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 劉備に連れられて最後に幕舎に入った諸葛亮は、あらかじめ劉備から話を聞いていたらしく、この場に幽谷の姿があっても、その態度が普段の彼女とはまるで違っていても、その心中はどうあれ動揺を全く見せなかった。

 ただ、関羽に支えられて茶を飲む甘寧の顔色には、柳眉を顰(ひそ)めた。

 劉備もどう見ても重病人としか思えぬ彼女の様子に驚き、戸惑っている。

 これには、蒋欽も軽く驚いた。
 今の劉備は、金眼の影響を大きく受けている。
 その状態の彼にとっては、甘寧は不愉快極まる存在だと思うのだが。
 劉備が恒浪牙を呼びに来てから、少しばかり感じが変わって見えるのと、理由は同じであろうか。

 蒋欽と目があった劉備が、こちらへ歩み寄ってくる。
 問おうとするのを手で制し、


「ひとまず二人共、座られよ」


 蒋欽に促され、劉備は口を噤(つぐ)む。
 言う通りに諸葛亮と共に座るのも、側で甘寧の世話をする関羽に何も言わないのも、意外だった。

 蒋欽は甘寧の背後に立ち、関羽に劉備達の側に戻るように言った。
 関羽は何かあった時に側にいた方がすぐに対処出来るからとやんわりと断った。


「そうか。では、お袋を頼む」

「はい」


 甘寧に長く話をさせるのは無理。
 ならば、と蒋欽は恒浪牙に目配せした。

 と、


「……まずは、そこの幽谷の身体を借りている利天のことを話しておこうか」


 甘寧が、口を開いた。
 声は弱々しく、小さい。
 そのことに気付いた甘寧は自嘲に笑み、恒浪牙を呼んだ。

 冷静になった恒浪牙が、甘寧に深々と頭を下げ、「まずは」幽谷の身体を借りた利天を横目に一瞥する。

 まず、利天が幽谷の身体に入っていること、幽谷の意識は眠っているだけで消滅していないことを伝えた。


「私は人間だった頃、とある賊の頭をしていたんですがね、利天はそれよりも前からの親友でした。死した後彼の魄(はく)は永く龍脈をさまよい、『さる方』により李典という曹操軍の若い武将の身体に無理矢理に入れられました。その目的は、『さる方』が李典殿の身体に入り込む為に身体の容量を増やし、かつ普通の人間として生まれた李典殿の身体が龍脈に馴染んだ異物に拒絶反応を起こさぬよう時間をかけて慣らす為」

「その『さる方』が曹操軍の李典の身体に侵入を果たした故に、利天殿が追い出されたということですか?」


 諸葛亮の言葉を否定したのは、利天である。


「いや、夏侯惇に出会う前にすでに侵入はされていた。侵入出来ただけじゃ、不十分だ。李典の身体を自分の物として作り替え、力を自在に操れるように……完全に覚醒するには長い時間が必要だった。完全に覚醒するまでは、身体の維持の為に李典も俺も身体から追い出すことは出来なかったらしい」

「一旦利天の話はここで区切り、『さる方』が何者なのかご説明します」


 『さる方』は、元は《こちら側》の方でした。
 そこで、恒浪牙は蒋欽に視線をやった。
 視線を受けた蒋欽はそのまま甘寧を見下ろす。

 ややあって、甘寧は恒浪牙を見やり、頷く。
 口裏通りに話して良いのか確認したのだろう。


「玉藻という名前でして、天帝御自らお育てになった彼女は、いつしか人間という種族に興味を持つようになりました。下界に降り、人間を観察しているうちに一人の男性と恋をしましたが、人間の寿命は短い。男性が亡くなった悲嘆から天帝のお側に戻りました。ですが、やはり人間への愛情は消えること無く、立ち直るとまた下界へと降り、今度は数百年の間、儚い人の一生を愛でながら、様々な男性と恋に落ちてはその死を側で看取り、産んだ子と彼女を慕う仙人や人、更に親を亡くした子供達を集めて一つの集落を作って心の拠り所としていました」


 恒浪牙は甘寧の様子を窺いながら話をする。
 彼にとっても甘寧の弱りようには予想外で、戸惑いと心配が混じり合った感情が表情にありありと浮かんでいる。少しでも彼女の体調が思わしくなければすぐに話を中断し、診察に入るだろう。

 関羽は勿論、孫権や、あの劉備すらも案じるような目を甘寧に向けている。
 話を中断して甘寧を優先したとしても、誰も咎めない。


「ある時、ある土地に大きな災厄が降りかかり、玉藻様はその身に穢れを受け止め、元凶をその身に封じることで災厄を収めました。以降も何事もなく人の世で生活をされていましたが、当時愛していた男が浮気したことがきっかけとなり、封じたモノに自我を喰われ妖へと堕ちてしまいました。自我が完全に消え失せる寸前、彼女は自ら龍脈に己を封じ込めたそうです」


