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「……敵の様子はどう?」


 関羽は、強い風に弄(もてあそ)ばれる髪を押さえながら、舳先にて曹操軍を注意深く一望する張飛に問いかけた。


「さすが曹操ってとこだな。大軍で、一気に来るつもりみたいだぜ」

「だが、大軍だけに動きは遅い。そこに付け入る隙があるな」

「こっちの船は小さいけど、そのぶん速いからな。そう簡単には捕まらないさ」


 関羽は頷き、張飛の向こう、対岸に広大な陣を張る大船団を睥睨(へいげい)した。


「わたしたちの目的は、曹操一人よ。曹操の船を見つけ出し、乗り込むわ」


 そこで、決着をつける。
 関羽は自身に言い聞かせるように強く言った。
 劉備の側に控える諸葛亮を振り返って、


「諸葛亮。劉備を、お願いね」

「わかっている」


 諸葛亮が頷く。

 その隣で、劉備は悲しげな、置いてけぼりにされた子供のような顔で関羽を見つめている。


「劉備、行ってくるわ」

「どうか、気をつけて。君にもしものことがあったら、僕は……」

「ありがとう。必ず帰ってくるわ」


 諸葛亮は劉備を一瞥し、声を低くして猫族に忠告する。


「先程も話したように、今回の戦は人間だけのものではない。強大な邪の者が接近した時は、状況に応じては応戦を許可するが、少しでも危険と思えば速やかに戦闘を中止し一旦退がれ。すぐに狐狸一族が対応するだろう。皆、絶対にそれを忘れるな」


 皆、大きく頷いた。


「それじゃ、行きましょうみんな。曹操との……決戦よ!」


 そして同時に、強大な力を持つ九尾の姉妹が悲しくも雌雄を決する――――互いを殺し合う為に熟した機運でもある。
 一斉に威勢の良い応えを返した猫族を見渡し偃月刀を強く握り締めた関羽は、ふと船尾に待機している筈の幽谷のフリを続行している利天を振り返った。
 利天は匕首ではなく抜き身の双剣を手に船尾から曹操の大船団をずっと見つめている。
 彼は基本的にどんな武器でも達人級に扱えるが、中でも双剣が最も得意であるらしい。武器を選ばないのは幽谷も同じだが、彼女と利天が一騎打ちすれば利天の圧勝だと、恒浪牙は断じた。

 利天は自身を把握している者以外との接触は極力避けている。幽谷のフリをしながらも、自身の本気を尽くすからなのだろう。尚香の仇を討つ為に戦に参加すると明言した手前、玉藻が現れるまでは猫族と共に曹操を狙う。なるべく幽谷の異変を周りに悟らせないよう、彼は他人と距離を取っていた。

 特に、趙雲や張飛を警戒しているように見受けられた。
 こっそり訳を訊ねると、二人はまだ微かだが違和感を感じているという。
 こんなに幽谷そっくりなのに、と驚いた関羽へ、利天は、お前は自分が完全に男のフリを出来ると思うかと問うた。
 納得した。
 確かに異性のフリを完全にするのは無理があるかもしれない。

 利天は関羽と目が合うと、幽谷がするように会釈した。

 自身も幽谷にするつもりで頷きかけた。



 さあ、開戦である。



‡‡‡




 水上船に長けた呉の水軍と、荊州兵を吸収しつつも水軍を鍛錬する将を失った曹操の大軍。
 素早く小回りを利かせた精巧な攻めに、曹操軍は開戦時から翻弄された。

 更に、ここへ水上を駆け、跳躍して陣形を組む兵士の中へ飛び込む狐狸一族の奇襲。

 素早い動きで惑わせたとて、強引に攻められれば呉軍は圧し負ける。その隙を狐狸一族の変則的、超人的な動きが援護する。

 だが、呉の兵士は人間。体力に限界はある。
 兵士の疲弊が致命的になる前に、猫族と幽谷が迅速に曹操を討たねばならぬ。

 周瑜も諸葛亮も、この戦を少しでも速く終わらせたいというのが本音である。
 白銅、玉藻が出現する前に猫族と兵士を戦場から撤退させておきたい。彼らの安全は勿論、甘寧が人間に注意を必要を無くし、狐狸一族が母親の援護へ少しでも力を注げるように。

