幽谷は兄の言いつけ通りに猫族の長の場所を把握した後、関羽という混血の娘に接触した。彼女が長の保護者的役割にあることから、彼女と長の合流の補助がこの騒動においての幽谷の役目だった。
 その道すがら、妨害するであろう人間は昏倒させておいた。長に至るまで邪魔は入るまい。

 関羽が猜疑を持ちながらも自分に付いてくるのを肩越しに振り返って確認しつつ、長のうずくまる場所に向かう。

 そして、そこまであと僅かと言うところで、長の泣き声が聞こえたのだ。

 それに弾かれるように、関羽が速度を弛めた幽谷を追い越して行く。
 幽谷はその方向を見定め、足を止めた。瞬きを数度した後に、ゆっくりと歩き出す。
 長のところに至れば、殺気立った暴徒達に猫族の長は囲まれ怯えていた。

 暴徒達は殺せ、殺せ、と呪言の如く凶器と貸した言葉を長に浴びせかける。恐怖と憎悪が入り交じった声は男女問わず低く、長を取り巻いた。

 長はそれを拒絶するように、頭を抱えて震える。

 関羽が駆け寄るも、遅い。
 暴徒の中から鬼の形相をした男が鍬を持ち上げて長に襲いかかった。

 関羽が悲鳴を上げる。
 幽谷が外套の下で匕首を手にした、その直後である。


「……!?」


 劉備から、凄まじい力と共に目映い光が放たれた。



‡‡‡




 感じたのは、身の毛もよだつ程の濃密過ぎる邪気だ。その場にいる全ての者達を圧倒し、理性を押し潰す。人々の恐怖は、また増幅する。

 しかし、幽谷は涼しい顔で匕首を収め傍観の姿勢へと戻る。過剰な手助けはするなと、兄に言い含められていた。
 無言で長の、関羽の動向を傍観した。


「――――まったく、よくもコロセコロセと好き勝手に大声でわめいてくれるものだね。お陰で、ゆっくりもできないよ」

「りゅ、劉備……?」

「やあ、関羽。久しぶり。せっかくこうして、君に会えたっていうのに、無粋な連中が多くて、嫌になるね」


 これが、母の言っていた金眼の呪いに侵された姿なのだろう。
 怯えて何も出来なかった彼とは打って変わり、今はまるで狂気と破滅そのものだ。
 凶悪極まる不敵な笑みは炎の光を受け、影がくっきりと落ちてより邪を感じさせる。


「あ、あなたは……! ど、どうして!?」

「さあ? どうしてだろう? 僕にもわからないし、どうでもいいよ。そんなことよりも……」


 長はにっこりと笑って、戦慄する関羽に抱きついた。


「こうして、君をまた抱きしめることが出来る。それが、とっても嬉しいな」

「え……ちょ、ちょっと!」


 戸惑う関羽は長を離そうと必死にもがく。状況が分かっているのかいないのか、或いは意識に留め置く必要も無いのか、彼は嬉しそうに、嗜虐的(しぎゃくてき)に笑いながら関羽の身体に頬ずりする。

