18
それで良いのか?
利天は己が居候する身体の内側に向けて静かに問いかけた。
二つの気配が身動ぎしたように感じ、それからややあって、
『構いません』
片方の気配が、抑揚の無い……いや、感情を圧し殺した声で返す。
遅れてもう一つの気配も彼女が構わないと思うのであれば自分には何も言うことは無いと、少しだけ彼女を案じるような頼りない声音で返してきた。
ならば、俺も何も言うまい。
猫族の長が哀れではあるが、これも彼女が彼を思ってのこと。猫族と何ら関わりの無い利天が、不躾に口を挟んで良いことではない。
利天は目を開けた。
「言っておくが、中で話し合ってたってのは本当だからな」
利天は幽谷に冷たく拒絶され茫然自失状態の劉備に一瞬憐れみを向けるも、すぐに視線を落とした。
孫権が彼へ問う。
「……幽谷は、眠っていたのでは?」
「ついさっきまでな。ただ、目覚めはしたが、まだ表には出ない方が良いかもしれねえ。特に、あんたらの知ってる方の幽谷が」
先程の幽谷が出ていた時に感じたことを言えば、孫権は眉間に皺を寄せた。
「それならば、話し合うなどどうやって……」
「元々、砂嵐によって四霊の器として作られた幽谷の身体は複数の人格を内包しても十分耐えられる。李典の時よりも、楽に他の人格と意思疎通が図れた。俺とだけじゃなく、新旧の幽谷同士でもな。途中からは、俺を通してここでの会話は全て二人には筒抜けだし、話に追い付かせる為に眠っている間の俺の記憶を共有させてる。その上でどちらも甘寧の意思にこの命を捧げることを決めたんだ。俺が言わせたの何だのでっち上げられる前に言っとくぜ」
それに、そう決めつけることで侮辱されるのは自分ではなく、二人で結論を出した幽谷双方である。
二人なりに考えた結果であることを強調し、利天は甘寧を呼んだ。
「あんたも、相応の覚悟は出来てるんだろ」
甘寧は目を伏せ、口角をつり上げる。
「母親代わりの実姉へ仇為す不孝以上に覚悟のいる大罪は無いし、これ以上に重い荷物も頑丈な枷も無い。今更何を背負おうが逃げられる身分じゃないってのは、あの人の呪いをこの受けた時からよぅく分かっているつもりさ」
だから、逃げはしない。
その命を捨ててでも、一度は死んだ幽谷を犠牲にしてでも、白銅と玉藻を殺す。
一貫して譲らない弱った九尾の狐をじっと見据え、利天は舌を打った。
気に喰わない。
玉藻が、よしや全人類結束しようと敵わない程おどろしき存在であることは利天も十分分かっている。
脅威が玉藻だけというのなら、ここまで嫌悪は抱かなかっただろう。
利天が気に喰わないのは、そんな状態でありながら白銅のことすら一人で解決するつもりでいること。
姪や、白銅より格上の金眼をも手こずらせた恒浪牙――――華佗、自身の息子達すら頼らないのだ。
今の彼女が彼らに頼むことと言えば、恐らくは白銅と玉藻が現れた時の呉軍や曹操軍の救援、劉備の護衛くらいか。
白銅を殺せたとして、玉藻と互角に渡り合えるか?