 その意思を、猫族は船に乗り込んだ直後に諸葛亮から聞いている。
 故に、彼らは以前にも増して覚悟も堅く士気も高い。


「うおおおりゃあああああっっっっ!!」


 張飛が裂帛(れっぱく)の気合いを拳に乗せ、敵兵を殴打する。

 同時に、軽やかに敵の一閃を避けた関定が肉薄、腹を蹴りつけ船縁にぶつかったところを柄で咽を強く突いた。

 兵士は吹っ飛ばされ、押し出され、長江へと落水する。
 持ち前の機動力を存分に発揮する為軽装の猫族と違い、鎧で全身を固めた兵士は自重によって溺れ、沈んでいく。


「へへっ、やったぜ。水上の戦いってのは楽だねー。なんせ相手を落としゃいーんだからよっ!」


 得意げに溺れる兵士を見下ろす関定。
 無防備な背中へ新たな兵士が襲いかかる。

 殺気のこもった怒声に振り返りながら、反射的に関定は得物を盾にする。

 その兵士を横合いから関羽が頸部(けいぶ)を斬りつけ、腕を蹴り上げて剣を落とす。
 咽を押さえて倒れた兵士の頭の横に、落とされた剣が突き刺さった。

 胸を撫で下ろす関定へ関羽は厳しい言葉をかけた。


「油断しないで、関定。落ちたら終わりなのは、こっちも同じなんだから」

「ははっ、違いない。ありがとよ、関羽!」


 関定は片手を挙げて駆け出す。

 それから寸陰も置かず、


「関羽! 気をつけろ! 左から敵船が来るぞ!」


 見れば、敵の船が速度を落とさず真っ直ぐ突っ込んできている。


「……ぶつかって押しつぶすつもりね。わたしが――――」


 飛び移るわ!
 言おうとした関羽の横を、鋭い風が通り抜けた。

 船縁をだんっと踏みつけ高く跳躍したそれは――――幽谷。いや、利天。


「ちょっ、幽谷!! 一人で突っ込んだら危ねーって!!」


 張飛が慌てて追いかけてくる。
 趙雲も血相を変えて船縁に寄った。

 着地した幽谷は軍団長を的確に見つけ出し一瞬で討ち取ってしまう。
 横から襲いかかる兵士の鼻っ柱に強烈な肘打ちを叩き込み、よろめいたところを咽を掴んでぐるりと身体を反転し、別方向から突き出された剣を掴んだ兵士の胸で受け止めた。

 動揺した隙に背後に回り込み、頸動脈を深く断つ。

 彼一人でも十分殲滅出来る――――そう思うが、張飛達にとって利天は幽谷。尚香の仇討ちに執心する幽谷なのだ。
 今はまだ、戦い方が彼女らしくないのはその所為だと思われているようだが……。


「わたしが援護するわ!」


 関羽も利天を追いかけて、張飛が制止するのも聞かずに迫り来る敵船へ飛び移った。

 曹操軍の兵士の間では幽谷と尚香の死については全てにまで浸透していないらしい。
 これまでに幽谷の存在に驚く者もいれば、何一つ不思議がらずに襲いかかってくる者も混ざっている。
 それが、この大軍のちぐはぐな不安定さを表しているようだった。
 この船には、尚香と幽谷の死を知る兵士はいないらしい。

 利天が関羽の姿を視界に入れ、動きを止めた。
 関羽は滑り込むように彼の背後に背中合わせに立つ。


「他の猫族が一緒にいるよりは戦いやすいでしょう?」

「お前が俺の動きに合わせられるのならな。それとその服装をどうにかしろ露出狂。見苦しい」

「ろ、露出狂……っ!?」


 ぼそっと甚(はなは)だ心外な暴言をもらい、関羽は顔をひきつらせた。

 そんな関羽を軽蔑した顔で振り返り、利天は関羽の前方へ匕首を投擲(とうてき)した。


「ぐあああぁぁぁぁっ!!」

「あ……っ!」


 利天の匕首は物陰に潜んでいた弓兵の額を貫いていた。


「俺の援護に甘えるなよ淫乱」

「いん……っ誰が頼るもんですか!!」


 関羽が声を荒げて怒鳴るのへ、


「おい。幽谷じゃないとバレたらどうする。馬鹿かお前は」


 至極迷惑そうに言う。


「〜〜〜っ!!」


 来るんじゃなかった!
 関羽は歯噛みし、駆け出した利天の背を睨めつけた。



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