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 つかの間、沈黙がその場の空気を冷やした。


「……いけ、にえ……?」


 拙い声が、いやに響いた。
 男のものだったのか女のものだったのか――――実際には周瑜の声だったのだが、今の彼らには判別すら出来ていなかった。
 一部を除き、皆思わぬ衝撃に思考が停止してしまっていた。

 いち早く冷静に戻ったのは、恒浪牙である。彼もこのことは聞かされていなかった。
 顔を真っ赤にして甘寧ではなく、利天に詰め寄る。
 丁寧な言葉ではなく、乱暴な言葉で嘗(かつ)ての親友を責め立てた。


「幽谷が生け贄だぁ!? ふざけんな、こいつがそんなことするような奴じゃねえことくらい、あいつで分かってるだろう!?」


 胸座を掴もうとして、幽谷の身体だと寸前に思い出したのか舌を打って手を引き戻した。

 利天は恒浪牙を睨み、


「だから、それだけの奴が外道に堕ちる覚悟をする程切羽詰まってるってことだろうが。俺に言われなくてもてめぇなら気付いてんだろ。じゃなきゃ俺がこうして意識をはっきり保てている訳がねえ。どういう風に創られたか分からなけりゃ、調整が出来る訳がねえ」


 彼の声音は諭すようだった。

 恒浪牙は歯を食い縛り、深呼吸をして何とか自分の感情を落ち着せた。


「……詳しく話せ」


 それは、甘寧への言葉なのか、利天への言葉なのか。
 ……いや、どちらもか。

 甘寧は口を開かない。
 それが周りには、利天の言葉を肯定しているようにも見えた。

 甘寧の反応に、ようやっと金縛りが解け始めた周瑜が青ざめて詰問した。


「生け贄ってどういうことだよ!? アンタ、自分に可愛い娘が二人も出来たって言ってたよな!!」


 あれは嘘だったのか、封統も捨て駒にするつもりだったのかと、恒浪牙以上に甘寧を責め立てる。

 甘寧は周瑜を無表情に見つめ、何も言わず口角をつり上げて見せた。
 それが彼女がわざと作って見せたのだと周瑜なら分かることだっただろうが、突然の利天の暴露で頭に血が上り、平静さを欠いた状態では無理な話だろう。

 拳を振り上げたのを蒋欽が掴んで止めると、矛先は蒋欽へ。
 振り払おうとするも、周瑜が蒋欽に力で敵う筈もなく。


「アンタも知ってて黙っていたのか! 黙ってあいつらを妹だと抜かして接していたのか!?」

「知っていた。だがな、」

「幽谷の身体は俺の期待以上に良く出来てる」


 蒋欽の言葉を遮って利天が早口に語り出す。

 甘寧が止めようと身を乗り出すが、ここで我に返った関羽に止められてしまう。


「俺の人格がすんなり侵入出来てすぐに馴染んだこともそうだし、身体が馴染んでも安定するどころがますます不安定になって徐々に指すら動かせなくなっちまったこともだ。意識が白濁としてまともに考え事も出来なくなっていく。極めつけに、俺は幽谷の身体から抜け出せなくなっちまった。こいつの他の器を貸してもらうつもりでいたが、幽谷に負担をかけねえように身体から抜けられるか試してみたらあんなにすんなり入れた筈が、全く出られねえ。どうやってもだ」


 恒浪牙を見、利天は何かを促している。
 彼は気まずげに顔を逸らした。


「華佗」

「……」


 長々と溜息をつき、


「……恐らくは、」

「婿」


 声に険を滲ませた甘寧の肩に手を置き、蒋欽は諭した。


「お袋。ここで止めても、どうせ後から利天が話してしまうぞ。恒浪牙も、幽谷の身体については、もう感づいている。あれは言うならばお袋の一番弟子だ」


 実際、恒浪牙は甘寧の術をもとに己の器を創り、恒浪牙の術をもとに砂嵐が四霊の器を創った。
 恒浪牙が甘寧のやり方を熟知するに至る程熱心に学んでいたからこそ、甘寧が創った幽谷の身体を何度も診察している恒浪牙が感づいていない筈がないのだ。

