 関羽がはっとして顔を上げるも遅く、白い影は甘寧に躍りかかっていた。


「甘寧様っ!!」


 劉備が叫ぶ。

 焦る関羽らとは違い、蒋欽の行動は早かった。
 大剣を構える甘寧の前に飛び出し、迎え撃つ。

 が。

 更にその前に、突如として黒い影が割り込んだ。


「せいやあぁぁっ!!」

「な……!? ぎゃああぁぁぁっ!」


 裂帛(れっぱく)の気合いを乗せた太い声が大気を震わせる。
 心臓をも震わせるそれは、聞き覚えのあるものだった。


「「この声……っ」」


 関羽と劉備が同時に漏らす。
 互いにえっとなって顔を見合せるもつかの間。


「何でてめえがいやがる!?」


 興覇!!
 甘寧の狼狽した大声に、視線を戻した。

 関羽と蒋欽を庇い、片手で白銅を容易く殴り飛ばしてしまった男。
 九本の豊かな尻尾がゆらゆらと揺れ、頭に生えた獣の耳がぴくぴくと震えては忙しなく向きを変える。
 男が、ゆっくりと振り返った。

 関羽――――否、劉備を見て、にっと快活に笑って見せた。



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