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幽谷は腰を低く沈めて、暴徒を見回した。
愚かな人間達だと、淡泊に思う。
猫族は金眼を倒した英雄の子孫。
古の功績を知らず、三百年間虚偽を信じ続けた果てに、煽られた程度でこのように馬鹿なことをする。
彼らが真実を知った時どうなるのか、少しだけ興味を持ったけれども、兄に余計な行動を禁止されているのですぐに止めた。
「ふーり? 何だ、それは……」
「見ろ! こいつにも獣の耳があるぞ! 化け物だ! こいつも、きっと、十三支の仲間だ!」
「殺せ! その男共々殺してしまえ!」
呆れを通り越して、その思い込みと曲解にいっそ感服する。
今度は、幽谷に襲いかかった。
彼らを殺してしまわないよう体術で迎撃しようとした幽谷は、しかし突如脇から飛び込んできた新たな影に動きを止めた。
「うわあああああああ!!」
「ぐわぁ!!」
幽谷に襲いかかった暴徒が殴り飛ばされ地面に転がった。
少しばかり戸惑って暴徒を見下ろしていると、
「おっちゃん! 無事かっ!?」
猫族の少年だ。
張飛、と世平がこぼす。
彼は世平の身体を見るなり仰天してた。
「お、おっちゃん! どうしたんだよ、その怪我!? すげー、血ぃ出てんじゃねーかよ! 待ってろよ! すぐにみんなのとこに連れてってやるから!」
「なんだ、このガキ! やっちまえ!!!」
懲りずに襲いかかる暴徒を、幽谷が即座に投げ飛ばす。
張飛は驚いて幽谷を見やった。
「え? わ、悪い。いや、え? つか……誰?」
「幽谷と申します」
頭を下げると、張飛は困惑したように首を傾ける。
それに、幽谷が急かすように世平を見やれば、はっとして暴徒に向かい合った。
脅す為に殺さない程度に丈夫そうな暴徒を選んで殴りつけると、暴徒は色を失い散り散りに逃げていく。もっと早い段階でそうしていれば良かっただろうに。
「……た…助かったぜ……張飛…。それに、幽谷っつったけか……あんたも、ありがとな」
「おっちゃん! いいからもうしゃべんな! すぐに手当してやっから! だから、もうちょっと頑張れよ!」
「いや、手当てはいい……。それよりも、張飛……肩貸せ……」
張飛は青ざめて躊躇する。
それに、世平は血を吐きながらも声を荒げた。
「早くしろ! すぐにまた人間たちが来る! ……その前に…道を……塞ぐんだ!」
幽谷は周囲の様子を窺い、世平の脇に腰を少しばかり屈めて彼の腕を己の肩に回した。声をかけ、ゆっくりと歩き出す。
「……悪い」
「いえ。猫族の方々と、その意志を守れと、母に言いつかっております故に」
世平が泣きそうな張飛を振り返り、視線で促した。
‡‡‡
襞(ひだ)を成す岩壁に挟まれた狭い道にて、世平は足を止めた。幽谷に言って壁に寄りかかる。
荒い息に肩を大きく上下させながら、
「よし、ここでいい……。張飛、オマエは幽谷と行け……。俺はここで…岩を…爆破する……」
この道を塞げば、通行は不可能。猫族は無事に逃げおおせる筈である。
そう言う世平は最初から所持していたのか、作りの荒い爆弾を懐から取り出す。いつの間に、こんな物を作っていたのだろう。
血で濡れていないことを確かめて、世平は張飛の見下ろした。
しかし、
「そんなのダメだ! おっちゃんも一緒じゃねーと! 姉貴だって、劉備だって、趙雲に蘇双に関定も、おっちゃんが来なかったらみんな悲しむだろ!」
「張飛、わかるだろ……? 俺はもう…………助からねぇ……」
「恐らくは、長くて半刻も満たないかと」
そう言った途端、張飛に睨まれた。理解が出来ずに首を傾けた。
そんな彼を世平は咎めた。
「そいつの……言う通り、だ。それに…これは、近くでやらねぇと意味がねぇんだ……。誰かが…ここに…残らねぇと……」
「そんなのオレがやるよ! 爆破くれーオレがやっから! だから! だから……! おっちゃんも一緒に行くんだ!」
「張飛、聞けぇ!」
世平の怒声に張飛は怯んで口を噤む。
「張飛、オマエはガキの頃から本当にどうしようもねぇヤツだった……。バカで生意気で……むらっ気があって本気が出せねぇ……だがな、俺は知ってるんだ。オマエは本当は誰よりも強い……!」
「おっちゃん……」
「いいか、張飛! 俺の遺志を継げ! 劉備様を、関羽を、みんなを! 俺に代わって、オマエが猫族を守っていけ!」
「代わりって……! そんなこと言わねーでくれよ!」
しがみつこうとした張飛を、幽谷がさっと前に手を差し出して止めた。彼が感情に任せて世平の身体に負担をかけることを危惧した為である。
張飛を見、世平は小さく笑った。
「へへ……、まさか弟子の中で一番出来の悪いオマエが、俺の跡を継ぐとはな……」
「おっちゃん…! やだよ……! おっちゃん……!」
「いいか張飛! 決して後ろを振り向くな! 前だけ見て行け! 絶対に泣くんじゃねぇぞ! オマエは本当に、手のかかる弟子だけどよ、最後くらいは……師匠の言うこときけよ……」
叱咤のような鼓舞。
その後にはまた、吐血。
それでも世平は張飛に行けと怒鳴った。今までよりもキツく、縋るように、懇願するように。
張飛はひゅっと息を吸い込むと、悲鳴にも雄叫びにも取れる大音声を上げながら駆け出した。
ややあって、幽谷も世平に背を向ける。
しかし、走りだそうとはしない。
「張飛、頼んだぞ……。立派な男に…なれ…よ…………」
こいねがう言葉が途切れたかと思うと、世平は幽谷を呼んだ。
肩越しに振り返る。
「何か」
「オマエが何者か……分からなくても……良い。オマエに、頼みが……ある……」
「何でしょうか」
「……頼む。……猫族を……助けてやってくれ……」
「……」
幽谷は片目を細めた。
世平に向き直り、拱手(きょうしゅ)する。
「そのように、母より言いつかっております」
淡々と抑揚に欠けた声音で答えると、世平は安堵したように口角を歪めた。笑ったつもりなのだろうが、ひきつっているだけで笑っているようには見えない。
その場に座り込む世平を無表情に見下ろし、幽谷は身体を反転させて今度こそその場を走り去った。
‡‡‡
それから、暫く。
「……幽谷、か」
世平は突如現れた狐狸一族の娘のかんばせを思い出し、目を細めた。彼女の名を、繰り返し呟く。
「ああ……意識が……朦朧として……るのか……」
幽谷。
どうしてか……俺は、彼女を知っているような気がする。
それもごく最近のことのように思えた。
奇異なことである。
初対面の、筈だのに――――。
『世平様と私の年齢では、親子と言うには少々無理があるのでは?』
――――はて。
それはいつの、誰の言葉だったろうか?
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