 表に出さないだけで甘寧を実母のように、義父を実の父のように慕っている彼自身が、それが暗に示す現実に、頑なに気付かないフリをしていただけで。

 利天も、それを分かっていて、促しているのであった。

 甘寧は暫し沈黙し、勝手にやれと力無く片手を振った。

 恒浪牙が口を開きかけるのを利天が遮った。


「幽谷の身体は、《檻》なんだろ? 玉藻をこの身体に封じ込める為の檻」

「……」


 甘寧は無言だ。

 利天は構わず言葉を続ける。


「安定して改めて器の内情を探ってみれば驚くことばかりだった。幽谷の身体には甘寧と玉藻の魂の欠片が盛り込まれてるわ、邪気の侵入を察知して発動する呪いがかけられてるわ、一旦入ったモノが二度と外に出られないようになってるわ……しかもよくよく見てみれば、幽谷の顔つきも玉藻の面影があるじゃねえか。甘寧の娘なのだから、玉藻に似てても自然なことだと思ってはいたが……」

「待ってくれ。それはどういうことだ」


 孫権が甘寧と利天を交互に見、眉間に皺を刻んだ。


「それでは、まるで……」


 甘寧と玉藻が身内であるかのような物言いである。

 これに、甘寧が深々と片手を挙げた。


「それくらいは、オレの口から言うべきだろう」


 恨みがましく利天を睨む。


「お前をこの場に参加させるんじゃなかった。まさか、お前が幽谷の中に入っちまうなんて思わなかったよ」

「何でもかんでも自分の思い通りに進むと思うな。お前は、身を以て知ってる筈だ」


 片手で顔を覆い、深呼吸を繰り返す甘寧の背中を、関羽がおずおずと言った体でさする。
 気分が悪い訳ではないからとやんわりと断って、徐(おもむろ)に顔を上げた。


「……玉藻はオレの実の姉だ」


 しん、と再び静まり返る。

 彼らの言葉を待たず、


「利天の話していた通り、幽谷は切り札として、オレがまだ弱っていないうちにと創った玉藻専用の檻だ。その身体に玉藻を封じ込め、呪いで身動き取れない間に、とある場所に連れて行くつもりだった。オレが必要だったのは、複数の人格を内包しても耐えられる器の情報を持った幽谷の自我だけで、封統は、たまたま幽谷を拾う際に見つけたから一緒に蘇らせただけだ。あいつも捨て駒に、なんて考えは無ぇよ」


 彼女は、自分だけではどうにもならない時に備えて幽谷を創った。
 使わずに済むのであればそれで良かった切り札だ。
 家族を何よりも、己の命よりも大切に思う彼女の、己すら裏切って外道の手段を選ぶ程、今の甘寧には余裕も力も無い。

 三百年前の状態を維持出来ていたなら、そんなことをする必要など無かった。

 実の姉と刺し違える覚悟、外道に堕ちる覚悟、実子のように愛した者達から軽蔑される覚悟、仙界から絶縁される覚悟――――あと、どれだけの覚悟を持ってここにいるのか。
 それは、蒋欽にも分からないことだった。


「納得したか? これがオレがお前達の手を借りない理由だよ。身内の罪には身内が裁きを下す。部外者が、これ以上オレのすることに口も手も――――」

「ふざけるな!!」


 突如、劉備が怒鳴った。
 立ち上がり、憎らしげに甘寧を睨めつける。

 金の双眼からただならぬモノを感じ、詰め寄ってくる劉備の前に蒋欽と関羽が立ちはだかった。


「劉備! 落ち着いて――――」

「幽谷はお前に利用される為に死んだんじゃない!!」


 激昂して怒声を浴びせる劉備を落ち着かせようと関羽が抱きつくように必死に後ろへ退がらせる。

 が、次に飛び出した言葉で関羽は固まることになる。


「幽谷は僕と関羽の為に死んだんだ!!」



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