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玉藻は五月蠅そうに柳眉を顰めた。
それまで玉藻を楽しませていた白銅の殺戮(さつりく)が不意に止まったのだ。
あれを止めたのはどうやら淡華の娘のようだが、気配が何やら妙である。
何故、あれの気配がする。
利天。
玉藻が世に出る器を作り上げる為に用いた、地脈を永らくさまよっていた魂が、何故淡華の娘に寄り添っている。
よもや、乗り移ったか?
玉藻は舌を打った。
淡華の娘を傷つけたくはないが……折角観劇を楽しんでいたのを邪魔をされたくはない。
「仕方がない……死ななければ淡華も怒るまいて」
心底残念そうに呟き、玉藻はつい、と指を動かした。
‡‡‡
やはり、相手に傷つけずに闘うのは難しい。
利天は白銅の爪を回避しながら舌を打つ。
白銅の影響で孫尚香の身体能力は格段に上がっている。
伸びた爪は刃よりも鋭く、肉も骨も容易く両断してしまうだろう。
一撃一撃が致命的。こちらに制限があるからと容赦なく攻め立ててくる。
対して己はやむを得ず防戦一方。
劉備乃至(ないし)甘寧が駆けつけてくる気配は一向に見られない。
徐々に連合軍本陣へ誘導しているが、いつまで耐え続ければ良いのか――――。
幸い、狐狸一族の幽谷の身体は丈夫で、体力も無尽蔵ではないもののもう暫くは保ちそうだ。
こと戦闘に長けた利天は、すでに幽谷の身体に慣れ、その特徴を存分に生かしている。
本来の身体ならもっと……と思うが、利天は大昔罪人として葬られ、地脈に落ちた直後肉体を食い尽くされている。
叶いようのない望みを持ったとて、無駄な隙を生むだけ。
ただでさえこちらには制限がかかっているのだ、化け物を相手に僅かな隙を見せれば即死。利天がしくじれば借りている幽谷の身体を傷つけるどころか殺してしまう。
「ねえ、全然愉しくないわ! 私ばっかり! 反撃なさいよ!」
「てめえ、俺がやり返そうとすりゃあ無防備になるだろうが!」
愉しくないと言いつつ、傷つけられないのを利用してこちらをからかい面白がっている。
化け物相手に常識良識を求めてもおかしな話だが、趣味の悪い雌猫である。
白銅はにっこり笑って利天から距離を取り、両手を広げてくるくる回る。
「ほら、攻撃してきなさいよ! ほら、ほぅら!」
ああ、本当に腹が立つ。
利天は舌を打った。
だが孫尚香の身体への攻撃は利天自身が許さない。
無論、殴ることもだ。
土地柄、生来女性を敬う利天。
そんな利天を嘲笑うように、白銅は彼の懸念していた行動に出た。
「攻撃してこないなら、私が傷つけましょうか?」
頬を撫で、艶然と微笑む。
「止めろ」
声を低くした利天に、白銅はきゃらきゃらと笑う。
そして、撫でながら短くした爪で頬に一本の赤い線を引いた。
「あら、うっかりしちゃったわ」
悪びれもなく、言う。
線からつうと赤い血が下へ伝い落ちていく。
こいつ……!!
この化け物がやらない筈がない――――分かっていても、実際やられると心底から沸き上がる怒りはかなりの熱量だった。
白銅を喜ばせるだけだと律しつつ、自身の信仰心すら踏みにじられたようで怒りを抑えられない。
嘲る笑い声が更に高らかになる。
それがふっと止んだ時、利天は自身に馴染みのある邪悪な気配に自由を奪われた。
玉藻……!?
死人の俺は舞台を去れってことか!?
「お姉様!? 嗚呼、お姉様! 私達のお姉様っ、何処にいらっしゃるのですか!? お姿を、その尊いお姿を私にお見せ下さい!!」
頬を赤らめて白銅が周りを見回す。
胸の前で両手を組んであちこち駆け回る姿を、動きを縛られた利天はただただ見ているしか出来ない。
「お姉様! ……お姉様?」
白銅が動きを止める。
耳を傾けるような素振りを見せ、目を丸くして利天を振り返る。
「この娘がお姉様の親族……? ええ、分かりましたわ。殺すことは止めましょう。ですが、その身体に宿る男は、私を放っておきはしないようですわ――――」
『問題はない。妾が黙らせる』
「!?」
突如声が頭の中に響いた。
玉藻の声だ。
マズい!
逃げなければ――――。
瞬間。
どっ。
どっ。
右の脇腹に衝撃が、二度。
衝撃に負けてよろめいたのを無意識に踏ん張る。
身体が自由を取り戻している。
脇腹を見下ろす。
黒い円錐状の異物が二つ、縦に並んで貫いている。
振り返る。
それは、後ろに伸びた己の影だった。
「……っくそ狐が……!」
罵倒するも、異物が影に戻れば利天は力無く座り込む。
玉藻からの声を聞き、狂喜乱舞する白銅の声がやかましく、苛立たしい。
どしゃ。
前のめりに倒れる。
駄目だ。
倒れるな。
「くっ……」
幽谷の身体で、無防備を曝すな……!
しかし。
繋ぎ止めようとする利天を嘲笑うように。
意識は急速に闇に呑まれていく――――。
白銅の笑声だけが、いやに間近に聞こえて不快だった。
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