 けれども、その場にそぐわぬ空気は長を殺さんとした暴徒の男によって壊される。


「な、何なんだ! さっきまでとは随分感じが違うぞ!? お前は何者なんだ!!」


 長は五月蠅そうに暴徒を振り返った後――――。


「何者って……。それは、お前たちが言うところの」


――――くつりと嗤(わら)った。


「“銀髪の悪魔”ってやつ?」


 嘲る笑みに、暴徒達は恐れ戦いた。本能的な恐怖に表情が強ばり、顔色も悪い。

 そんな彼らに向き直り、長は右手の指をこれ見よがしに動かした。


「まさかと思うけど、人間ごときが徒党を組んだくらいで、この僕を倒せると本気で思ってたの?」


 近付けば暴徒達は後ろに退がる。

 その様に長は哄笑を上げた。


「河北で何万の人間を殺したこの僕を! たったこれだけの力で討つつもりだったなんて! 人間なんて、本当に愚かだね!!」

「劉備! やめて!」


 関羽が悲鳴じみた制止をかける。


「や、やっぱり、こいつは悪魔だ!! こ、殺せ! 殺すんだ!」

「や、やらないと俺たちがやられるぞ! いっせいにやるんだ!! 女もまとめて、殺してやる!」

「ちょっと待って! お願いだから、みんな落ち着いてください!」


 恐怖に囚われた暴徒に関羽の言葉は届かない。
 長に、再び襲いかかった。

 長は愉しげに暴徒の行動を迎え撃とうと右手を少しだけ上げた。

 関羽が悲鳴を上げようとも、時は止まらない。


 それは、玉響であった。


 暴徒と長の間に、影が飛び込んだ。



‡‡‡




「なっ……………………!」


 長は絶句する。
 飛び込んできた猫族の男は、彼らの親しい人物らしい。
 心臓の僅か下を彼の爪に貫かれた壮年の男は、目を剥き血を吐いた。しかし、気丈にも足を踏ん張りそのまま立ち続ける。


「……駄目です…、劉備…さ…ま……」

「ああ……! そんな…そんな……!」


 世平おじさん!!
 関羽が声を裏返す。

 長は、驚愕に金色の双眸を端が裂けんばかりに見開いて世平と呼ばれた男を見上げる。


「……なりません…劉備様。暴徒とはいえ……この者たちは、恐怖に怯える弱き民に、すぎないんです……。それに……人を殺める、たびに……あなたの身に宿る、金眼の呪いが……強くなる……」


 劉備様。血に、呪いに囚われては駄目です。
 息も絶え絶えに、切れ切れに諫める彼は一歩退いて爪を自ら引き抜くと、また吐血してその場に膝を付いた。


「あなたは……俺たち、猫族の……誇り高き……長。お願い……です……。金眼の呪いなんかに……屈しないで下さい……!」

「せ、世平おじさんっ!!」

「世平……ウソ……だ……。こんなの……ウソ……だ……」


 狼狽える長を庇うように、世平は呻いて立ち上がる。


「こ、この十三支! どけぇ! そこの銀髪の悪魔をやっつけるんだ!」

「関羽! 劉備様を連れて行けぇ!!」


 斬りかかった暴徒を押し退け地面に倒し、世平はがなるように言う。


「で、でも! おじさん! すぐに手当しないと!」

「いいから行け! オマエが劉備様を守らねぇでどうする!!」

「でも…! でも……! 血が…、血がいっぱい流れて……」


 世平は目を伏せ、すぐに開いて関羽を見据える。


「関羽、俺は…大丈夫だ。約束したろ…? また、みんなで一緒に、暮らすって……。俺たちは……何よりも劉備様を…守らなきゃならねぇ……。だから、頼む……!」


 世平は、すぐに後を追うと――――分かりやすい嘘をついた。
 関羽を走らせる為に、劉備を守らせてこの場を離れさせる為に。

 関羽は、その言葉を信じる。動揺して頭を抱える長の手を掴んで走り出した。

 幽谷はそれを片目で追いかけ、世平へと戻した。

 暴徒達は当然二人を追おうとする。
 それを世平が阻む構えを見せたので、幽谷もそれに加勢することにした。
 人間を傷つけてはならないと猫族は決めているようで素手で世平に斬りかかった暴徒を背負い投げにした。


「な……っ」

「うわあぁぁ!?」


 世平から離れた場所に投げやって、暴徒達に向き直る。皆、たった今幽谷の存在に気が付いた風だった。まあ、今までずっと傍観していたのだ、当たり前だ。


「オ、オマエは……?」

「狐狸一族(フーリ)が末娘、幽谷。母の命により、猫族に加勢致します」

「狐狸一族……?」


 振り返って見た彼は、狐狸一族を知っている風だった。



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