 甘寧が片手を挙げて続きを語る。


「……その後、あの人は金眼らを率い、憎悪と破壊衝動のままに人の世を蹂躙し始めた。あの人には、オレがあたった。だが、オレでも力不足でぎりぎり封印するのが限界でな。その封印も永遠のものではなかった」

「邪に堕ちてなお、あなたにすら『あの人』と言わしめる存在なのですね」


 諸葛亮の言葉に、甘寧は苦々しく笑ったつもりで、いびつに口を歪めた。


「オレも、あの人には永らく世話になってたんだよ。邪に染まったあの人を殺すのも、天帝の次にあの人に近いオレの役目だと思って、弟も婿も、劉軍に協力させた。狐狸一族の守りも怠った為に終わった時には大きな被害が出ていた」


 それで、オレはぎりぎり限りのある封印しか出来なかったのだから、情けない限りだ。
 自嘲し肩をすくめる甘寧。
 軽く咳き込み、小さく笑い声を漏らした。


「オレは、封印する際あの人から呪いを受けた」


 あの人が率いた妖の邪なる気に触れるだけで身体が衰弱していく呪いだ。
 恒浪牙と砂嵐が腰を浮かす。孫権の側に控える周泰も、ただでさえ不調で青白い顔なのを、更に色を悪くする。


「伯母上。私は聞いておりませんが」

「ああ。今まで蒋欽以外には、天帝にも言っていない。……ま、何人かにバレているかも分からんが」


 また、咳き込む。
 関羽が丸まった背中をさする。

 劉備はその様子を見つめ、半ば茫然として、


「……それって、僕と接触していた時点ですで衰弱が始まってたってことじゃないか」


 関羽の手が止まる。
 はっと息を呑み、甘寧を見下ろした。


「まさか、そうなると分かってて、わたし達のところへ来たんですかっ?」

「……そうだな。だが、玉藻復活によって一気に呪いが進行したのだから、どちらにしろ結果は同じだった。安心しろ、これでもちゃんと力は温存してる。戦えるぜ。それで――――」

「ちょっと待て」


 甘寧が話を進めようと利天に視線をやったのを、周瑜が責めるように声を荒げて止めた。


「アンタ、他にもいるって言ってたよな? まさかその様でそいつともやり合うつもりなのか」

「それ、どういうこと?」


 劉備が目を細め、問う。

 周瑜は苛立たしげに早口に金眼、玉藻以外にもう一体、脅威が懸念される所在不明の妖がいるのだと明かした。


「所在は玉藻復活と同時に分かってる。そいつのことも、オレに任せてくれれば良い。お前達はこのまま、尚香の仇を討て。オレ達狐狸一族は、一部の息子達を呉に託し、戦に人ならざる者が介入しないよう手を尽くす」


 甘寧は、尚香と白銅の関係に触れず、孫権達に言う。

 孫権は甘寧を見、戸惑いが濃く浮かんだ顔で、


「……その身体では、人と戦うのさえ難しいのではないか?」

「オレは大丈夫だ。お前は、お前がやるべきことをしろ。オレの体調ではなく、尚香の死と尚香を死に追いやった曹操に目を向けろ」


 蒋欽は、小さく吐息を漏らした。

 本当なら、この陰の気を更に更に高める戦など止めさせた方が良い。
 だが、止めれば戦を起こしたがっている白銅がまたどう動くか分からないし、もはや開戦は間近。

 加えて、呉軍はすでに尚香の仇討ちをこの戦の大義名分として立て、士気を大いに高めている。それを今更人ならざる脅威の為に収めろと言われて、どうして従えよう。
 それによって、まだ呉の君主として足下が不安定な孫権の立場を脅かすことは出来ぬ。

 不利な状況で二体も相手にせねばならないと分かっていながら、甘寧は一人で相対すると決して譲らない。
 儂ら息子の手も借りずに。
 玉藻のことは己の罪だから、息子達に背負わせまいとする。孫権達や劉備達を巻き込まぬようにしている。
 彼女自身刺し違えることすら難しいと分かっていながら、それでも……。

 未だ食い下がろうとする孫権や、渋面を作る諸葛亮らを無視し、「話を戻そう」利天に視線をやった。


「利天。お前が幽谷に入り、ここに来るまでの経緯、覚えてるか?」

「……ああ」


 利天は舌打ちし、甘寧を責めるように強く睨めつけた。

 これも、甘寧は無視である。



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