「それで、今日は何処から捜しましょうか」


 問いかけてくる張遼に、封統は言葉を返さずに視線だけで後方を示した。

 張遼がおや、と《彼》に話しかけようとしたのを張遼だけに見えるように手を立てて制した。
 彼を警戒しつつ口を開く。


「……そうだな。取り敢えず、前回中断した地点から、身を潜める場所を重点的に捜そう。けど捜索は徐庶とお前の二人でだ」


 張遼は、首を傾げた。


「あなたは、どうなさるのですか」

「僕は、この気配について長に確認して来る。長もあの気配を捉えた筈だ。何か知っているんなら、対処の方法も分かるかも知れない」

「では、今日はお戻りになられないのですか」


 封統は内心でほっとする。

 張遼が誤魔化す為の嘘に乗ってくれるか不安があったが、こちらの意図を今回は珍しく理解してくれたようだ。


「馬鹿、長居すれば呉の人間に見つかる可能性もあるだろ。隠形の術だっていつまでも効くもんじゃない。長との話が終わり次第お前のところに戻る。もし李典達を見つけた場合は何もせずに様子を窺っているだけで良い。下手に刺激して曹操軍に甚大な被害を与えられちゃたまったもんじゃない」

「そうですか。分かりました」

「――――そう言うことだから、賈栩、だっけ? もし僕の不在を不思議がる奴がいたら面倒だからあんたから先に曹操に言っといてよー」


 ぞんざいな口調で、背後の兵糧庫に隠れた人物に話しかける。

 賈栩はすんなりと姿を現した。
 苦笑混じりに両手を挙げて、神妙に封統の前に立つ。


「まさかバレていたとは」

「隠すつもりなかっただろ」


 牽制――――のつもりもなさそうだ。
 曹操以外の人間が封統のことを怪しんでいるのは、封統自身どうでも良いことである。
 賈栩もまたその怪しんでいる人間の枠から漏れない筈なのだが、気配を殺してこちらの本性を暴く気はないのだろうか。

 何処か興味深そうな賈栩を訝しみながら、封統は腕を組み、片足に自重をかけて睨め上げた。


「で、盗み聞きするでもなく何がしたい訳」

「非常識な出来事ばかりが続いているのが、最近面白く感じられるようになってね。ただの好奇心であんたの様子を窺っていただけさ。気を悪くしたなら、申し訳ない」


 全然そう思っている風には思えないけど。
 賈栩は、奇異なる男だった。
 人間としての倫理観どころか、花にすら感嘆する人間の心を持ち合わせているのか、全く分からない。

 そんな彼が『面白い』だとか、『好奇心』だとか言って、果たして信じられるだろうか。
 胡散臭いんだよな、こいつ。


「おや、信じてもらえていないかな」

「信じてもらえると思ってたら終わってると思う」

「確かに」

「納得してんじゃねえよ」


 辛辣に返すと賈栩は、はは、と笑う。


「けどまあ、俺を誤魔化す為の言葉なのだろうけど、呉側にいる狐狸一族の長に会うと言われて、内通を疑わない者はいないとは、分かっているよね」

「内通も何も、僕は狐狸一族が人間や十三支に関わるのが嫌だから曹操軍に勝たせようとしているだけで、味方という訳じゃない。勘違いしないでよ」


 封統は賈栩を見据え、溜息をつく。


「……それに、僕の予想が正しければ、今のうちに集められるだけの情報を集めて出来るだけの対処をしておかないと、大変なことになるかもしれない」

「それは?」

「長に話をして確信を得られないと詳しくは話せないな。下手に話して曹操軍の士気が下がったらどうする? 僕の計画まで台無しにされてしまったら困るよ。この責任取れる?」


「無理だね」賈栩は即答する。ぎろりと睨めば苦笑混じりに肩をすくめた。


「……分かった。曹操様にはあんたの言った通りに伝えよう。どうせ、あんたの言葉なら曹操様は疑おうとしない」

「それもそれで不気味なんだけどね」

「俺もだ」

「さっきから、どうも冗談が好きみたいだけど、付き合う気は無いから」


 けんもほろろに突き放し、張遼に頷きかける。

 張遼は封統に一礼し、足早にその場を離れる封統とは違う方向に歩き出す。

 賈栩の気配は、その場から動かなかった。

 彼の警戒がこちらに向いているのならそれで良い。

 賈栩だけではない。
 曹操軍の誰かの注意が徐庶――――淡華に向かなかれば、彼女も封統の指示した通りに動ける筈。
 呉軍に行くと見せかけて、淡華が機を待っている場所から逆方向に向かう。

 ここで淡華が見つかりでもしたら大騒ぎだ。

 今も何処でかの女狐が見ているか……。


「……まあ、淡華さんを傷つけなかった辺り、まだ淡華さんに対しては微かにでも情が残ってるってことなんだろうね」


 だがそれはつまり、ここで淡華の動きを曹操軍に気取られ騒動になれば、彼女を助けるという名目で現れる可能性があるということだ。

 こちらが動きに注意していれば避けられる惨劇だが、邪に染まった人間の基準など到底理解が出来ない。
 関羽に拘(こだわ)っている分、劉備の方がまだ分かりやすい。

 ここで盛大に殺戮を行うことで甘寧に存在を誇示して誘う可能性だって、あるのだ。

 上手く、あっちに渡ってよ、淡華さん。
 心の中で、封統は願う。



‡‡‡




「もう少しですよ、頑張って下さい」


 淡華は肩を貸し弱り切った身体を支えてやりながら、川面の上を歩いている。
 誰にも見つからぬよう幻術を二重にも三重にもかけ対岸へゆっくりと渡る。

 淡華の助けを借りて苦しげに歩く彼女――――否、彼と言った方が良いのだろうか。
 どちらでもあるその人物は、時折胸を押さえてその場に座り込む。
 その度に淡華は側に膝をついて背中をさすってやるのだ。

 封統の指示通り、曹操軍 の陣から抜けることが出来た。

 だが、進みは思ったよりも遅い。
 仕方がない。
 無理をさせれば負担がかかる。
 負担がかかれば折角安定した状態が乱れてしまう。

 不安定な状態では意識を保てないだろう。
 そうさせない為に、淡華は同行しているのだった。


「焦らないで。ゆっくりで良いのです。対岸に着けば、誰かと接触出来ます。華佗様を呼んでもらえば、きっと新しい器を用意して下さいます」

「……」


 こくり、と頷く。

 淡華は、長い休憩を終わらせて立ち上がろうとするのを支え、再び歩き出した。

 すでに暮れゆく日により世界は朱に染まっている。
 日が暮れる前に、対岸に渡りたいところではある。

 淡華は顔を上げ、近付きつつある対岸の陣を見、唇を引き結んだ。



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