答えは否だ。現状でも無理だとは明らかであると言うに、余計に消耗してどうして昔のように戦えよう。
人間にどうにか出来そうな問題は押し付けてしまえば良い。
劉備だって、金眼を呼び起こされてしまえば厄介だが、徹底して白銅との接触を避ければ良いだけの話だ。その方法は幾らでもある。
だのにあの劉軍の子孫も、今じゃもうあくまで己が守りきるべき存在の一つと思ってやがる。
二人の姉と違い九尾一族の末弟は、人間の強さを認めていた。人間をただか弱きものと断定しはしなかった。
ややもすると、人間という生き物は非力なようで、自分達よりもずっと強い存在なのかもしれないと言っていた。
人間の強さを心強いと思っていてくれていた彼が心から尊敬していた甘寧だからこそ、これが最善だと言って独りよがりな自己犠牲に走るのが苛立たしい。
俺も独りよがりで、華佗の大切なものを壊してしまった。
俺が何もかも背負い込んで守り抜ける程、あの宝は小さくも強くもなかった。
俺は才能はあっても弱かったのに、勘違いをした。
本当は華佗という相棒がいなければ俺は強くなれなかったのに。
振るう人間のいない刃は、役には立たない。
俺はそんな存在だと昔から分かっていた筈なのに、忘れていた。
その結果、大切な宝を喪(うしな)い、俺をずっと案じていた兄も人生そのものを喪った。
甘寧も、そうなる。
独善で大勢を苦しめる結果になる。
誰も助からない。
自分達のように蹂躙され滅びていくのみだ。
「覚悟は立派だが、そのざまで何から何まで全部解決出来る訳がねえだろ。どうせ娘を切り札にするなら息子共も犠牲にすりゃあ良い。持ってる駒を全て使って非道を極めて終われよ」
「それは無理だ」
即答である。
「おい」
「それだけは出来ない。蒋欽達には、これから何百年先も生きていてもらわねえと」
「その理由は」
「それを、お前が知る必要は無い」
利天は蒋欽へ視線をやる。
巨体の長男は沈痛な面持ちで母を見下ろしている。利天の視線を避けているようにも見えた。
甘寧は苛立ちを隠さぬ利天に溜息をつき、
「……《家》まで、オレと一緒に消したくねえんだよ」
利天にとってはとても言い返せない言い訳をした。
「家……」繰り返し、悔しげに舌を打った。
「わざとか」
「本心だ。自分がこの世で一番家族思いだと思うなよ」
「……クソ狐が」
悪口垂れる利天に苦笑混じりに肩をすくめた甘寧。
次の瞬間うっと呻いて前のめりになった。
関羽が咄嗟に支えようと伸ばした腕に、ぼたっと大量の液体がかかる。
血だ。
関羽はひきつった悲鳴を上げ甘寧の小さな身体を前のめりの状態のまま支えた。
そこから力無く落ちる腕。
ぴくりとも動かない。
「こ、恒浪牙さん!!」
「淡華! こいつを向こうの幕舎へ運ぶ! 先に行って準備してろ!!」
「は、はい!!」
青ざめて天幕を飛び出す砂嵐を本名で呼んだことにも気付いていない様子の華佗が、甘寧の脈や眼球などを素早く確認し、小さな身体を担ぎ上げた。
その際、
「この状態で白銅に勝てると思ってんのかこのクソ狐は……!!」
心底苛立たしげに吐き捨てた。
玉藻ではなく白銅にすら勝てないと、誰の耳にも聞こえるように、吐き捨てた。
「関羽! 手伝え!! 周泰! 赫蘭も多分必要になるから来い!!」
「あっ、は、はいっ!!」
関羽も血に染まった袖を振り乱して華佗の後を追いかけ天幕を飛び出す。
顔色の悪い周泰はふらつく素振りを見せたが何事も無かったように孫権に拱手して天幕を出ていった。
利天は彼らを見送り、中で騒ぐ新旧の幽谷に華佗に任せておけば良いと宥めてやった。
すると、二人共すぐに大人しくなる。どちらも彼の腕には信頼を寄せているようだ。
利天は出入り口から目を離し、血の臭いが充満する緊迫した空間を見渡した。
今の甘寧の姿を見て怒りをぶつけられないのと、彼女を案じて彼女の言う通り任せきりにしたくないのと、未だ拒絶された衝撃を消化しきれず展開にも頭がついて行っていないのと……何考えてるか分からない奴ら。
何考えてるか分からない奴ら――――つまりは蒋欽と諸葛亮なのだが、蒋欽が何処まで甘寧の胸中を把握しているのか気になるところではある。
が、甘寧がああでは彼も決して口を割らないだろう。
分かっていながらも、利天は彼を揺さぶる。
「なあ、蒋欽。本当に甘寧の意思に従うつもりか? 華佗はさっきぽろっと吐き捨てていったぜ? 白銅にも勝てない状態だってな」
「……」
「それが事実なんだろ」
蒋欽は、黙りだ。
彼に詰め寄ろうとした周瑜を孫権が止める。
ややあって、
「儂らには、お袋に家を貰い、息子にしてもらった恩がある。お袋が死ぬまで、儂らはお袋に恩返しをし続けると決めておるのだ。その儂らがお袋の意思に背く訳にはいかぬ」
声色低く、拒んだ。
それは、利天に懇願しているようにも見えた。
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